第42話 返礼日の朝
返礼日の朝、王都はいつも通りに動いていた。
貴族街の窓には薄い布が揺れている。
馬車は石畳を走り、教会の鐘は朝の祈りを告げた。
投資サロンの前には、まだ花も置かれていた。
ただ、棚の上には箱があった。
箱には深い青の布がかかり、白い紐と王立鑑定院の金印、箱番号がついていた。
それは貴族の部屋にも、商会の奥の部屋にも、教会の投資窓口にも置かれていた。
どの箱にも、返せる契約と、返せない契約が混じっている。
その最初の返礼日が来た。
朝一番に届いたのは、農村からの連絡だった。
「種代契約の返済が、明日になるそうです」
泥のついた靴の男が、レイジの作業場に立っていた。
「昨日までは、今日だと」
「確認中とのことです。箱の中の一部契約が遅れている、と」
「種はもう渡したのか」
「はい。春にまく分です」
男は帽子を握った。
「畑で働く人たちは、もう集まっています。昼までに銀貨を渡す約束でした。返礼が戻らないと、今日の畑は動きません」
「今日の畑は」
「空きます」
レイジは、男の靴についた泥を見た。
種は畑へ行った。
働く人も畑へ来ている。
足りないのは、戻るはずの銀貨だけだった。
次に来たのは、冒険者ギルドの事務員だった。
装備代の立て替え。
返礼予定、朝。
支払い、まだ来ない。
「鍛冶屋が困っています。革鎧の修理代が戻らないと、次の仕事を受けられないと」
「ギルドの箱番号は」
「四番です」
レイジは机の上の台帳を開いた。
四番の欄には、下級貴族二名の購入記録がある。冒険者装備代の立て替え、鉱山運搬費、屋敷維持費。別々の名で束ねられた紙の端に、赤札が二つついていた。
ノアが横から木札を持ってきた。
「四番、ここ?」
「遅れの札を置け」
「うん」
木札が箱番号四の横に置かれた。
三人目は、鉱山商会の若い係だった。
「北灰の運搬費が遅れています」
若い係は、紙を両手で差し出した。
「荷馬車はもう走らせました。馬の世話係が、今日の給料を待っています。馬のえさ代も、夕方までに払わないと次の馬車が出せません」
「箱番号は」
「七番です」
リーゼの手が止まった。
台帳の七番には、聖白教会が三口買った記録があった。
そこへ、教会建設費の返礼延期の知らせが重なる。王都西区の礼拝堂では、屋根材と石工の作業代が本日戻る予定だった。だが、支払いは十日先へ延ばされていた。
理由は、箱の中の一部契約が確認中。
最後に、貴族街から手紙が届いた。
屋敷維持費の返礼は来ず、使用人の給料の立て替えも戻らず、馬車修理費も遅れていた。
バルガス男爵家の屋敷維持費も、同じ箱番号八にぶら下がっていた。
珍花男爵の名は、今度は花ではなく、返礼遅延の紙に残っていた。
どの手紙にも、同じような言葉があった。
窓口では、明日には、確認中です、一部契約が遅れています、長く見れば問題ありません、という言葉だけが返ってきた。
レイジは手紙を並べた。
農村から冒険者ギルド、鉱山商会、教会建設費、貴族街まで、場所によって、別々の支払い遅れに見えていた。
別々の場所に見える。
別々の遅れに見える。
種、装備、運搬費、屋根材、屋敷維持費。名前は違っても、同じ箱へつながっていた。
だが、箱番号を写すと、同じ数字が何度も出てきた。
四番、七番、八番。違う場所から来た紙に、同じ番号が何度も出てくる。
その中に、王国関係資金の紙で見た十二番も混じっていた。
ノアは木札を見比べた。
「同じ箱が、いろんなところに出てる」
「箱は一つでも、中の紙は別々の場所へ伸びている」
レイジは販売台帳をめくった。
四番の販売窓口は、グラント商会王都本店。確認欄には、カシアンの名がある。
七番には、教会購入記録提示済み、王立鑑定院金印確認済みの文字が残っていた。売り文句は、複数契約による安定返礼。
八番にも、グラント商会特別窓口とカシアンの確認印がある。説明欄には、鉱山権より分散、と書かれていた。
レイジは羽根ペンで、同じ名に線を引いた。
グラント商会。
その横に、別の線を引く。
教会購入記録と王立鑑定院の金印、カシアンの確認印が、同じ紙束に残っていた。
リーゼは別の机で、自分の台帳を開いていた。
粉屋、豆屋、薪を売る店、水運び、日雇いの給料。炊き出しも仕事場も種も、どれか一つ止まれば、明日の飯に響くものだった。
「こちらの支払いは止めません」
彼女は言った。
「今日の小口支払いを先に出します。食材を売ってくれる店への銀貨袋を確認してください。日雇いの給料は昼前までに」
ノアが顔を上げる。
「配給札は?」
「朝の分を二百。昼に追加百」
「仕事場札は?」
「荷運び五人。倉庫整理三人。粉ひきの手伝い二人」
マルタは奥から声を出した。
「豆は水に浸けたよ。粉屋への支払いを遅らせるんじゃないよ」
「遅らせません」
リーゼは短く答えた。
貴族街の箱が遅れている。
だが、鍋は待たせない。
レイジは遅れの記録を重ねた。
別々の支払い遅れに見えたものが、販売台帳をめくるたび、同じカシアンの確認印へつながっていく。
ノアが四番、七番、八番の木札を置いた。
三つの木札が、レイジの机の上で並んだ。
返礼日の朝は、まだ大きな騒ぎにはなっていない。
だが、箱の番号はもう重なり始めていた。




