第23話 王家の印
その紙は、最初はただの紙だった。
紙は厚手で白く、端には飾り罫も入っていた。
だが、それだけだ。
王国支援証書。
上には、そう書かれていた。
紙そのものは悪くない。
返す日と返す相手が守られるなら、ただの借金だ。
悪いのは、読ませずに安心だけを売ることだった。
一口10万ルク。
王国財務府発行。
半年後、10万8000ルクの返礼を支払う。
財務卿は、その文面を見て眉を寄せた。
「返礼という言葉がよい。返済では、響きが重い」
官僚が、返済と書かれた下書きに線を引いた。
返済。
その文字が消える。
横に、返礼、と書き直される。
リーゼはその紙を見ていた。
「返す金は、同じですね」
声は小さかった。
「言葉だけが、柔らかくなりました」
財務卿は聞こえなかったふりをした。
官僚が頷く。
「王国を支えた礼、という形にできます」
司祭は聖印に触れた。
「民に、国を支える善行として説けます。王国が守られれば、神の秩序も守られます」
カシアンは黙って紙を読んでいた。
読むのは速い。
危険な箇所を探す目だった。
レイジはそれを見ていた。
買う側なら、遅れることがある。
名簿に名を晒された夜、カシアンはそう悟った。
今度のカシアンは、この紙を買う側ではなかった。
売る側として、どれだけ売れるかを読んでいた。
宮廷の広い机に、証書の束が並べられた。
まだ印はない。
署名もない。
ただの約束の紙だった。
リーゼは、その束を見ていた。
「これだけでは、誰も安心しませんね」
「しない」
「でも、印が押されれば変わる」
「変わる」
レイジは短く答えた。
リーゼ家の封蝋だけでも、人はサロンへ来た。
招待状だけでも、席に値がついた。
王家の印なら、もっと多くの人が安心する。
奥の扉が開いた。
契約官が入ってくる。
赤い蝋を入れた小鍋。
王家の印章。
財務卿の署名台。
部屋の者たちは、一斉に背筋を伸ばした。
紙はまだ紙だ。
だが、王家の印が出るだけで、周囲の人間の態度が変わる。
誰も大声を出さない。
官僚は背を伸ばす。
司祭は目を伏せる。
カシアンも、ほんの少し姿勢を正した。
王家の印章は、箱に入っていた。
黒い木箱。
内側は赤い布。
そこに、黄金色の印章が寝かされている。
蝋には、王家の獅子と三本の剣、王冠が押されていた。
財務卿が署名する。
さらさらと、ペンが紙を走る。
王国財務卿、エルド・ハーゲン。
名が書かれた瞬間、紙に責任者がついた。
次に、契約官が赤い蝋を垂らす。
丸い赤が、紙の下部に落ちる。
印章が押された。
ぐっと、重い音がした。
紙が、紙でなくなったように部屋が静まった。
王家の印。
赤い蝋の上に、獅子と王冠が浮かぶ。
ただの借金の紙が、机の上で急に立派になる。
レイジはその瞬間を見ていた。
中身は変わっていない。
王国は金に困り、兵士の給金は遅れ、武器商への支払いも残っている。
この紙は、半年後に金を返すという約束でしかない。
だが、印が押される。
それだけで、人は安心する。
「美しいですね」
リーゼが言った。
声は小さかった。
「怖いくらいに」
財務卿は満足そうだった。
「王家の印がある。民は不安がらない」
「一口10万ルクなら、下級貴族や商人にも届きます」
カシアンが証書を一枚手に取った。
「販売窓口は、王都の主要商会に置けます。王城へ直接来られない者にも届く」
「グラント商会も扱うか」
財務卿が聞く。
「もちろんです」
カシアンは即答した。
「王国を支える証書ですから」
その言い方は完璧だった。
買うとは言っていない。
扱うと言った。
司祭も言った。
「教会でも推薦できます。信徒に、国と民を支える善き支援として」
財務卿は頷く。
「よい。王国は民を守る。民もまた、王国を支える」
レイジは証書の束を見た。
王国が支えるのではない。
人々が、王国を支える。
言葉の向きを変えただけで、重さが見えなくなる。
契約官は次々と蝋を落とし、印を押した。
一枚。
二枚。
三枚。
赤い印が増える。
証書の束が、宝のように積まれていく。
リーゼはその横で、指先を握っていた。
「私の家名で人が集まった時、怖いと思いました」
「ああ」
「これは、その何倍も人を動かすのでしょうね」
「王家だからな」
「中身を見なくても?」
「印を見る」
リーゼは何も言わなかった。
最初の十枚が、机の上に並んだ。
一口10万ルク。
半年後、10万8000ルク。
王家の印。
財務卿の署名。
紙の束は静かだった。
だが、すでに売れる顔をしていた。




