第28話 昼、金はあるがここにはない
昼になると、白鷲銀行前の列は通りの半分を塞いでいた。
朝の五人とは違う。
列には商人も下級貴族の使用人も工房主もいた。王国支援証書を握った未亡人の後ろには、白い袖を着た教会の使いまで並んでいる。
全員が怒っているわけではない。
むしろ、最初は確かめに来ただけだった。
「念のためです」
「少し戻すだけで」
「残高を見せていただければ」
「証書を買いましたが、銀貨も少し持っておきたくて」
言葉は控えめだった。
だが、窓口の内側では、銀行員の足音が増えていた。
銀貨の箱が一つ、奥へ運ばれる。
別の箱が出てくる。
じゃらり。
最初の音は重かった。
二つ目の箱は、少し軽かった。
窓口の銀行員は、汗を拭かずに笑顔を保っていた。
「ご安心ください。白鷲銀行には、金に換えられる紙があります」
前に立っていた工房主が言った。
「なら、出してください」
「順に対応しております」
「明日の給金なんです。職人に払えないと困る」
銀行員は帳簿を開いた。
それは革表紙に金具のついた厚い帳簿で、名前と数字が細かく並んでいた。
そこには確かに金額があった。
だが、工房主は帳簿を見に来たのではない。
「紙ではなく、銀貨を」
短い言葉だった。
銀行員の笑顔が少し固まる。
隣の窓口では、未亡人が証書を差し出していた。
「これを、銀貨に戻せますか」
「王国支援証書は、半年後の返礼をお待ちいただくものです」
「でも、グラント商会では安心だと」
「証書は正式なものです」
未亡人は、証書の赤い印を指で押さえた。
「王家の印があります。なら、銀貨と同じではないのですか」
銀行員は答えられなかった。
証書は正式で、王家の印も財務卿の署名もある。
だが、それは今すぐ銀貨を返す紙ではない。
「金はあります」
銀行員が言った。
声が少し大きかった。
列の者たちが、一斉に窓口を見る。
「白鷲銀行には、商会や貴族へ貸している金の紙があります。返してもらう予定もあります。証書も、預かった銀貨もあります。ですが、今この窓口に出せる銀貨には限りが――」
「あるなら返せ!」
後ろの男が言った。
怒鳴り声ではない。
だが、通りには十分響いた。
銀行員は口を閉じた。
言い方を間違えたのではない。
何を言っても、届き方が変わる。
金はある。
なら今返せ。
今ここにはない。
なら金はないのか。
どちらも、列には同じに聞こえる。
奥の扉が開き、若い銀行員が走って出ていった。
支店へ向かうのか。
保管庫へ向かうのか。
誰にも分からない。
分からないから、列がざわつく。
「奥の銀貨を取りに行ったのか」
「逃げたんじゃないだろうな」
「帳簿だけ厚くてもな」
「白鷲銀行は、グラント商会へ貸しすぎたと聞いたぞ」
「グラント商会は王国支援証書で手数料を取っているのに?」
「裏では金が薄いらしい」
噂は混ざる。
白鷲銀行、グラント商会、王国支援証書、教会の購入。その線は、薄くなった鍋にまで伸びていた。
全部が正確ではない。
だが、不安は正確でなくても増える。
窓口の小窓が一つ閉まった。
金具が落ちる音がした。
かちゃん。
それだけで、列が前へ詰める。
「なぜ閉める」
「担当者を奥へ回しただけです」
「なら、窓口を増やせ」
「順番に」
「順番を待っている間に、箱が空になるんじゃないのか」
銀行員の顔から血の気が引いた。
箱は空ではない。
だが、軽くなっている。
レイジは通りの端から、その小窓を見ていた。
リーゼは隣で、列の後ろを見ている。
朝にはいなかった顔が増えていた。
パン屋や食材商、布屋の記録帳係、教会の使い、日雇いの親方までが、同じ噂を持ち込んでくる。
「金持ちだけの列ではありませんね」
リーゼが言った。
「そうだな」
「食材商がいます。あの人が支払いを止めたら、明日の豆が遅れます」
彼女は銀行前ではなく、市場の方を見た。
「パン屋もいる。工房主も。給金が遅れれば、うちの列も増えます」
レイジは何も言わなかった。
リーゼはもう、紙の上だけを見ていない。
鍋を止めないためには、豆とパンと水がいる。日雇いの給金と配給札も、同じ線の上にあった。
その先に、人が並ぶことを見ている。
白鷲銀行の扉の前で、教会の使いが声を上げた。
「聖白教会の預け金です。救済事業に関わります」
列の後ろで、誰かが笑った。
「昨日、証書を買った金か」
使いは振り返らなかった。
銀行員は帳簿をめくる。
帳簿だけが、どんどん厚く見えた。
銀貨の箱は、どんどん小さく見える。
昼の鐘が鳴った。
白鷲銀行前の列は、もう通りを塞いでいた。
馬車が進めず、荷車が止まる。
止まった荷車の男が、隣に聞いた。
「何の列だ」
誰かが答えた。
「白鷲銀行だ」
「金を返してもらう列か」
「返してくれるならな」
その言葉は、通りの奥まで流れた。




