最後の訓練
王立騎士学校は卒業式を目前に控えていた。
校内には、どこか落ち着かない空気が漂っている。二年生たちは卒業後の進路準備に追われ、一年生もまた、来年度から自分たちが上級生になることを少しずつ意識し始めていた。
もっとも、そんな感傷に長く浸っていられるほど王立騎士学校は甘くない。
冬の冷気が残る朝、一年生全員が中央訓練場へ集められていた。
AクラスからDクラス、そして一年Sクラスまで、百六十名が整然と並ぶ。これだけの人数が一度に集められる機会は多くない。生徒たちも、何らかの発表があることは察していた。
やがて各クラスの担任が前へ並ぶ。
その中から一歩進み出たのは、一年Sクラス担任のアルドだった。
自然と訓練場のざわめきが収まる。
アルドは全員をゆっくり見渡し、落ち着いた口調で話し始めた。
「卒業式まで残り二カ月だ」
短い一言だった。
しかし、その場にいた百六十名全員が耳を傾けている。
「そして毎年この時期になると、一年生最後の実地訓練が行われる」
その言葉に、生徒たちの間へ小さなどよめきが広がった。
上級生から話を聞いていた者もいる。
噂だけは知っていた者もいる。
王立騎士学校において、この実地訓練は一年間の締めくくりとも言える最大規模の実習だった。
「今年も例年通り実施する」
アルドは淡々と続ける。
「派遣先は北方地域。フェルド公国を中心とした国境地帯だ」
今度は先ほどよりも大きなざわめきが起こった。
アルディア王国の北には三つの国家が存在する。
フェルド公国。
ライゼン自由都市連合。
そしてノルガルト侯国。
さらにその北には、西大陸六大国の一角であるカルドニア王国が広大な版図を築いていた。
近年、その周辺では国境付近の小競り合いが以前より増えていると言われている。
もっとも、それ自体は珍しい話ではない。
西大陸では六大国が互いを牽制し、その狭間では大小様々な国々が生き残りを懸けて競い合っている。
戦争。
外交。
謀略。
同盟。
形こそ違えど、どの国も自国を守るため必死に動いていた。
だからこそ、国境で小競り合いが起こること自体は特別ではない。
アルドも、そのことを理解させるように続けた。
「勘違いするな。これは戦争へ参加するための訓練ではない」
生徒たちの視線が一斉に集まる。
「毎年行われている実地訓練だ。お前たちの先輩も、そのまた先輩も同じように経験してきた」
実際、二年生も一年生の頃に同じ訓練へ参加している。
今年だけが特別なわけではない。
王立騎士学校で長く続く伝統の一つだった。
「目的は国境地域を知ること。騎士団の仕事を知ること。そして二年生から始まる各地派遣へ備えることだ」
騎士の仕事は剣を振るうことだけではない。
警備。
巡回。
補給。
治安維持。
物資管理。
負傷兵の搬送。
戦場の裏側では、数え切れないほど多くの者が役割を果たしている。
それを理解せずして、一人前の騎士にはなれない。
「配置はクラスごとに異なる。実力と経験を考慮した上で、すでに決定済みだ」
当然のことだった。
一年SクラスとDクラスが同じ任務へ就くことはない。
求められる役割も、任される責任も、それぞれ異なる。
「主な任務は警備補助、補給支援、巡回業務、現地騎士団の補佐だ」
そこでアルドは一度言葉を切った。
「実戦を期待している者がいるなら、諦めろ」
訓練場のあちこちから苦笑が漏れる。
毎年いるのだ。
戦場へ行けば武勲を立てられると考える生徒が。
だが現実は違う。
騎士団にとって学生は、あくまで学生でしかない。
経験も浅い生徒を最前線へ送り込む理由はないし、それは本人だけでなく周囲の兵士まで危険へ晒すことになる。
「現地指揮官が必要と判断した場合を除き、お前たちが前線へ出ることはない」
そこまで言うと、アルドは静かに声の調子を落とした。
「だが――」
訓練場の空気が一瞬で引き締まる。
「実地訓練である以上、訓練とは違う」
誰一人として口を開かない。
「模擬戦ではない。本物の騎士団が動き、本物の兵士が働き、本物の国境がある」
その言葉は決して大きな声ではなかった。
それでも、生徒たちの胸へ静かに響いていく。
「だから、その目で見てこい」
アルドは百六十名を見渡しながら告げた。
「国を守るとは、どういうことなのかを」
熱を帯びた演説ではない。
必要なことだけを告げる、いつものアルドらしい口調だった。
だからこそ、その言葉には余計な飾りがなく、重みだけが残る。
騎士学校へ入学して十か月。
剣技を学び、魔法を学び、戦術を学び、多くの実戦訓練を積んできた。
しかし、騎士という職務そのものを知る機会は決して多くない。
今回の実地訓練は、その最後の欠片を埋めるための一年最後の学びだった。
説明が終わると、訓練場には再びざわめきが広がる。
期待。
不安。
そして未知への好奇心。
百六十名の胸に抱く思いはそれぞれ違う。
だが誰もまだ知らない。
自分たちがこれから向かう北方の地で、国家同士の思惑が静かに動き始めていることを。




