国外へ
中央訓練場での説明を終え、一年生たちはそれぞれの教室へ戻っていた。
しかし、校舎の中を流れる空気は普段とは明らかに違う。
実地訓練そのものは毎年恒例の行事だ。だが、派遣先が北方国境地帯と聞かされれば話は別だった。廊下でも教室でも、その話題で持ちきりになっている。
一年Sクラスの教室も例外ではない。
普段なら誰よりも騒がしいラグナですら、今日は腕を組んだまま窓際の席へ腰を下ろしていた。
「北方か……。思ったより遠いな」
「王都から馬車で十日ほどよ」
すぐに答えたのはシルヴィアだった。
彼女は机へ広げた地図を指先でなぞる。
「ここがアルディア王国。そして、この北に三つの国が並んでいるわ」
レインたちも自然と地図へ視線を向けた。
アルディア王国は西大陸南西部に位置する六大国の一つだ。豊かな農地と発達した商業によって長年繁栄を続け、西部有数の国力を誇っている。
一方、その北側には三つの国家が横並びに存在していた。
東にノルガルト侯国。
中央にライゼン自由都市連合。
西にフェルド公国。
「三国とも独立国家だけど、立場は全然違うの」
シルヴィアはフェルド公国を指した。
「フェルド公国は昔からアルディア王国と友好関係にあって、交易で発展してきた農業国家よ」
続いて指先は東へ動く。
「反対にノルガルト侯国は、近年カルドニア王国との結び付きが強くなってる。軍事顧問や資金援助を受けているって噂もあるわね」
最後に中央を示す。
「そしてライゼン自由都市連合。ここは中立国家よ。アルディアともカルドニアとも取引を続けていて、どちらの陣営にも属していないわ」
「つまり、国境って言っても最初からカルドニア王国と向き合うわけじゃないのね」
アイリスが納得したように呟く。
シルヴィアも頷いた。
「ええ。六大国同士が直接国境を接している場所じゃないから、大規模な戦争にならずに済んでいるとも言えるわ」
その時だった。
教室の扉が開き、アルドが姿を現す。
一瞬で教室が静まり返った。
アルドは教壇へ立つと、生徒たちを見渡しながら口を開く。
「実地訓練の詳細を説明する」
全員が姿勢を正した。
「まず派遣先だが、お前たち一年Sクラスはフェルド公国最大都市ミルデンへ向かう」
黒板へ一枚の地図が貼られる。
示されたのはフェルド公国北部。
アルディアとの交易路が集中する、公国最大の商業都市ミルデンだった。
「最初に言っておく」
アルドは地図を軽く叩く。
「ミルデンは前線ではない」
ラグナが少しだけ肩を落とす。
「国境からは二日以上離れている。小競り合いが発生する地域ではあるが、戦場そのものではない」
その様子を見たアルドは、表情一つ変えずに続けた。
「勘違いするな。お前たちは学生だ。騎士団は学生を最前線へ送るほど困ってはいない」
教室に苦笑が広がる。
ラグナも頭をかきながら小さく笑った。
「主な任務は警備補助、巡回、補給管理、避難民支援、それに現地騎士団の補佐だ」
一見すると地味な仕事ばかりだった。
しかしアルドは続ける。
「現在のミルデンは北方最大の兵站拠点になっている」
その一言で教室の空気が変わった。
兵站。
軍を学ぶ者なら、その言葉の重みは理解している。
軍は剣だけでは戦えない。
食料、武器、防具、馬、治療薬、燃料――あらゆる物資が絶え間なく届けられて初めて戦える。
そして、それらの多くがミルデンを経由して北方各地へ運ばれていた。
「小競り合いが続いているからこそ、補給の重要性は増している。お前たちには、その現実を自分の目で見てもらう」
アルドは淡々と説明を続ける。
「現在のミルデンにはフェルド公国軍だけでなく、アルディア騎士団も駐屯している」
友好国の都市へアルディア騎士団が駐留している。
それだけ北方情勢が不安定になっている証だった。
「さらに最近は避難民も増えている」
シルヴィアが静かに手を挙げる。
「小競り合いの影響ですか?」
「そうだ」
アルドは短く頷いた。
「戦争は前線だけで起きるものではない。村が焼かれれば人は逃げる。商隊が襲われれば物流は止まり、農地が荒れれば食料も不足する」
教室は静まり返っていた。
盗賊討伐やアーマーベア討伐とはまったく違う。
国家同士の争いは、戦場に立つ兵士だけではなく、その土地に暮らすすべての人々へ影響を及ぼす。
アルドは再び地図へ目を向けた。
「お前たちはそこで騎士団の仕事を見ることになる」
静かな声だった。
「何度も言う、戦うことだけが騎士の仕事ではない。国を守るとは何か。軍を維持するとは何か。実地訓練では、それを学べ」
説明はそれだけだった。
だが、一年Sクラスの誰もが、その言葉の重みを感じ取っていた。
もっとも、彼らはまだ知らない。
ミルデンが、ただの後方都市ではないことを。
アルドはあえて口にしなかった。
ミルデンはフェルド公国最大の交易都市であり、同時にライゼン自由都市連合へ続く街道の要衝でもある。
北方各地から情報が集まり、人が集まり、物資が集まる場所。
そこには、すでに友好国の商人も、中立国の商人も、そして敵国の息が掛かった者たちも静かに集まり始めていた。
一年最後の実地訓練は、誰も気付かぬまま、大きな渦の中心へと足を踏み入れようとしていた。




