ミルデン5
「この件は誰にも話すな」
レインが頷くと、アルドは机の上へ広げられていた地図を静かに丸め、立ち上がった。
森で発見した野営地だけなら、まだ判断の余地はある。
だが、補給施設へ集中して付けられた印。そして街の内部事情を知る者でなければ把握できない情報まで記されていた以上、看過できる話ではなかった。
もしレインの推測が正しければ、本当に警戒すべき相手は森へ潜む二百余りの兵ではない。
すでにミルデンへ入り込んでいる潜伏者たちだ。
「グレアムの所へ行く。お前も来い」
「了解です」
二人は部屋を出て司令部へ向かった。
夜も更けていたが、司令部にはまだ多くの兵士や文官が慌ただしく行き交っている。
国境都市に夜という概念はない。
補給は昼夜を問わず続き、前線もまた止まることはないからだ。
入口の兵士たちはアルドの姿を見るなり敬礼し、そのまま最上階の指揮官室へ案内した。
扉が開く。
室内には副司令官グレアムと総指揮官ガレスの姿があった。
机の上には大量の書類と地図が積まれ、二人ともまだ執務の途中らしい。
「急な呼び出しだな」
ガレスはそう言ったものの、アルドの表情を見ると笑みを消した。
「……何があった」
アルドは短く答える。
「報告がある」
そう言って隣のレインへ視線を向けた。
「話せ」
その一言で、ガレスとグレアムの視線もレインへ集まる。
騎士学校の生徒が深夜に指揮官室へ連れて来られる。
普通ならあり得ない状況だった。
「説明してもらおうか」
ガレスが問うと、アルドは落ち着いた口調で答えた。
「学園長の指示だ。情報部の指示で今回の実習へ同行していた。詳しい説明は不要だろう」
二人は一瞬だけ視線を交わす。
それ以上は聞かなかった。
軍には聞かない方がいい話もある。
重要なのは肩書きではない。
持ち込まれた情報の価値だった。
「……聞こう」
ガレスが促す。
レインは森で見たものを順を追って報告した。
最初の野営地を発見した経緯。
周辺を捜索し、六か所の野営地を確認したこと。
推定人数。
警戒態勢。
そして指揮官用天幕へ侵入し、地図から読み取った内容までを簡潔に説明していく。
話が進むにつれ、グレアムの表情から余裕が消えていった。
「野営地はいくつ確認した」
「六か所です」
「人数は」
「二百から三百程度と思われます」
その数字にガレスは腕を組んだ。
少ない。
ミルデンを攻略するには明らかに兵力不足だ。
しかし、それが目的でなければ話は変わる。
「地図には何が記されていた」
「倉庫街、食料庫、補給路、橋、給水施設です」
「城壁は」
「ほとんど印はありません」
「兵舎は」
「少数です」
重い沈黙が流れた。
ガレスは机の地図へ視線を落とす。
二百や三百で城は落とせない。
だが、倉庫を焼き払うことはできる。
橋を破壊することもできる。
補給路を混乱させることも可能だ。
「……兵站狙いか」
誰も否定しなかった。
それ以外に考えられなかったからだ。
レインはさらに続ける。
「もう一つあります。街の中にも潜伏している者がいる可能性が高いと思います」
ガレスの目が細くなった。
レインは地図に記されていた印の位置を説明する。
外からでは分からない補給経路。
倉庫内部の配置。
市場周辺へ集中した印。
それらを踏まえれば、内部協力者、あるいは潜伏者が存在すると考える方が自然だった。
話を聞き終えたグレアムは窓の外へ目を向ける。
夜のミルデンは普段と何も変わらない。
倉庫街には灯りが残り、荷馬車が静かに行き交っている。
だが今は、その平穏な景色がまったく違って見えた。
「いつ動くと思う」
その問いに、レインは迷わず答えた。
「早ければ今夜。遅くとも明日には動くと思います」
再び室内が静まり返る。
すでに集結は終わり、内部協力者もいる。
準備が整っている以上、時間を置く理由はない。
ガレスはゆっくりと立ち上がった。
「警戒態勢を一段引き上げる」
その一言に部屋の空気が引き締まる。
「ただし相手には気付かせるな」
グレアムが真剣な表情で頷いた。
「倉庫街、補給路、橋、給水施設の警備を増やせ。巡回も倍にする」
「理由はどうします」
「夜間訓練と設備点検だ。普段通りに動け。検問も増やすな。不自然な動きは敵へ知らせるだけだ」
「承知しました」
グレアムはすぐさま部下へ指示を飛ばすため部屋を出て行った。
司令部全体が静かに動き始める。
誰一人として慌てない。
兵の配置だけを少しずつ変え、巡回経路を見直し、倉庫街へ増援を送り込む。
すべては普段の業務を装ったまま。
敵へ警戒を悟らせないためだった。
レインは窓の外へ目を向ける。
夜のミルデンは何も変わらない。
商隊は動き、倉庫では荷下ろしが続き、兵士たちはいつも通り持ち場を巡回している。
だが、その裏では街全体が静かに戦闘態勢へ移りつつあった。
あとは敵がいつ動くか。
その瞬間を待つだけだった。




