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転生したら奴隷にされたのでリーマンショック起こして異世界経済崩壊させます  作者:


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15/41

第15話 腐った花と珍花男爵

翌朝、市場の値札は消えていた。


正確には、誰も貼れなかった。


昨日まで10万ルクを超えていた珍花に、買い手がつかない。


「北方では嫌われているらしい」


「葬列の花に似ているとか」


「王族が嫌う花を夜会に飾るのは、まずいだろ」


「それに、希少じゃないって話もある」


噂は二つになっていた。


ひとつは、北方王族が嫌っているという話。

もうひとつは、市場裏の倉庫にまだ箱があるという話。


その二つで、花が高く売れていた理由が消えた。


貴族向けではない。

希少でもない。


高い理由が、二つとも消えた。


希少。

貴族向け。

早く買った者が得をする。


ノアは、値札の抜かれた板を見た。


「値札がなくなると、花に戻るんだ」


「最初から花だった」


その話が信じられなくなると、花はただの花に戻った。


食べられず、薬にもならず、魔法素材としても弱い。花の中身は、その程度だった。


そして、長くは保たない。


朝、3万ルクで売ろうとした商人がいた。

誰も買わなかった。


昼、1万ルクになった。

見物人だけが増えた。


夕方、500ルクでも、客は首を振った。


「昨日なら欲しがったくせに」


花を抱えた男が吐き捨てる。


隣の商人が言った。


「昨日欲しかったのは、花じゃなくて値段だろ」


その言葉に、誰も笑わなかった。


笑えない者が多かったからだ。


バルガス邸から最初の使いが来たのは、昼過ぎだった。


顔色が悪い。


「レイジ様。バルガス男爵がお呼びです」


「売る花はない」


「買い取りではありません」


「では、何だ」


使いは口を開きかけ、周囲の目に気づいて声を落とした。


「引き取りを」


ノアが聞き返した。


「引き取り?」


使いは睨んだ。


レイジは答えた。


「売ったものは、そちらのものだ」


「しかし、花の状態が」


「花は花だ。契約書にも、長期保存とは書いていない」


使いの顔が歪んだ。


周囲の商人が聞いている。

昨日まで羨んでいた連中が、今日は耳だけを向けている。


使いは何も言えず、戻っていった。


リーゼは市場の隅からそれを見ていた。


「ひどい匂いになるのですか」


「なるだろうな」


「分かっていて、男爵は屋敷中に飾った」


「自分でな」


リーゼは目を伏せた。


「誰も止めなかったのですね」


「止めるより、褒める方が得だったんだろう」


リーゼは息を吸った。


「それが、貴族の夜会ですか」


「君の方が詳しいだろう」


「知っていました」


リーゼは言った。


「でも、見たくはありませんでした」


夕方、バルガス邸の門前には、人が集まり始めた。


花を見るためではない。

匂いを見るためだった。


屋敷の中から、青臭さと甘い腐敗臭が漏れている。


珍花は、水切りに弱かった。

大量に束ねられ、暖かな客間に置かれ、灯火の熱を浴びた。

夜会の間は美しく見えた。


翌日には、花弁の端が黒くなった。

茎はぬめり、水瓶は濁った。


さらに悪いことに、数が多すぎた。


花は廊下にも階段にも、客間にも食堂にも、窓辺にも玄関にも置かれていた。


使用人たちは運び出そうとしたが、間に合わない。

花は触れると崩れ、青い汁を落とした。


「うわっ」


「踏むな、染みになる!」


「奥の客間、虫が出てるぞ」


「水を替えろって言われても、もう水が腐ってる!」


門の外まで声が聞こえた。


招待客の馬車が一台、門前に止まった。

中から出た貴族の夫人が、すぐに扇で鼻を押さえた。


「これは……」


案内の使用人が青ざめる。


「昨夜の珍花が、少し」


「少し?」


夫人は玄関の青い染みを見た。

それから、奥から漂う匂いを嗅ぎ、顔を歪めた。


「失礼します」


馬車はそのまま帰った。


次の馬車も、門前で止まり、戻った。


三台目は、門すらくぐらなかった。


誰かが小さく笑った。


「珍花男爵」


最初は小さな声だった。


「しっ」


「いや、屋敷ごと花になったんだ。珍花男爵でいいだろ」


別の者が、鼻を押さえながら言った。


「珍花というより、腐花だ」


笑いが広がった。


使用人たちは聞こえないふりをした。

だが、肩が震えている者もいた。


バルガスは玄関に現れた。


服は整っている。

髭も乱れていない。


ただ、顔色だけが悪かった。


「門前で騒ぐな」


声は静かだった。

だが、いつもの余裕はない。


鼻を押さえる貴族がいて、目を逸らす使用人がいて、門の外ではもう笑いが起きていた。


金を失っただけなら、帳簿に隠せる。


だが、匂いは隠せない。


