辞める理由
ヴェルガストの話が終わると、学園長室は静まり返った。
誰もすぐには口を開けない。窓から差し込む昼の光だけが、重く張り詰めた空気を静かに照らしている。
やがてアレクシスは小さく息を吐き、レインを真っ直ぐ見据えた。
「レイン。」
「はい。」
「お前に、一つ頼みがある。」
その声音は先程までとは違っていた。
学園長としてではない。一人の王国人として、そしてお前の将来を案じる者として語ろうとしている声だった。
「ヴェルガストの弟子である以上、お前をこれ以上、一学生として表舞台へ立たせ続ける訳にはいかん。」
一拍置いて、静かに告げる。
「……王立騎士学校を辞めてもらいたい。」
レインは思わず目を丸くした。
「え?」
予想もしなかった言葉だった。
卒業まであと数日。
そんな時期に退学という言葉が出てくるとは夢にも思っていなかった。
アレクシスは驚くレインへ静かに頷く。
「理由は二つじゃ。」
「一つはアルカディア王立騎士学校に通う生徒が上位超越者を破った亅
「諸国は必ず調べるじゃろう。どのような教育を行い、どのような生徒が在籍しているのか。そして《黒雷》を破った学生が何者なのかをな。」
アレクシスはレインを真っ直ぐ見据えた。
「お前が学園へ残り、これまで通り訓練や行事へ参加すれば、それだけ多くの目に晒される。各国の密偵や情報屋も間違いなく動く亅
「もう一つは、カルドニアは《黒雷》を失った。それも学生との戦いで、じゃ。国の威信は大きく傷つき、軍部も貴族も次の成果を求め始める。」
「儂は遠からず、大きな戦が起きると見ておる。」
その言葉に、レインも自然と表情を引き締めた。
「そんな中、お前が学生として戦果を重ねればどうなる。」
アレクシスは静かに続ける。
「各国は必ず、お前という存在を調べ始める。そして、その先でヴェルガストという名へ辿り着く可能性がある。」
レインは黙っていた。
師匠が普通の人間ではない。
それだけは、先ほど聞いた話だけでも十分理解していた。
「お前自身も目立つことは望んでおらんじゃろう。」
「……はい。」
「だからこそ、このまま学生として人前へ立たせる訳にはいかん。お前はもう、一学生として扱うには危険が大きすぎる。」
学園長室へ再び静寂が落ちる。
レインはしばらく考え込み、小さく息を吐いた。
「……分かりました。」
その返事に、アレクシスはゆっくりと頷く。
「すまぬ。これはお前を守るためでもあり、王国を守るためでもある。」
そう告げると、アレクシスは改めて姿勢を正した。
「その代わり、お前には卒業を待つのではなく、今この時から進んでもらいたい道がある。」
レインは静かに顔を上げる。
「道……ですか。」
「ああ。」
アレクシスは立ち上がり、壁へ掛けられたアルディア王国全土の地図の前まで歩いた。
「アルディア王国には、それぞれ役割を持つ七つの騎士団が存在する。北方を守る騎士団、東方を守る騎士団、王都を守る騎士団――それぞれが国を支えておる。」
地図へ視線を向けたまま、小さく続けた。
「その中でも、一つだけ異質な騎士団がある。」
レインは黙って耳を傾ける。
「第七騎士団じゃ。」
その名を聞いても、レインには思い当たることはほとんどなかった。
在学中に名前だけは耳にしたことがある。
だが、その実態を知る者は学園にもほとんどいない。
「表向きは外交支援を主任務とする騎士団。しかし、それは建前に過ぎん。」
アレクシスは振り返った。
「実際には、王国が表では扱えぬ仕事を担っておる。」
その一言だけで十分だった。
詳しい説明がなくとも、人前では語れない任務なのだと伝わってくる。
「他国へ潜り込み情報を持ち帰る。必要なら工作も行う。そして、それでも止まらぬ脅威があれば、自ら刃を振るう。」
「戦争が始まる前に戦争を終わらせるための騎士団。それが第七騎士団じゃ。」
部屋の空気がさらに張り詰める。
エレアは何も口を挟まない。
それだけで、この話がどれほど重要か伝わってきた。
「もちろん、誰でも入れる場所ではない。実力だけでは足りん。口の堅さ、判断力、そして何より、自らの功績を誇らぬ精神が必要になる。」
アレクシスは真っ直ぐレインを見つめる。
「儂は、お前なら務まると考えておる。」
突然の話に、レインは少し戸惑ったように笑う。
「……僕で務まるのでしょうか。」
「だからこそじゃ。」
アレクシスは迷いなく答えた。
「功績を誇ろうともせず、自ら前へ出ようともせず、それでいて必要とあれば危険を承知で敵地へ踏み込む。その在り方こそ、第七騎士団が最も求める資質じゃ。」
北方での出来事がレインの脳裏をよぎる。
敵の野営地を探すため、誰に命じられることもなく単独で川を渡ったこと。
敵だったナルを討たず、その結果として王国にとって大きな利益となる縁を得たこと。
どれも剣の強さだけでは成し得なかった成果だった。
「表舞台で英雄になる者は他にもおる。」
アレクシスは静かに言う。
「だが、その英雄達が安心して戦える舞台を、誰にも知られず支える者は決して多くない。」
レインは自然と視線を落とした。
確かに、自分は目立つことが好きではない。
称賛を浴びるより、誰にも知られず役目を果たす方が気楽だと思ってきた。
そんなレインを見届けるように、アレクシスは穏やかに微笑む。
「すぐに返事を求めるつもりはない。卒業式まで、あと数日ある。その間によく考えるとよい。」
学園長室へ再び静けさが戻る。
しかし、その静けさは先ほどまでとは違っていた。
レインの前に示されたのは、一人の騎士として歩む未来ではない。
誰にも知られることなく王国を支える――もう一つの騎士の道だった。




