アルディア王国
実地訓練の詳細説明が終わると、王立騎士学校は慌ただしく動き始めた。
一年最後の実地訓練は毎年行われる恒例行事だ。教師達も生徒達も存在自体は知っている。しかし実際に参加するとなれば話は別だった。派遣先の確認、装備の点検、野営道具の準備、移動経路の最終確認。校内のあちこちで忙しそうに人が動いている。
そして五日後の早朝。
まだ空が白み始めたばかりの時間、一年生達は正門前へ整列していた。
AクラスからDクラス、そして一年Sクラス。各クラスごとに隊列を組み、それぞれ異なる派遣先へ向かう。二年生達も見送りに出ており、校門周辺は普段以上の賑わいだった。
「行ってこいよ」
「死ぬなよ」
「だから死なねぇって」
各クラスそんなやり取りが聞こえる。
毎年行われる実地訓練だ。危険はあるが、学生を戦場へ放り込むための行事ではない。むしろ騎士候補生として世界を知るための教育課程に近かった。
やがて出発の号令が響く。
一年Sクラスもアルドを先頭に王都を後にした。
王都を出て最初の数日は見慣れた景色が続いた。広大な農地、整備された街道、豊かな村々。アルディア王国が西大陸有数の大国と呼ばれる理由がよく分かる光景だった。
しかし北へ進むにつれ風景は少しずつ変わっていく。
街道を行き交う商隊は増え、騎士団の巡回部隊とも頻繁にすれ違うようになった。さらに北上すると荷馬車の列が目立ち始める。積まれているのは穀物、武具、薬品、建材。どれも軍が必要とする物資ばかりだった。
「思ったより多いな」
荷馬車の列を見ながらラグナが呟く。
隣を歩いていたシルヴィアが視線を向けた。
「北方へ向かう補給物資でしょうね」
「小競り合いなんだろ?」
「小競り合いだからよ」
シルヴィアは当然のように答える。
「戦争じゃないからこそ長引くの。終わりが見えない争いほど補給を消耗するものよ」
ラグナは難しい顔をした。
あまり理解していないらしい。
レインは前を歩きながら黙って聞いていた。
実際、北へ向かうほど街道の空気は変わっていた。表面上は平和である。しかし王都周辺にはなかった緊張感が確かに存在する。兵士の数が増え、商人達の表情もどこか忙しない。
その変化が最も分かりやすく現れたのは八日目だった。
街道脇の広場に大きな天幕群が並んでいたのである。
最初は野営地かと思った。
しかし近付くにつれ違うと分かる。
子供がいる。
老人がいる。
家財道具を抱えた人々がいる。
避難民だった。
一年Sクラスの生徒達も自然と足を止める。
そこには盗賊に襲われた村人もいれば、農地を捨てて逃げてきた農民もいた。
戦争ではない。
だが争いの影響は確実に存在していた。
アイリスはしばらく彼らを見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「本当にいるのね」
誰に言ったわけでもない言葉だった。
教科書では何度も見ている。
授業でも学んでいる。
しかし実際に目の前で見るのは全く別だった。
アルドは特に説明しない。
ただ歩き続ける。
それだけで十分だった。
生徒達は自分の目で学んでいる。
そして十二日目の昼過ぎ。
長い旅路の果てに目的地が見えた。
最初に見えたのは巨大な城壁だった。
続いて無数の風車。
さらに城壁の外まで続く荷馬車の列。
「おい……」
ラグナが思ってる事は皆同じ気持ちだったからだ。
遠目にも分かる。
大きい。
想像していたより遥かに大きい。
フェルド公国最大都市ミルデン。
人口三万を超える北方最大の交易都市であり、同時に国境地帯最大の兵站都市でもある。
巨大な城門からは絶え間なく人と荷馬車が出入りしていた。
商人。
兵士。
職人。
傭兵。
旅人。
様々な人間が行き交っている。
活気に満ちているはずなのに、どこか空気が重い。
城壁近くには避難民用の天幕も見える。
騎士団の詰所もある。
さらにレインの目は別のものを捉えていた。
街へ入ろうとしている商隊。
その護衛。
城壁上の見張り。
巡回する兵士達。
誰もが周囲を警戒している。
戦場ではない。
だが平和でもない。
そんな曖昧な緊張感が街全体を包んでいた。
「ようこそミルデンへ」
城門前で待っていた騎士がそう言った。
その背後では再び荷馬車の列が街へ吸い込まれていく。
北方最大の兵站都市。
国境の全てが集まる街。
そして誰も知らない。
この街が、やがてアルディア王国とカルドニア王国を揺るがす大きな渦の中心になることを。




