波紋
黒雷ゼクト・ヴァルガン戦死。
その報は、数日のうちに西大陸全土を駆け巡った。
軍の伝令だけではない。
商隊、傭兵、情報屋、冒険者。
北から南へ、西から東へ。人が行き交うあらゆる道を通じ、六大国をはじめとする西大陸各国へ一枚の報告書が届けられていく。
そこへ記されていた内容は、極めて簡潔だった。
『カルドニア王国第八位、《黒雷》ゼクト・ヴァルガン戦死。』
『討伐者、アルディア王立騎士学校二年Sクラス首席、リリア・フォン・ローゼンベルク。』
その一報は、西大陸各地へ静かな波紋を広げていった。
ある国では、将軍が報告書を読み終えると、何も言わず机へ置いた。
「……リリアか。」
その名には聞き覚えがあった。
一年生の頃、東方戦線で敵部隊を壊滅させ、超越者を討ち取った少女。若き天才として以前から知られていたが、今回の相手は大国カルドニアの序列八位である。戦果の重さも、政治的な意味も、過去のものとはまるで違った。
「順当に育っているということか。」
短い一言だけを残し、男は静かに窓の外へ視線を向けた。
別の国では、王が報告書へ目を通していた。
「若い。」
誰へ向けた言葉でもない。
「これほど若くして、大国の上位超越者を討つとはな。」
側近達は黙っていた。
王は報告書を閉じる。
「アルディア王立騎士学校。今後も注視せよ。」
命令はそれだけだった。
また別の国では、老将が静かに笑っていた。
「面白い。次の時代を担う者達が、ようやく表へ出始めたか。」
その場にいた若い将校達は意味を理解できず、互いの顔を見合わせる。
老将だけが懐かしそうに目を細めていた。
「時代は、また動く。」
商人達の間でも、その話題は瞬く間に広がった。
「黒雷が討たれた。」
「討ったのは学生らしい。」
「西はしばらく荒れるぞ。」
軍より早く情報を運ぶのは、いつの時代も商人だった。
街道を行き交う商隊が新たな噂を運び、その噂は酒場から酒場へ、人から人へと広がっていく。
裏社会も例外ではない。
情報屋達は次々と西方へ人を送り、各地の裏組織も静かに動き始めていた。
長い戦争の歴史を振り返れば、超越者が戦場で命を落とした例は決して少なくない。学生が超越者を討った例も、過去を遡ればリリア以外に存在する。
だが、大国の上位超越者が現役の学生に討ち取られたという事実は、多くの人間へ新たな現実を突き付けた。
アルディア王国の次世代は、すでに戦場の第一線で結果を残せるほど育っている。
その認識は国境を越え、西大陸全土へ静かに浸透していった。
しかし、その頃。
ただ一国だけは、黒雷の死そのものよりも、もう一つの報告を重く受け止めていた。
カルドニア王国。
南方方面軍総司令部。
黒雷ゼクト・ヴァルガン戦死の報が届いた翌日、方面軍の将軍達は緊急招集を受け、一室へ集められていた。
重厚な扉が閉まると同時に、室内は静寂に包まれる。
長机の中央へ置かれているのは二通の報告書だった。
一通はゼクト戦死の報告。もう一通は、生還した直属部隊がまとめた戦闘記録である。
老将はその報告書へ目を通し終えると、直属部隊隊長へ視線を向けた。
「報告書は読んだ。だが、紙だけでは分からんものもある。お前自身が見たことを話せ。」
直属部隊隊長は一歩前へ出ると、静かに頭を下げた。
「はっ。あの日、ゼクト閣下とリリア・フォン・ローゼンベルクが交戦を開始した後、我々は戦場後方の警戒に当たっておりました。」
隊長は一度言葉を切り、当時の光景を思い返すように目を伏せる。
「しばらくして、待機させていた囚人兵が一斉に逃走を始めました。我々は追撃の必要なしと判断し、そのまま周囲の警戒を続けておりました。その直後です。」
隊長はゆっくりと息を吐いた。
「あちこちで囚人兵が倒れ始めたのです。」
「最初は、何が起きたのか分かりませんでした。矢かと思いました。魔法かとも考えました。ですが、どちらでもありませんでした。」
「囚人兵は逃げながら、一人、また一人と声すら上げず倒れていきました。時間にすれば、わずか数十秒ほどだったと思います。」
「そして森の奥に、白い仮面を着けた男が立っていました。」
会議室の空気がわずかに張り詰める。
「男はこちらを一瞥すると、『学生達へ手を出すな』とだけ告げ、そのまま姿を消しました。」
「現場を確認した時には、囚人兵約三百名は全員死亡。生存者は一人もおりませんでした。」
報告が終わっても、誰も口を開かなかった。
老将はしばらく隊長を見つめると、静かに問い掛ける。
「一つ聞こう。」
「お前はゼクトだけではない。第一位から第七位の者達とも、戦場で顔を合わせたことがあるな。」
「……はい。」
「なら答えろ。あの白い仮面の男は、どうだった。」
隊長は考え込むように俯いた。
すぐには答えが出ない。
長い沈黙の末、ようやく口を開く。
「……分かりません。」
将軍達の視線が集まる。
隊長はゆっくりと言葉を続けた。
「私程度では、ゼクト閣下と序列上位の方々の差すら測ることはできません。どれほどの力を持ち、互いにどれほどの隔たりがあるのか、それすら判断できないのです。」
「白い仮面の男から感じたものも、それと同じでした。」
「強いとも、弱いとも言えません。ゼクト閣下と比べてどちらが上なのか、どれほどの力を隠しているのか……私には何一つ分かりませんでした。」
その一言に、会議室は再び静まり返る。
直属部隊隊長は決して未熟な兵士ではない。
幾度となく戦場を潜り抜け、数多の超越者を目にしてきた歴戦の軍人である。
その男が、比較することすらできないと答えた。
老将は静かに報告書を閉じる。
「なるほど……。」
短い呟きだった。
しかし、その場にいた将軍達は、誰一人として軽々しく結論を口にすることはなかった。
戦場に現れた白い仮面の男。
その正体だけは、依然として深い霧の中に包まれたままだった。




