ミルデン3
翌朝、一年Sクラスはミルデン駐屯地へ集められていた。
補給隊の兵士たちは荷馬車の間を忙しく走り回り、倉庫では労働者たちが次々と木箱を運び込む。文官たちは山のような書類を抱え、各部署を慌ただしく行き来していた。
戦場から遠く離れた都市のはずなのに、その光景は前線と変わらぬ緊張感に包まれている。
「これより各部署へ振り分ける」
グレアムの声とともに、生徒たちの名前が次々と呼ばれていく。
ラグナたちは補給倉庫。
アイリスたちは物資管理。
別の生徒たちは文官の補助や帳簿整理へ。
貴族だからといって特別扱いはない。荷運びもあれば事務仕事もある。将来、兵を率いる立場になる者だからこそ、軍がどう動き、何によって支えられているのかを自ら知れ――そんな意図が伝わってきた。
やがて全員の配置が決まり、最後までその場へ残ったのはレインだけだった。
グレアムが不思議そうに首を傾げる。
「お前はどうする?」
レインは静かにアルドへ視線を向けた。
「教官、単独行動の許可をいただきたいです」
その一言で周囲の空気がわずかに変わる。
実習中に単独行動を願い出る生徒など普通はいない。
グレアムも眉をひそめたが、アルドは驚く様子もなく問い返した。
「理由は」
「確認したいことがあります」
短い返答だった。
数秒だけレインを見つめたアルドは、小さく頷く。
「許可する」
即答だった。
グレアムが目を丸くする。
だがアルドは理由を説明せず、レインも深く一礼すると、そのまま駐屯地を後にした。
昨日一日、街を歩いて感じたことがある。
ミルデンの人間は皆、北を見ている。
商人も兵士も、傭兵も街の住民も。
話題は国境、前線、カルドニア王国へと自然に繋がっていた。
だが、レインの胸には一つだけ拭えない違和感が残っていた。
もし自分が敵ならどう動くか。
真正面から北方軍へ挑むだろうか。
答えは否だった。
二万を超える兵が集まる戦場へ正面からぶつかる利はない。
ならば狙うべき場所はどこか。
昨日、倉庫街で目にした膨大な物資と、今朝も途切れることなく北へ向かっていた荷馬車の列を思い返す。
答えは自然と一つへ辿り着いた。
――ミルデン。
北方軍を支える兵站都市。
食料も武具も薬も、すべてこの街を経由して前線へ送られている。
この街が止まれば、前線も止まる。
だからこそ、商人たちが何気なく口にしていた話が頭から離れなかった。
橋が壊れている。
修理は後回し。
危険な魔物が多く、誰も使わない道。
普通なら聞き流して終わる話だ。
だが、その「誰も使わない」という言葉に、レインの思考は引っ掛かった。
本当に、誰も使わないのか。
城門を抜けると、レインは南西へ続く旧街道へ足を向けた。
街から離れるにつれ人影は減り、周囲は深い森と岩場だけになる。
それでも道そのものは残っていた。
放置された荷車の残骸。
崩れかけた道標。
かつて多くの人々が行き交っていた名残が、ところどころに残されている。
見張り台もあった。
だが配置されている兵士はごく少ない。
しばらく歩くと川へ出た。
橋は噂どおり中央部分が大きく崩れ落ち、荷馬車は通れそうにない。
しかしレインは足を止めなかった。
周囲を見回すと、少し下流に浅瀬がある。
流れは速いが、人が渡れないほどではない。
迷うことなく川へ踏み込む。
冷たい水が膝まで達する。
流れをものともせず対岸へ渡り切ると、景色は一変した。
森はさらに深くなり、人の手が入った痕跡は消える。
代わりに濃くなったのは魔物の気配だった。
木々の間で何かが動く。
獣臭が風に混じる。
低いうなり声も聞こえてきた。
やがて茂みから狼型の魔物が姿を現す。
その瞬間、レインはほんのわずかだけ覇気を解放した。
魔物の身体が硬直する。
本能だけで理解したのだ。
目の前の人間には決して近づいてはならないと。
狼型の魔物は尾を巻くように森の奥へ逃げ去った。
その後も数体の魔物と遭遇したが、戦闘になることは一度もなかった。
三十分ほど歩いた頃、不意に風向きが変わる。
レインは足を止めた。
微かに漂う煙の臭い。
焚き火だ。
こんな場所で。
気配を消しながら慎重に近づくと、木々の隙間から小さな空き地が見えた。
その瞬間、レインは反射的に身を低くする。
空き地には十を超える天幕が並んでいた。
周囲には武装した男たちが立っている。
商隊ではない。
狩人でもない。
男たちは無駄話ひとつせず、一定間隔で周囲を警戒し、交代しながら見張りを続けていた。
その動きは、訓練された兵士そのものだった。
レインは木陰から静かに様子をうかがう。
数十人はいる。
問題は人数ではない。
ここはミルデンから決して遠くない場所だ。
それにもかかわらず、公国軍はこの拠点を把握していない。
把握しているなら、放置する理由がない。
つまり――まだ見つかっていない。
レインは静かに目を細めた。
昨日から胸に引っ掛かっていた違和感が、ようやく一つの形になろうとしていた。




