ミルデン1
巨大な城門をくぐった先で一年Sクラスを待っていたのは、フェルド公国軍の騎士たちと数名の文官だった。
城門前では荷馬車が幾重にも列を作り、商人たちが忙しなく荷を運び込んでいる。
国境地帯最大の交易都市――事前にそう説明は受けていた。
だが、実際に目の当たりにすると、その規模は想像を大きく上回っていた。
人口三万。
フェルド公国最大の都市。
そして北方国境地帯を支える最大の兵站都市。
それがミルデンである。
城門を抜けても荷馬車の流れは途切れない。
穀物を満載した荷車。
武具を積んだ商隊。
厳重な護衛に囲まれた薬品運搬用の馬車。
街そのものが巨大な物流拠点として動き続けていることは、一目で理解できた。
「思ったよりでけぇな」
ラグナが感心したように周囲を見回す。
「公国最大の都市だからね」
シルヴィアも街並みへ目を向けながら答えた。
「王都ほどじゃないけど、フェルド公国の経済も軍事も、この街が支えていると言っていいわ」
「軍事って感じはあんまりしねぇけどな」
ラグナの言葉へ、小さな笑い声が返ってきた。
「それは平和に見えるよう努力しているからだ」
声の主は四十代半ばほどの男だった。
灰色の髪を短く整え、日に焼けた顔には幾筋もの古傷が残っている。無駄のない体つきは、一目で歴戦の軍人だと分かった。
フェルド公国軍ミルデン駐屯隊副隊長。
グレアム・ラウザー。
今回、一年Sクラスの実習を担当する責任者だった。
「ようこそミルデンへ。歓迎する」
簡潔な挨拶を終えると、グレアムはすぐ本題へ入る。
「諸君らの宿舎は軍用施設を使用する。本来なら市内の宿を確保する予定だったが、現在は避難民と商隊でどこも満室だ」
一年Sクラスの面々は自然と顔を見合わせた。
避難民。
その言葉が当たり前のように出てくること自体、この街が置かれている状況を物語っていた。
案内された宿舎は城壁内に建つ二階建ての石造建築だった。
豪華さはない。
だが掃除は行き届き、軍用施設らしく無駄なく整えられている。
荷物を置く時間だけ与えられると、すぐに再集合が命じられた。
「まずは街を見てもらう」
グレアムが一同を見回す。
「騎士学校からも、それが今回の実習の第一目的だと聞いている」
その場にはアルドの姿がなかった。
ミルデン到着後すぐ別任務へ向かったらしく、詳細は明かされていない。ただ学校側から命じられた任務がある、とだけ伝えられていた。
もっとも、一年Sクラスの誰も気にしてはいない。
アルドは元々、必要以上に生徒へ干渉する教師ではなかった。
一行はグレアムの案内で街を歩き始める。
最初に向かったのは倉庫街だった。
巨大な石造倉庫が何十棟も立ち並び、その前では荷馬車が絶え間なく出入りしている。
労働者たちは汗を流しながら荷を運び、各倉庫では兵士と文官が積荷を確認していた。
積み上げられているのは穀物、保存食、武器、防具、薬品。
戦場を支えるあらゆる物資が、ここへ集められている。
「すげぇな……」
ラグナが思わず声を漏らす。
グレアムは静かに頷いた。
「北方で活動する公国軍と騎士団、その両方を支える補給物資だ」
「こんなに必要なんですか?」
アイリスが尋ねる。
「足りんくらいだ」
返答は即答だった。
「剣が折れても兵は戦える。防具が壊れても戦える。だが、食料が尽きれば軍は終わる」
その言葉には、実際に補給を預かってきた者だけが持つ重みがあった。
レインは倉庫街を見渡す。
膨大な物資。
それを管理する人々。
休むことなく行き交う荷馬車。
戦争とは剣や魔法だけで成り立つものではない。
その現実が、この光景だけで伝わってくる。
「軍を勝たせるのは英雄だけじゃない」
グレアムは倉庫群を見回した。
「補給もまた、戦場を支える力だ」
シルヴィアは興味深そうに倉庫群を眺めている。
一方のラグナは複雑そうな表情だった。
思い描いていた戦場とは、あまりにも違っていたのだろう。
その後、一行は市場へ足を運んだ。
呼び込みをする商人。
値段を交渉する客。
行き交う荷馬車。
一見すれば活気ある交易都市そのものだ。
しかし注意して見れば違和感がある。
武器商人の店が多い。
護衛を伴う商隊が異様に目立つ。
巡回する兵士の姿も途切れない。
レインは何気なく街を歩く人々へ視線を向ける。
誰もが普通に暮らしている。
それでも、その表情にはどこか余裕がなかった。
平和ではある。
だが、安心はしていない。
そんな空気が街全体へ静かに広がっていた。
市場を抜けると、今度は避難民が暮らす区画へ案内される。
そこだけ街の雰囲気は一変した。
広場一面へ張られた無数の天幕。
幼い子どもを抱く母親。
年配の男女。
疲れ切った表情で焚き火を囲む人々。
遊ぶ気力すら失った子どもたち。
その光景を目にした瞬間、一年Sクラスの空気が変わる。
誰も口を開かなかった。
盗賊被害を受けた村も見てきた。
アーマーベアに脅かされる村も経験した。
だが規模が違う。
数百人もの人々が、一度に故郷を失っている。
「最近増えたんですか?」
アイリスが静かに尋ねる。
グレアムは短く頷いた。
「三か月前と比べれば倍以上だ」
それだけで十分だった。
国境で続く小競り合いが、決して遠い場所の出来事ではないと理解するには。
日が傾き始めた頃、一行は最後に城壁の上へ案内された。
眼下にはミルデンの街並みが広がっている。
倉庫街。
市場。
避難民区画。
駐屯地。
そして北へ延びる街道を埋め尽くす無数の荷馬車。
夕日に照らされた街は美しかった。
だが、その美しさの奥には戦場を支える重責が横たわっている。
グレアムは街を見下ろしたまま静かに口を開く。
「ここは戦場じゃない」
誰も言葉を返さない。
「だが、戦場を支える街だ」
その意味を、一年Sクラスはようやく理解し始めていた。
兵士が戦う前に食料がいる。
武器がいる。
馬がいる。
傷つけば薬がいる。
そのすべてが、この街を通って前線へ届けられる。
戦争は、前線だけで行われるものではない。
その現実を胸へ刻みながら、一行は宿舎への帰路についた。
街にはゆっくりと夜の帳が降り始めていた。
それでもミルデンは眠らない。
城門では到着したばかりの商隊が次々と入城し、荷馬車の列は夜になっても途切れることがなかった。
その様子を何気なく眺めていたレインの視線が、不意に一団の護衛で止まる。
十人ほどの集団。
どこにでもいる商隊護衛に見えた。
だが違和感があった。
歩幅が揃い過ぎている。
互いの間隔も一定で、視線は周囲を警戒しながら自然に死角を補い合っていた。
訓練された兵士の動きだった。
さらに先頭を歩く男の馬具には、見慣れない紋章が刻まれている。
ほんの一瞬。
男たちは人混みへ紛れ、その姿は見えなくなった。
レインはしばらく城門を見つめていたが、やがて静かに歩き出す。
思い過ごしかもしれない。
そう判断したからだ。
だが胸の奥には、小さな違和感だけが残っていた。
その違和感が、後にアルディア王国とカルドニア王国の未来を揺るがす出来事へ繋がっていくことを、この時のレインはまだ知らなかった。




