ミルデン10
ナルと別れた後、レインは再びミルデンへ向かった。
一方その頃、ナルも森を抜けて北へ進んでいた。
向かう先はカルドニア王国南方軍の駐屯地である。
今回の依頼は失敗した。依頼主へ経緯を報告しなければならないし、何も告げず姿を消せば、余計な疑いを招くだけだ。傭兵として長く生きてきたナルは、そうした立ち回りを誰より理解していた。
数日後。
駐屯地の一室で、ナルは今回の作戦について簡潔に報告していた。
「情報が漏れていた可能性が高いな」
酒を一口あおりながら呟くと、居並ぶ将校達の表情が険しくなる。
「漏れていただと?」
「ああ。ミルデンは最初から待ち構えていた。工作員が動いた瞬間、街中から兵士が一斉に飛び出してきた。あれは偶然じゃない」
それは紛れもない事実だった。
もっとも、全てを話したわけではない。
レインの存在だけは伏せる。
その代わり、ナルは別の事実を用意していた。
「それと、アルディア側も相当慌てていたみたいだ」
「どういう意味だ」
「超越者がいた」
室内の空気が一変する。
「ミルデンへ急行してきたんだろう。俺も危うく見つかるところだった」
もちろん嘘である。
だが、これでいい。
『アルディアの超越者が介入した』
そう思わせておけば、カルドニア側は存在しない人物の調査へ人員を割く。少なくとも、レインへ疑いが向くことはない。
将校達も納得したように頷いた。
ミルデンがあれほど完璧に対応できた理由として、不自然ではなかったからだ。
報告を終えたナルは駐屯地を後にする。
人目のない街道へ出ると、大きく背伸びをした。
「さて」
自然と口元が緩む。
「次はアルディア王都か」
あの少年との約束は忘れていない。
しばらくカルドニア側で情報を集め、その後アルディア王都で落ち合う手筈になっている。
元冒険者であり、今は傭兵。
国境を越えることなど日常茶飯事だった。
「……久しぶりに面白い依頼を受けたな」
苦笑を漏らしながら、ナルは再び歩き出した。
その頃、レインはミルデンへ戻っていた。
戦闘終結から半日以上が過ぎ、街は混乱の中にも少しずつ落ち着きを取り戻し始めている。
焼けた建物の周囲には臨時の天幕が並び、家を失った住民達が身を寄せていた。大鍋では炊き出しが行われ、温かな湯気と食事の匂いが街へ広がっている。
負傷者も少なくはない。
だが、レインが想像していたほど被害は深刻ではなかった。
神官や治癒術師達が休む間もなく治療を続け、軽傷者はすでに歩き回れるほど回復している。
そして何より、住民に死者は出ていなかった。
工作員が動き出す前に警戒態勢を敷き、重要施設だけでなく民家周辺にも兵士を配置していた。その判断が、多くの命を救ったのである。
街を歩いていると、その理由が自然と伝わってくる。
避難民を誘導する兵士。
幼い子どもを肩車して安心させる兵士。
炊き出しを配りながら住民へ声を掛ける兵士。
住民達も兵士へ礼を述べ、笑顔を返していた。
ミルデン兵は、この街を守る軍隊である前に、この街で暮らす人々の一員だった。
だからこそ互いに信頼がある。
その光景を見つめていたレインは、瓦礫を運ぶ兵士へ歩み寄った。
「手伝います」
兵士は少し驚いたように振り返る。
「学生だろ?」
「手が空いていますので」
その返答に兵士は笑った。
「なら遠慮なく頼む」
結局、レインも夕方まで復旧作業へ加わることになった。
焼け落ちた木材を運び、崩れた壁を片付ける。
地味な仕事だが、人手はいくらあっても足りない。
周囲を見渡せば、他の一年Sクラスもそれぞれ動いていた。
アイリスは神官達の手伝いをしながら負傷者の世話をしている。
ラグナは兵士達と肩を並べ、誰よりも大きな瓦礫を運び続けていた。
シルヴィアは炊き出しを手伝い、セドリックやレオニス達も街の復旧へ汗を流している。
誰一人休もうとはしなかった。
昨日まで実地訓練を受けていたことを忘れるほど、全員が自然に身体を動かしていた。
日が完全に沈む頃、一年Sクラスは宿舎の会議室へ集められた。
服には煤や泥が付き、全身には一日の疲労が色濃く残っている。
それでも誰一人欠けることなく席へ着いた。
この数日で経験した出来事は、それほどまでに濃密だった。
やがてアルドが入室する。
川沿いの戦いから戻ったばかりなのだろう。鎧や外套には戦闘の痕跡が残っていた。
室内が静まり返る。
アルドは生徒達を見渡し、短く告げた。
「報告を行う」
それだけで空気が引き締まる。
「本日のミルデン襲撃は完全に鎮圧された。市街地へ潜伏していた工作員は全員排除。川を渡ってきた武装集団も壊滅している」
安堵の空気が流れる。
しかしアルドはそこで終わらせなかった。
「勘違いするな」
その一言で会議室の空気が再び張り詰める。
「今回の敵は強かった」
誰も反論しない。
街で戦った兵士達の姿を見れば、それは誰もが理解できる。
工作員達は放火と同時に各所で行動を開始し、撤退経路まで用意していた。川を渡ってきた部隊も、盗賊や山賊とは比べものにならない統率を見せていた。
「何の準備もなく襲撃を受けていれば、結果は違っていただろう」
アルドは窓の外へ目を向ける。
まだ街では復旧作業が続いていた。
「敵の狙いは街を混乱させ、守備兵を分散させた上で兵站を破壊することだった。作戦そのものは理にかなっている」
一拍置き、生徒達を見渡す。
「だが今回は違った」
「こちらが先に敵を知った」
その一言だけで十分だった。
敵より先に動き、準備を終えていた。
それだけで戦いの勝敗は決していたのである。
「情報を持つ者が勝つ。先に動いた者が勝つ。相手より早く準備を終えた者が勝つ。それが戦場の現実だ」
誰も口を開かない。
今日見てきた全ての光景が、その言葉を裏付けていた。
「お前達は騎士を目指している」
アルドの声は静かだった。
「なら覚えておけ。剣を振るうことだけが騎士の務めではない。街を守り、兵站を守り、民を守る。その全てが騎士の仕事だ」
短い講話だった。
だが、その言葉は一年Sクラス全員の胸へ深く刻まれていた。
「以上だ。今日は休め」
その一言で会議は終わる。
疲れ切った生徒達は部屋を後にし、それぞれの部屋へ戻っていった。
レインも窓際へ立ち、夜のミルデンを見下ろす。
炊き出しの火が揺れ、兵士達はなお復旧作業を続けている。
街は傷付いた。
それでも、人々の心は折れていなかった。
ベッドへ身体を預けた瞬間、張り詰めていた意識が一気に解ける。
激動の一日が終わった。
レインは静かに目を閉じる。
その頃にはすでに、北方各地で新たな命令が動き始めていた。




