冬
アーマーベベア討伐から少し経ち、季節は冬の気配を帯び始めていた。
王都アルディアの朝は冷える。吐く息は白く、訓練場へ向かう生徒達の足音もどこか重い。しかし王立騎士学校の一日は変わらず早かった。夜明け前から始まる体力訓練、午前の座学、午後の実技訓練。その合間にも自主訓練へ励む者は多く、卒業を控えた二年生達は最後の仕上げと言わんばかりに訓練場へ姿を見せている。
そんな日常の中で、一つだけ大きく変わったことがあった。
レインが一年Sクラスへ馴染んだことである。
編入当初こそ周囲も距離を測っていたが、それも長くは続かなかった。毎日の訓練、共同生活、実務演習を経て、今ではレインも完全に一年Sクラスの一員として扱われている。相変わらずラグナは突っかかてくることもあるが、それすら以前とは意味が違った。少なくとも実力を疑う者はもういない。
特にアーマーベベア討伐以降、その傾向は顕著だった。
あの戦闘は一年Sクラスにとって初めて死にそうになった実戦だった。同時に、自分達の未熟さを思い知った戦いでもある。あの日の反省は今も訓練へ生きていた。
ラグナは受けるだけではなく回避と体勢制御を意識するようになった。フィオナは環境を考慮した魔法運用を学び、アイリスは後衛としての立ち位置を徹底している。シルヴィアも指示の簡略化を進め、セドリックは防御だけでなく攻撃参加を増やした。誰もが少しずつ変わっていた。
そしてレインもまた変わっていた。
実力を隠すこと自体は変わらない。しかし以前ほど露骨には抑えなくなったのである。Sクラスへ所属している以上、一定以上の実力を見せる必要があると理解したからだ。もちろん本気には程遠い。それでも編入直後より自然に動けるようになっていた。
そんなある日の昼休みだった。
食堂は普段以上に賑わっている。
理由は単純だった。
卒業式が近いのである。
二年生達が騎士団や各方面への進路を決め始める時期となり、校内では様々な噂が飛び交っていた。
「第三騎士団が大量採用するらしいぞ」
「いや、第八騎士団の方が人気だ」
「生徒会長はどこへ行くんだ?」
そんな話題があちこちから聞こえてくる。
一年生達にとって卒業はまだ先の話だ。しかし二年Sクラスの面々は別である。王国の将来を担うと期待される十三名の進路は、自然と注目を集めていた。
ラグナは大皿へ山盛りにした料理を運びながら不満そうに言う。
「卒業卒業って騒ぎ過ぎだろ。まだ一か月あるじゃねぇか」
「お前はもう少し空気を読め」
シルヴィアが呆れたように返す。
「二年生にとっては人生を左右する時期なのよ」
「俺達だって一年後には同じだぞ」
「だから読めって言ってるの」
そんなやり取りを聞きながらレインは窓の外へ視線を向けた。
王都の空は晴れている。
平和そのものだった。
しかし最近になって妙な話を耳にする機会が増えていた。
騎士団の移動。
物資輸送の増加。
国境付近での小競り合い。
どれも噂の域を出ない話だ。だが不思議と同じ内容ばかりが繰り返し聞こえてくる。
レインだけではない。
シルヴィアも同じことに気付いているらしかった。
「最近少し変よね」
不意にそんな言葉が漏れる。
レオニスが眉を上げた。
「何がだ?」
「騎士団の動き」
その場の空気が少しだけ変わった。
騎士学校の面々は貴族関係者が多い。一般人より情報に敏感だ。
「私の家にも手紙が来ていたわ。父が国境方面の動きを気にしていた」
シルヴィアの家は代々軍務に関わる家系だったはずだ。
その言葉にセドリックも腕を組む。
「うちも似たような話を聞いたな」
「何だよそれ」
ラグナだけが事情を知らない。
するとシルヴィアは声を落とした。
「カルドニア王国よ」
その名前が出た瞬間、何人かの表情が変わる。
西大陸六大国の一つ。
アルディア王国と長年対立を続ける軍事国家。
もっとも、今の若者達にとっては歴史の教科書で見る名前に近い。大規模戦争は数十年も起きていないからだ。
「別に戦争になるって話じゃないわ」
シルヴィアは付け加える。
「ただ最近、カルドニア寄りの属国が国境付近で妙な動きをしてるらしいの」
その場はすぐ別の話題へ移った。
確かな情報ではない。
ただの噂かもしれない。
だから誰も深くは追及しなかった。
しかしその日の夕方。
学園長室では全く違う空気が流れていた。
壁一面へ広げられた西大陸地図。その前に立つ学園長アレクシスの表情は珍しく険しい。
机の上には複数の報告書が積まれている。
その中の一枚へ視線を落とし、学園長は静かに呟いた。
「代理戦争、か」
窓の外では訓練場から生徒達の声が聞こえている。
だが王国上層部はすでに気付き始めていた。
西大陸の均衡が、少しずつ揺らぎ始めていることに。
そしてその変化は、遠くない未来にレインをも巻き込むことになる。




