監視
ノルガルト侯国北部、国境からほど近い山岳地帯。
人の寄り付かぬ森の奥深くには、外から決して見つけられない監視拠点が築かれていた。木々を巧みに利用して視界を遮り、焚き火の煙さえ谷へ流すよう工夫されたその場所には、カルドニア王国から派遣された精鋭たちが静かに身を潜めている。
岩場へ腰を下ろしていたゼクト・ヴァルガンは、眼下へ広がるアルディア王国側の前線を眺めながら、小さく息を吐いた。
視線の先では、学生たちが兵士と共に砦の外へ出ていく。巡回任務なのだろう。
双眼鏡型の魔導具を覗いていた偵察兵が、確認した内容を淡々と報告する。
「二年Sクラス、本日より実習開始。」
「予定どおり各班へ分かれました。」
「リリアは第一班です。」
ゼクトは「そうか」とだけ答え、再び景色へ目を向けた。
一年前、東方戦線で敵超越者を討ち取った少女。
その戦果は西大陸中を駆け巡り、今では敵国であるカルドニア王国にまで名が知れ渡っている。
だからこそ本国は、自分をここへ送り込んだ。
戦うためではない。
その実力を、この目で見極めるためだ。
そこへ、一騎の伝令が森を駆け上がってくる。
「本国より命令書です。」
封蝋が施された命令書を受け取ったゼクトは、その場で封を切った。
内容は簡潔だった。
『リリアの実力を確認せよ。』
『囚人兵三百名をノルガルト軍へ引き渡した。必要に応じて使用を許可する。』
『ゼクトの交戦は命じない。観察を最優先とせよ。』
最後まで読み終えたゼクトは、小さく笑う。
「なるほど。」
その笑みは、どこか退屈そうでもあった。
「三百人か。」
「学生相手なら十分だと考えたんだろうな。」
副官が静かに頷く。
「囚人兵はすでに集結しております。」
「現在は待機命令を出しております。」
「本国の指示どおり、あなたの命令があるまで動かしません。」
ゼクトは命令書を畳み、近くの岩へ放り投げた。
「悪くない判断だ。」
「三百人もいれば、底くらいは見える。」
そこまでは本国と同じ考えだった。
しかし、その先が違う。
ゼクトは再び魔導具を手に取り、遠くを歩くリリアたちへ視線を向ける。
まだ顔までは見えない。
それでも、不思議と胸が高鳴る。
学生で超越者を討ち取った天才。
そんな存在が本当にいるのなら、一度くらい剣を交えてみたい。
そして──勝ちたい。
その思いは、ゆっくりと胸の奥から膨れ上がっていく。
「面白いじゃないか。」
誰へともなく呟く。
「西大陸中を騒がせた天才。」
「その名を踏み越えれば、今度は俺が大陸に名を刻む。」
副官はわずかに眉を寄せた。
「本国は交戦を命じておりません。」
「分かっている。」
ゼクトは笑った。
「だが、偶然戦場で会うこともある。」
長年仕えてきた副官には分かっていた。
目の前の男は獲物を見つけたのだ。
命令には従う。
しかし、『偶然はある』というだけの話。
機会さえ訪れれば、ゼクト・ヴァルガンは迷わず剣を抜く。
その性格を、副官は誰よりも知っていた。
ゼクトは魔導具を下ろすと静かに立ち上がり、眼下へ広がるアルディア王国側の前線を見据える。
「待っていろ、リリア。」
その背後では、三百名の囚人兵が森の奥で静かに待機を続けていた。
誰一人声を上げることはない。
彼らはただ静かに命令を待つ。
その沈黙が破られる時、この静かな前線は一瞬にして戦場へと変わる。




