黒雷 ゼクト・ヴァルガン
カルドニア王国南方方面軍司令部。
アルディア王国とノルガルト侯国を見下ろす山岳地帯に築かれた巨大要塞では、昼夜を問わず兵士たちが慌ただしく行き交っていた。前線各地から届けられる報告は絶えることなく、作戦室中央に広げられた巨大な地図には、新たな情報が次々と書き加えられていく。
その作戦室には十数名の将官が集まり、重苦しい空気の中で軍議が続いていた。
やがて扉が静かに開く。
室内へ足を踏み入れた男を見た瞬間、将官たちは一斉に口を閉ざした。
黒い軍服。
腰には一本の長剣。
三十代半ばほどの男は誰にも目を向けることなく地図の前まで歩み寄り、足を止める。
カルドニア王国第八位。
『黒雷』ゼクト・ヴァルガン。
「俺を呼んだ理由は何だ。」
開口一番、それだけだった。
総司令官は慣れた様子で頷く。
「南方前線へ向かってもらう。」
「ノルガルトか。」
「そうだ。」
総司令官は地図の南側を指し示した。
「アルディア王国北方方面軍の動きが活発になっている。第四騎士団も兵力を集結させ始めた。」
ゼクトは地図を一瞥する。
「戦になるのか。」
「まだ分からん。だからこそ、お前を送る。」
総司令官は静かに続けた。
「お前が前線へ出れば、アルディア王国も超越者を動かさざるを得ない。我々はその動きを見極めたい。」
ゼクトは口元をわずかに緩めた。
「均衡を崩すための駒というわけか。」
「そういうことだ。」
作戦室は静まり返る。
超越者が一人前線へ現れるだけで、戦場の均衡は大きく変わる。だからこそ各国は互いの切り札を容易には動かさない。
総司令官は一冊の資料を机へ置いた。
「そして、もう一つ。」
ゼクトは視線だけを向ける。
「アルディア王立騎士学校二年Sクラス首席、リリア。」
「学生か。」
「ただの学生ではない。」
総司令官は資料を開く。
「一年時の前線実習で敵三個小隊を単独で壊滅。さらに敵超越者一名を討ち取ったとの報告がある。」
ゼクトの目がわずかに細められた。
「学生が超越者を討ち取った前例は極めて少ない。その戦果は各国軍にも伝わり、今や軍上層部で知らぬ者の方が少ない。」
将官たちも静かに頷く。
アルディア王国最強の学生。
その評価は、もはや一国だけのものではなかった。
総司令官は資料を閉じる。
「本来の任務は南方前線の抑止だ。だが機会があれば、その娘の実力も見極めてこい。」
「討つ必要はないのか。」
「現時点では不要だ。本国が欲しているのは、将来アルディア王国を支える存在となり得るかどうか、その判断だ。」
短い沈黙が流れる。
やがてゼクトは踵を返した。
「超越者を討った学生、か。」
扉へ向かって歩きながら、小さく笑う。
「噂だけで終わらなければいいがな。」
そう言い残し、『黒雷』ゼクト・ヴァルガンは南方前線へ向け、静かに要塞を後にした。