商人のひとりが、門の外で別の商人に囁いた。


「男爵家への掛け売りは、しばらく締めた方がいいな」


「花であれだけ掴むなら、次の支払いも怪しい」


「それに、珍花男爵の屋敷に出入りしていると思われたくない」


小さな声だった。


だが、バルガスの耳に届くには十分だった。


レイジは少し離れた場所から見ていた。


首の痕が、風に冷える。


バルガスの目がこちらを見つけた。


その目には、契約室で見た冷たさとは別のものがあった。


屈辱。


「君は」


バルガスが言った。


「この花がこうなると知っていたのか」


レイジは答えた。


「花は萎れます」


「そういう話ではない」


「では、どういう契約の話ですか」


バルガスの口が止まった。


契約書には、花を売るとしか書いていない。

永遠に美しいとは書いていない。

北方王族が好むとも書いていない。

希少だとも書いていない。


値段をつけたのは、買った側だ。


バルガスはそれを分かっていた。

だから、何も言えなかった。


門の外でまた声がした。


「珍花男爵」


今度は、前より大きかった。


バルガスの指が震えた。


バルガスが失ったのは、金だけではない。面子も、評判も、尊敬も落ちた。


花の匂いは、それらをまとめて腐らせていた。


カシアンは、少し離れた馬車のそばにいた。


彼の表情は崩れていない。

だが、手元の帳簿を閉じる動きは遅かった。


損はしている。


いくつか残した花は売れない。

一部の取引では、買い戻しを迫られているだろう。


だが、彼はバルガスほど抱えていない。

屋敷を花で埋めてもいない。

笑い者の中心にもいない。


カシアンはレイジの方へ歩いてきた。


「勉強になりました」


声は穏やかだった。


「高い授業料だったのでは」


「授業料で済む額にしました」


カシアンは微笑んだ。


負け惜しみではない。

実際、そうしたのだ。


「花に価値がないことは、最初から分かっていた。ですが、値が動いている間は商品だった」


「なら、降りればよかった」


「人は、もう少しだけ上がると思うものです」


カシアンはバルガス邸を見た。


使用人たちが、黒ずんだ花束を外へ運び出している。

ひとつ落ち、青い汁が石畳に広がった。


「ただ、次からは、あなたの売るものをもう少し丁寧に調べます」


レイジはカシアンを見た。


「花を?」


「花も。紙も。言葉も」


カシアンの笑みは変わらない。


「契約書は、部下に三度読ませます。噂は、出どころを探します。値札は、貼った人間ではなく、剥がす人間を見ます」


それは、敗者の言葉ではなかった。


次に戦う者の言葉だった。


「あなたは、ただの元奴隷ではない」


カシアンは言った。


「そして、ただの善人でもない」


「善人に見えたか」


「いいえ」


カシアンははっきり答えた。


「だから、危ない」


彼は軽く頭を下げ、馬車へ戻った。


バルガス邸の前では、まだ笑いが続いている。


珍花男爵。


その名は、門から市場へ、市場から夜会へ、夜会から王都中へ流れていくだろう。


ノアがレイジの隣に来た。


「花、もう売らないの?」


「売れないだろうな」


「じゃあ、終わり?」


「この花はな」


ノアは市場の方を見た。


「みんな、昨日まで欲しがってたのに」


「昨日欲しがっていたものが、今日も欲しいとは限らない」


リーゼが遅れて来た。


彼女はバルガス邸から運び出される花を見ていた。

青い花弁は、もう光を透かしていない。


「怖いですね」


「花がか」


「いいえ」


リーゼは首を振った。


「見栄が、です」


レイジは答えなかった。


リーゼは続けた。


「値札が上がると、誰も中身を見なくなる。貴族も、商人も、見下していた相手の手からでも奪いに来る」


「見た通りだ」


「そして、腐れば笑われる」


バルガス邸の門前で、また誰かが笑った。


リーゼは目を伏せなかった。


「男爵は、自分で買いました。自分で飾りました。自分で誇りました」


「そうだ」


「なら、これは男爵のものです」


腐った花の匂いが風に乗った。


レイジは紙束を抱え直した。


庭師の契約は、花の値段が落ちても変わらない。

レイジが買ったのは、花が値上がりし続ける約束ではない。

返せる額で働ける契約だった。


抱えた紙束には、焦げついた契約書や小口の借金の紙、返してもらう権利の紙、再契約の控え、花の売買記録が重なっていた。


首輪はない。

だが、紙はまだ手元にある。


この市場では、まだ誰もレイジを信用していない。


それでよかった。


信用されなくても、人は値札を見る。

噂を聞く。

次に買う誰かを探す。


そして、自分から紙に名前を書く。


レイジは市場へ向かって歩き出した。


背後の屋敷では、腐った花がまだ運び出されている。


王都の誰かが、また笑った。


「珍花男爵」と。


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