予定変更
「持っていきな。」
「ありがとうございます。」
レインは両手で受け取り、丁寧に懐へしまう。
「今日分かることは、こんなところだよ。これ以上は向こうで自分の目と耳を使いな。」
「はい。」
短い返事だった。
だが、その一言だけで十分だった。
誰かから聞いた情報だけで全てが分かるほど、戦場は甘くない。自分の目で見て、自分の耳で聞き、自分で判断する。その積み重ねこそが、真実へ近づく唯一の道なのだとレインは理解していた。
立ち上がり、一礼して部屋を出ようとした時だった。
「おい。」
老婆が不意に呼び止める。
レインが振り返ると、老婆は少しだけ視線を伏せ、どこか懐かしそうに笑っていた。
「あの馬鹿が生きてるって分かっただけでも、今日は収穫だったよ。」
その横顔からは、先ほどまで情報屋として見せていた鋭さは消えていた。
レインも自然と笑みを浮かべる。
「今度、お酒でも持って会いに行ってみてください。師匠も喜ぶと思います。」
老婆は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに小さく笑った。
「そうかもしれないね。」
それだけ言うと、照れ隠しをするように手を振る。
「ほら、行きな。待たせてる相手がいるんだろ。」
「はい。」
レインは深く頭を下げ、部屋を後にした。
店へ戻ると、店番をしていた少女がぱっと顔を上げた。
「あ、終わった?」
「はい。色々ありがとうございました。」
「ううん、こっちこそ。」
少女はにこりと笑い、軽く手を振る。
「また来てね。」
「機会があれば、ぜひ。」
会釈を交わし、レインは魔導具店を後にした。
外へ出ると、夕陽は西の空へ大きく傾き、赤く染まった石畳を人々が行き交っている。
レインは宿への道を歩きながら、懐へしまった資料へ静かに手を添えた。
今回得られた情報は予想以上だった。
カルドニア王国第八位の超越者、『黒雷』ゼクト・ヴァルガンがアルディア王国との前線へ向かったこと。
そして、その周辺が近いうちにアルディア騎士学校の実習先となること。
二つの情報が無関係とは思えなかった。
一度、現地を自分の目で確かめる必要がある。
そう考えているうちに宿へ到着した。
扉を開けると、一階の食堂は夕食時ということもあり、多くの旅人や商人で賑わっている。
その奥ではナルが一人、静かに食事を取っていた。
レインの姿に気付くと、穏やかに笑みを浮かべる。
「お帰りなさい。」
「お待たせしました。」
向かいへ腰を下ろすと、ナルが静かに尋ねた。
「何か収穫はありましたか。」
レインは周囲へ一度だけ視線を巡らせる。
誰もこちらを気にしてはいない。
だが、話す内容を考えれば、この場は相応しくなかった。
「部屋で話しましょう。」
「分かりました。」
食事を終えた二人は部屋へ戻る。
扉を閉めると、レインは懐から資料を取り出し、机の上へ広げた。
「予想以上でした。」
その一言でナルの表情が引き締まる。
「カルドニア王国第八位の超越者、『黒雷』ゼクト・ヴァルガンがアルディア王国との前線へ移動したそうです。」
「……第八位ですか。」
ナルから笑みが消えた。
「知っているんですか。」
「名前だけは。」
ナルは静かに頷く。
「カルドニア王国には知り合いもいます。噂程度なら耳に入りますが、その人物が前線へ出たとなると話は別です。」
レインはイゼルダから聞いた話を順を追って説明した。
ゼクトが前線へ向かったこと。
その場所がアルディア騎士学校の実習予定地に近いこと。
そして、イゼルダが危険視していた理由も含め、聞いた内容を余すことなく伝える。
話を聞き終えたナルは腕を組み、しばらく考え込んだ。
「偶然とは思えませんね。」
「僕もそう思います。」
カルドニア王国ほどの大国が超越者を動かす以上、何らかの意図があるはずだった。
それが何なのかは、まだ分からない。
ナルは静かに資料を閉じた。
「それで、どうしますか。」
レインは迷うことなく答える。
「予定を変えます。」
「前線ですね。」
「はい。」
街で集められる情報には限界がある。
ゼクト・ヴァルガンが動いた理由も、その先で何が起きようとしているのかも、現地へ行かなければ分からない。
ナルも異論はなかった。
「ここからなら馬で二日ほどです。途中の宿場町で一泊すれば、無理なく到着できます。」
「なら、明日の朝出発しましょう。」
「ええ。」
それだけで話はまとまった。
食事を終えた二人は街へ出て、不足していた保存食や治療薬を買い足し、馬の様子を確認してから宿へ戻る。
荷物を整え終える頃には、街は夜の静けさへ包まれていた。
窓辺へ立ったレインは、遠く北の空を静かに見つめる。
カルドニア王国第八位の超越者、『黒雷』ゼクト・ヴァルガン。
その男が前線へ現れた理由は、まだ分からない。
だが、このまま見過ごすつもりはなかった。
翌朝。
空が白み始める頃、二人は宿を後にする。
宿の主人へ軽く挨拶を済ませ、それぞれ馬へ跨った。
「行きましょう。」
ナルの声にレインは静かに頷く。
二頭の馬は朝靄の街道を駆け抜け、アルディア王国最前線へ向けて走り出した。




