第34話 貸すカシアン
グラント商会の奥の部屋には、魔石灯が増えていた。
以前からあったものではない。
壁に新しく取りつけられた青白い灯りが、磨かれた机を照らしている。
カシアン・グラントは、その下で書類を読んでいた。
白鷲銀行の騒ぎから、グラント商会の名は傷を負った。
奥の部屋で逃げるカシアン。
そう言う者もいた。
最後尾のカシアンほど広く笑われたわけではない。
だが、笑いより悪いものが残った。
グラント商会に金を預けて大丈夫なのか、という疑いだ。
商会の人間が、自分だけ先に安全な場所へ金を移そうとした。
そう見られた。
見られたものは、説明では消えない。
だから、カシアンは、グラント商会はまだ安全で儲かる話を扱える、と見せ直す必要があった。
魔石鉱山権は、商会の強さを見せ直す商品としてちょうどよかった。
「鉱山権を預けて金を借りる客を増やします」
カシアンは部下に言った。
机の上には、新しい貸付案が並んでいる。
鉱山権を預けて借りる紙には、利息や取扱手数料、今いくらかを調べる手数料、早く売るための手数料、返済が遅れた時に追加で差し出すものまで書かれていた。
値段をつけるだけでも、商会は金を取る。
早く売れと急かされた時にも、売る手間の名で銀貨を取る。
部下が一枚を手に取った。
「値段は、取引所の掲示価格を基準にしますか」
「七割までだ」
カシアンは答えた。
部下は紙の端に数字を書いた。
鉱山権、300万ルク。
貸せる額、210万ルク。
残り、90万ルク。
「残りの90万は」
「値下がりした時の余白だ」
カシアンは言った。
部下は、90万ルクの欄を四角で囲んだ。
「余白があるように見せる」
「見せる、ですか」
「客はそこを見る。300万の権利に、210万しか貸さない。だから安全だ、と」
部下は次の欄を指した。
価格下落時。
追加で差し出すもの。
その下には、空欄が三つあった。
屋敷裏の土地。
馬車。
銀食器。
まだ何も書かれていない。
だが、空欄は最初から用意されていた。
「価格が下がった場合は」
「その空欄を埋めさせる」
カシアンは答えた。
「鉱山権だけで足りなくなれば、別のものを出させる。畑でも、馬車でも、銀食器でもいい」
部下は、さらに小さく言った。
「下がり方が大きければ、それでも足りません」
カシアンは紙から目を上げた。
「魔石は珍花ではない」
静かな声だった。
怒りではない。
自分にも言い聞かせる声でもない。
判断の声だった。
「灯り、炉、倉庫、治療院、軍需。王都は魔石を使い続ける。王国認可の取引所で値がつき、毎日売買されている。返せなかった時に取るものとしては強い」
部下は黙った。
理屈はあった。
珍花は腐った。価値の土台が薄く、見栄と噂だけで上がっていたからだ。
だが、魔石は違う。
魔石は実際に使われ、需要があり、取引所も王国の認可もある。
だから危なく見えにくい。
カシアンは、そこを使った。
「今、貴族たちは二種類に分かれている」
彼は言った。
「すでに鉱山権を持ち、もっと買いたい者。出遅れて、今からでも入りたい者。どちらも銀貨が足りない」
「そこへ貸す、と」
「違う」
カシアンはペン先で紙を叩いた。
「未来を買う手伝いをする」
翌日から、グラント商会の前には馬車が増えた。
没落しかけた下級貴族。
夜会で口数を自慢したい若い当主。
工房を広げたい商人。
銀行に預けたままでは不安な者。
彼らは、奥の部屋で同じ書類を見た。
返せなかった時に取るもの、魔石鉱山権。
今の値段、取引所掲示価格。
貸す金は、今日の値段の七割まで。
返済遅延時、追加で差し出すものまたは権利売却。
追加で差し出すものの欄には、まだ何も書かれていない空白があった。
屋敷裏の土地。
馬車。
銀食器。
客は、その空欄をほとんど見なかった。
値札が上がっている間、空欄は空欄のままだと思えた。
説明は丁寧だった。
カシアンは手抜きをしない。
危険条項も読ませた。
署名欄の前で、必ず確認印を押させた。
それでも、客は署名した。
なぜなら、昨日より今日の値札が高いからだ。
「借りても、権利の値が上がれば問題ない」
ある貴族が言った。
「来月には、預けた鉱山権の値段も上がる」
別の商人が笑った。
「その時に、借り直せばよい」
書記はその会話を聞きながら、貸付台帳に名前を書いていった。
そこにはカシアンの確認印、担当者名、説明文言、預けたものの今の値段、追加で差し出すもの条項まで残っていた。
紙は増えた。
確認印の朱肉は、乾く前に次の紙へ押された。
印箱の横には、替えの朱肉壺が置かれた。
書記の袖口には、赤い汚れがついている。
それでも、列は切れなかった。
レイジは、白鷲銀行の一室で、その写しを見ていた。
すべてが見えるわけではない。
だが、白鷲銀行からグラント商会へ流れる資金の一部は、貸付台帳に残っている。
鉱山権を預けて借りた貴族名義の紙も、取引所の売買記録と重なっていた。
同じ名前がある。
王国支援証書を買った者。
白鷲銀行から借りた者。
グラント商会で鉱山権を預けて金を借りた者。
さらに鉱山権を買った者。
レイジは、カシアンの確認印が並ぶ欄を見た。
売った。
貸した。
評価した。
煽った。
どれも、声ではなく紙に残る。
その頃、グラント商会の収益表には黒い数字が並んでいた。
利息収入。
取扱手数料。
今いくらかを調べる手数料。
早く売るための手数料。
カシアンは、一時的に勝っていた。
取引所の廊下で、レイジと目が合った。
「止めないのですか」
カシアンが言った。
「止める理由がない」
「損をする者が出ます」
「読んで買うならな」
カシアンは小さく笑った。
「やはり、ただの善人ではない」
「善人なら、こんな紙は読まない」
それだけで、二人はすれ違った。
白鷲銀行の噂で落ちた名を、魔石の実需で塗り替えつつあった。
商会の奥の部屋には、客が戻っている。
部下の動きも速い。
夜会では、グラント商会の鉱山権を預ける借金は安全そうと囁かれ始めた。
カシアンは窓の外を見た。
取引所の値札板が、遠くに見える。
北灰鉱山権。
580万ルク。
彼は小さく笑った。
「見えるものを返せなかった時のために取る。これほど分かりやすい商売はない」
その言葉を書き留める者はいなかった。
だが、確認印は今日も増えていた。




