ノルガルト侯国第二都市ベルクハイム
四日目の昼過ぎ、一行はノルガルト侯国第二都市、ベルクハイムへ到着した。
王都に次ぐ規模を誇る商業都市として知られる街だが、レインが最初に感じたのは活気ではなく、戦時下特有の張り詰めた空気だった。
城門では通常より多くの兵士が荷馬車を一台ずつ止め、積荷を細かく検めている。鎧の擦れ合う音が絶えず響き、荷を運ぶ商人たちも急かされるように足早に行き交っていた。
街へ入ってからもその印象は変わらない。
露店には客が集まり、市場も賑わっている。だが、その脇を巡回兵が途切れることなく歩き、武具屋の前には長い列ができていた。
店先へ並べられた槍や盾は次々と荷車へ積み込まれ、軍の兵士が運び去っていく。
広場では徴兵官が若者たちへ説明を行い、その隣では新兵らしき集団が汗を流しながら行進訓練を繰り返していた。
戦争はまだ始まっていない。
それでも、この街はすでに戦場へ向けて動き出していた。
「思っていた以上ですね」
レインが静かに呟く。
「ああ」
ナルも街並みを見渡した。
「以前はもっと自由な空気だった。数年でここまで変わるとはな」
それ以上は互いに何も言わなかった。
原因が何なのか、二人とも理解していたからだ。
商団は予定どおり商業区の大きな倉庫へ入り、荷降ろしを始める。
ガストンは一通りの指示を終えると、レインとナルの元へ歩いてきた。
「ここまでだな」
「世話になりました」
ナルが軽く頭を下げる。
「こちらこそ助かった。お前が一緒だったおかげで、道中も安心だったわい」
ガストンはレインへ視線を向けた。
「若いの」
「はい」
「ナルが連れてきた以上、お前も普通の護衛じゃないんだろう。だが、どんな仕事でも命あってのものだ。無茶だけはするな」
レインは静かに一礼する。
「ありがとうございます」
「それでいい」
ガストンは満足そうに頷くと、そのまま商団員たちの方へ戻っていった。
少し離れた場所では、第三隊護衛団長グレッグ・バートンが出発の準備を進めている。
荷を積み終えたところでレインへ気付き、大きな手を上げた。
「レイン」
「グレッグさん」
「ロイのこと、教えてくれてありがとな」
「また会ったら伝えておきます」
「ああ、頼む」
どこか照れくさそうに笑うと、グレッグは仲間たちの輪へ戻っていった。
それを見送りながら、ナルが歩き出す。
「じゃあ行くか」
「どちらへ?」
「表で手に入る情報は限られる。まずは裏へ行く」
二人は商業区を離れ、人通りの少ない裏路地へ足を踏み入れた。
石畳はところどころ欠け、建物の壁にはひびが走る。
表通りでは見かけなかった浮浪児や傭兵崩れが軒先へ腰を下ろし、通り過ぎる人間を値踏みするような目で見つめていた。
さらに奥へ進む。
細い路地へ入ったところで、三人の男が道を塞ぐように姿を現した。
「兄ちゃんたち、この先は通行料がいるんだ」
下卑た笑みを浮かべる男の後ろから、さらに数人。
建物の陰や路地裏から次々と人影が現れ、気付けば十数人の男たちが二人を取り囲んでいた。
誰もが剣や短剣を腰へ下げ、その目には獲物を見つけた獣のような色が宿っている。
レインは周囲を一度だけ見回すと、静かにナルへ視線を向けた。
「任せても?」
「面倒だな」
ナルは小さく息を吐き、一歩だけ前へ出る。
その瞬間だった。
空気が変わった。
重く、息苦しいほどの威圧感が路地全体を覆う。
先頭に立っていた男が息を呑み、顔色を失った。
「な、なん……」
言葉は最後まで続かなかった。
膝が崩れ落ちる。
それを合図にしたかのように周囲の男たちも次々と地面へ倒れ込み、短剣を取り落とし、震え始めた。
中には意識を失う者までいる。
誰一人として立っていられなかった。
ナルは興味を失ったように口を開く。
「消えろ」
しかし返事はない。
腰が抜け、逃げ出すことすらできなかった。
その様子を見てレインは苦笑する。
「腰が抜けて動けないみたいですね」
「……そうか」
ナルは肩を竦め、そのまま歩き出した。
二人は倒れた男たちの間を何事もなかったように通り抜ける。
背後から声が掛かることは、一度もなかった。
路地を抜けた先に、一軒だけ異様な空気を纏う建物が姿を現す。
黒ずんだ石造りの二階建て。
分厚い木の扉には無数の剣傷が刻まれ、昼間だというのに中からは酒と煙草の臭い、怒号と笑い声が絶え間なく漏れ聞こえてくる。
入口の看板には、大きく一つだけ店名が刻まれていた。
《黒犬亭》
ナルは懐かしそうにその看板を見上げ、小さく笑う。
「まずはここからだ」
そう言って扉を押し開けると、レインも静かにその後へ続いた。




