第3話 葬儀代15万ルク
扉の外で足音がした。
ノアが慌てて椀を隠す。
入ってきたのは、背の曲がった女だった。老婆と呼ぶには、まだ早いのかもしれない。だが顔には、長く眠っていない人間の皺が刻まれていた。
手には木皿がある。
「新入りかい」
女はレイジを見て、残り物のスープを置いた。具はほとんどない。湯に塩を溶かしたようなものだ。
「マルタさん」
ノアが小さく言う。
「余りだよ。ありがたがるほどのもんじゃない」
マルタはそう言ったが、皿はレイジの手の届く場所に置かれていた。
レイジは礼を言おうとして、やめた。
この場所では、軽い礼がかえって傷になる気がした。
「あなたも契約で?」
「そうさ」
マルタは壁にもたれた。腰から小さな布袋を外し、中を確かめる。そこには片方だけの古い作業靴が入っていた。
「息子のだよ。棺に入れてやろうと思ったんだけどね」
マルタは布袋の口を閉じた。
「息子が死んだ。棺と穴と祈りで、15万ルク。靴を入れるなら、棺を一つ大きくしろと言われた」
葬式の値段で、人生が終わる。
冗談のような話だった。
「払えないなら、埋められないと言われてね。名前を書いた」
「それだけで奴隷か」
「それだけ、じゃないんだろうよ。紙にはいろいろ書いてあった。けど、あたしには読めなかった」
マルタは乾いた指で、自分の首輪を叩いた。
「名前を書いたら終わりだ。あとは紙の方が、人間より強い」
ノアが何も言わずに俯いていた。
マルタはノアを見た。
「この子はまだ、終わってないと思ってる。妹の薬が効けば、戻れるってね」
ノアの指がパンのかけらを握りつぶした。
「戻るよ」
声は小さかった。
けれど、震えていた。
「ミナ、待ってるから」
レイジはスープを見た。薄い油が一筋、表面に浮いている。
妹の薬代も、息子の葬儀代も、身元不明者の保護費用も、同じ帳簿の上ではただの借金だった。
全部、名前が違うだけだ。
人が断れない瞬間に、紙が差し出される。
そして、名前を書いたら終わり。
怒りは、まだ熱くならなかった。
ただ、腹の底に沈んだ。
沈んだものは、簡単には消えない。
その夜、扉の外で監督役の声がした。
「新入り。明日は帳簿部屋だ。男爵さまの台帳を汚すなよ」
帳簿。
その言葉だけが、妙に耳に残った。




