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英雄なのか?  作者: よろず
戦争準備編
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82/212

勝てない


裏ギルドを出た頃には、夕陽がベルクハイムの街並みを赤く染め始めていた。


ガイアスから渡された簡単な地図を頼りに歩くこと十分ほど。


賑わう中央通りを抜け、一本脇へ入った通りへ足を踏み入れる。こちらも人通りは決して少なくない。魔導具店や薬草店、古書店が軒を連ね、表通りほど派手ではないものの、学者や職人が多く行き交う落ち着いた空気が漂っていた。


「ここですね。」


ナルが足を止める。


その先に建っていたのは、一軒の小さな魔導具店だった。


古びた木製の看板。


色褪せた外壁。


店先へ並ぶ魔導具も決して多くはなく、初めて訪れた者なら、ごく普通の個人商店として通り過ぎてしまうだろう。


だが、ガイアスから受け取った地図には、間違いなくこの店が記されていた。


ナルは迷うことなく扉を押し開ける。


小さな鈴が澄んだ音を響かせた。


店内へ入ると、乾燥させた薬草の香りと古い本の匂いが鼻をくすぐる。


棚には大小さまざまな魔導具が整然と並び、年代物と思われる古書も何冊か積まれていた。


カウンターでは、レインより少し年上に見える少女が静かに本を読んでいる。


鈴の音に気付いた少女はゆっくりと顔を上げ、二人へ視線を向けた。


その瞳には年齢に似合わぬ落ち着きが宿っている。


だが、不思議なことに何も尋ねようとはしなかった。


「どうぞ。」


短くそう告げると、店の奥へ視線を向ける。


それだけだった。


ナルも事情を知っていたかのように頷き、レインへ小さく目配せする。


二人は店の奥へ進んだ。


細い廊下の先には一枚の木扉がある。


ナルが一定の間隔で三度ノックすると、すぐ内側から落ち着いた老婆の声が返ってきた。


「入りな。」


扉を開け、部屋へ足を踏み入れた瞬間だった。


レインの全身を、言葉では表せない違和感が駆け抜ける。


壁一面を埋め尽くす古い書物。


棚へ無造作に置かれた魔導具や薬草。


部屋全体には古紙と薬草の香りが漂い、不思議と落ち着く空間のはずだった。


それなのに――。


窓際の椅子へ腰掛ける一人の老婆からだけ、まるで別世界のような存在感が放たれていた。


黒いローブを纏い、静かにこちらを見つめる姿は、昔話に登場する魔女そのものだった。


しかし、本当に異様なのは、その姿ではない。


視線が合った瞬間、本能が静かに警鐘を鳴らした。


呼吸がわずかに浅くなる。


背筋を冷たいものが流れ落ちる。


巨大な魔物と対峙した時とも違う。


もっと静かで、もっと底知れない圧迫感。


(……底が見えない。)


今まで出会った誰とも違う。


師匠を思わせるほど、深く、果てが見えない存在だった。


老婆はナルには一瞥もくれず、最初から真っ直ぐレインだけを見つめている。


部屋に静寂が流れた。


どちらも口を開かない。


やがて老婆は小さく目を細める。


「お前……何者だい。」


突然の問いにも、レインは慌てることなく少しだけ考えた。


そして静かに答える。


「カルドニア王国について知りたいんです。」


老婆は返事をしない。


ただレインを見つめ続ける。


数秒にも、一分にも感じられる沈黙。


やがて老婆は小さく頷き、初めてナルへ視線を向けた。


「お前がナルだね。」


「はい。」


「今日はもう帰りな。」


ナルは一瞬だけレインを見る。


だが異を唱えることはしなかった。


ここまで来れば、この老婆なりの流儀なのだろう。


「承知しました。」


そう言って立ち上がると、レインへ軽く頷く。


「終わったら宿へ。」


「分かりました。」


ナルはそれだけ告げて部屋を出る。


店番の少女へ軽く会釈すると、そのまま店を後にした。


扉の閉まる音が静かに響く。


部屋にはレインと老婆だけが残った。


再び静寂が訪れる。


老婆は顎へ手を添えながら、どこか面白そうにレインを眺めていた。


「面白いねぇ。」


「え?」


「お前からは、普通の人間とは違う匂いがする。」


その言葉を聞いた瞬間、レインの脳裏へ自然と一人の人物が浮かんだ。


目の前の老婆と師匠は何一つ似ていない。


だが、人の本質を見透かすような空気だけは、不思議なほど重なって見えた。


「そういえば……。」


レインは小さく呟く。


「あなた、少しだけ師匠に似ています。」


老婆の目がわずかに細くなる。


「師匠?」


「はい。」


「名前は?」


レインは迷わなかった。


学園長にも一度だけ明かした名。


決して軽々しく口にしてはいけない、その人物の名を静かに告げる。


その瞬間だった。


部屋から音が消えた。


老婆は完全に動きを止めている。


数秒。


まるで時間そのものが止まったような静寂が続く。


そして次の瞬間――。


「あっはっはっはっはっ!」


腹を抱えるような大笑いが部屋中へ響き渡った。


その笑い声は表の店まで届き、店番をしていた少女が思わず顔を上げるほどだった。


「あの馬鹿……!」


「まだ生きてたのかい!」


笑いながら何度も机を叩き、涙まで浮かべる。


「しかも子育てだって!? あっはっはっ!」


ひとしきり笑い終えた老婆は、何度か深呼吸を繰り返してようやく息を整えた。


「最後に会ったのは……三十年ほど前だったかね。」


懐かしそうに天井を見上げる。


そう呟くと、老婆はゆっくり立ち上がり、壁へ掛けてあった黒いローブを羽織る。


「一時間だけ待ってな。」


「え?」


「カルドニア王国のことだったね。」


それだけ言い残し、老婆は部屋を出ていった。


静かに閉じられた扉を見つめながら、レインは何が起きたのか理解できないまま、小さく息を吐いた。

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