ミルデン4
レインはその場を離れなかった。
木陰へ身を潜めたまま視線だけを動かし、空き地全体を観察する。
最初に見つけた野営地だけでも十分異様だった。だが時間が経つほど、その違和感は強まっていく。
男たちの動きに無駄がない。
焚き火を囲んで騒ぐ者も、暇を持て余して寝転ぶ者もいない。見張り、巡回、物資の整理、武器の手入れ。それぞれが役割を持ち、黙々と動いている。
商隊ではない。
傭兵団とも違う。
少なくとも、普通の集団ではなかった。
しばらく様子を見届けると、レインは音もなく後退した。
そして森を大きく迂回しながら周辺の捜索を始める。
十分ほど歩いた先で二つ目の野営地を発見。
さらに三つ目。
四つ目。
どの野営地も互いに見えない位置へ巧妙に配置されていた。しかし距離や方角を見れば、相互に連携することを前提としているのは明らかだった。
レインは高い木へ登り、枝葉の隙間から森全体を見渡す。
そこでようやく全体像が浮かび上がった。
野営地は一つではない。
森全体へ散開している。
一つ。
二つ。
三つ。
四つ。
五つ。
六つ。
確認できただけでも六か所。
どれも三十人前後、多くても五十人程度の規模しかない。
全体でも三百人には届かないだろう。
その事実が、かえって不気味だった。
この人数ではミルデンは落とせない。
城壁も突破できず、駐屯軍とも正面から戦えない。
それでも危険な魔物地帯へこれだけの人員を潜ませている。
――目的が違う。
レインは木から降りると、最初の野営地へ戻った。
今度はさらに慎重に距離を詰める。
見張りの配置。
巡回の間隔。
交代の時間。
死角になる場所。
一つずつ確認しながら前進する。
相手も訓練された兵士だ。
だが、レインもまた普通の人間ではなかった。
見張りが交代し、一瞬だけ中央への視線が途切れる。
そのわずかな隙を逃さず、レインは天幕の陰へ滑り込み、そのまま一際大きな天幕へ身を潜らせた。
内部は驚くほど簡素だった。
余計な装飾は一切なく、机と椅子、最低限の備品だけ。
まさに戦場の指揮所である。
レインは机へ視線を落とした。
そこに広げられていた地図を見た瞬間、目つきが変わる。
ミルデン周辺地図。
しかし重要なのは地図そのものではない。
そこへ書き込まれた印だった。
赤。
青。
黒。
倉庫街。
食料庫。
補給路。
橋。
城門。
給水施設。
街の重要施設ばかりへ印が付けられている。
一方で城主館や城壁には、ほとんど印がない。
その瞬間、レインは敵の狙いを悟った。
街を落とすつもりではない。
補給を止める。
倉庫を焼き払う。
橋を落とす。
各所で混乱を起こす。
それだけで十分なのだ。
ミルデンが数日でも機能を失えば、北方軍への補給は滞る。
食料は届かず、武具や薬も不足する。
前線は不安定となり、兵の士気は下がる。
大軍など必要ない。
むしろ少数精鋭だからこそ実行できる作戦だった。
レインは地図全体へ視線を走らせる。
持ち出すことはしない。
侵入が発覚すれば相手は即座に計画を変更する。
代わりに印の位置と色、配置を一つずつ頭へ刻み込んでいく。
さらに天幕の位置を基準に、各野営地との距離や方角も整理した。
だが、その途中でさらに大きな違和感を覚える。
印は外部施設だけではなかった。
市場。
倉庫内部。
城門付近。
一般人では知り得ない細かな場所にも印が付いている。
しかも複数だ。
森へ潜む者だけで集められる情報ではない。
レインは静かに息を吐いた。
なるほど。
そういうことか。
森に潜む三百人余りは主力ではない。
襲撃部隊ですらない。
あくまで外側から動く部隊。
本当に危険なのは、すでに街へ入り込んでいる者たちだった。
商人。
護衛。
避難民。
労働者。
姿は分からない。
だが確実に潜伏している。
そうでなければ、ここまで詳細な情報は得られない。
必要な情報をすべて記憶すると、レインは地図を元の位置へ戻し、天幕を静かに後にした。
森を抜ける途中、立ち止まって携帯していた小さな紙を取り出す。
記憶が鮮明なうちに、六つの野営地の位置関係と周辺地形を簡潔な地図へ書き留めた。
これだけあれば、捜索部隊は位置を特定できる。
書き終えると紙を懐へしまい、再び歩き出す。
川を渡り、ミルデンへ戻る頃には空が赤く染まり始めていた。
城壁では兵士たちが見張りを続け、城門には商隊が列を作っている。
誰が見ても平和な光景だった。
だが今のレインには違って見える。
あの商隊の中にいるかもしれない。
市場で荷を運ぶ労働者の中にいるかもしれない。
避難民として紛れ込んでいるかもしれない。
敵は森だけにいるのではない。
すでに街の中へ入り込んでいる。
そう考える方が自然だった。
夜。
情報共有の時間になっても、レインはこの件を口にしなかった。
クラスメイトが集めた情報は有益だった。
だが、この話は別である。
確証もない段階で共有すれば、不必要な混乱を招くだけだった。
共有会が終わると、レインは静かに席を立つ。
向かった先はアルドの部屋だった。
短く扉を叩く。
「入れ」
低い声が返る。
レインは中へ入り、前置きもなく報告を始めた。
森で発見した六つの野営地。
推定人数。
野営地の配置を書き起こした簡易地図。
地図に記されていた重要施設への印。
そして、街内部へ潜伏している者がいる可能性。
アルドは最後まで一言も挟まず耳を傾けた。
やがて小さく息を吐く。
「……面倒なことになったな」
驚きではない。
最悪の可能性を裏付けられた者の声だった。
「この件は誰にも話すな」
「了解です」
アルドはしばらく考え込んだ後、静かに立ち上がる。
「グレアムには私から伝える。お前も来い」
レインが頷くと、アルドは続けた。
「向こうには、情報部の指示で実習へ同行していた人間だと説明する。余計なことは話すな。見たままを、そのまま報告しろ」
「分かりました」
二人は部屋を後にした。
どうやら今夜は、長くなりそうだった。




