実力を知る
アーマーベア二体を討伐したという報告は、村にとって何よりの朗報だった。
一行が村へ戻った頃には、すでに日は西へ傾き始めていた。討伐の知らせが広まると、それまで家の中から不安そうに様子をうかがっていた村人たちも次々と外へ出てくる。
やがて広場には長机が並べられ、焼きたてのパンや野菜の煮込み、香草と共に焼かれた川魚が運び込まれた。豪華な料理ではない。それでも、保存していた干し肉まで惜しみなく切り分けられている。
冬に備えて蓄えていた食料まで出していることに気づき、ラグナが戸惑ったように料理を見回した。
「おい、本当にいいのか? これ、取っておいた食料だろ」
煮込みの鍋を運んでいた女性は、気にするなと言うように笑った。
「いいんだよ。あんたたちが来てくれなかったら、私たちは今も森へ入れなかったんだからね」
その言葉に、周囲の村人たちも一斉に頷いた。
アーマーベアが村の近くへ現れてから、狩人は森へ入れず、薪や山菜を集めることさえ難しくなっていた。いつ襲われるか分からない恐怖から、子供たちを外で遊ばせることもできなかったという。
村全体が息を潜めるように暮らしていたのだ。
だからこそ、二体とも討伐されたと知った村人たちの喜びは大きかった。
「本当にこんなに大きかったのか!?」
「剣で倒したの?」
「魔法も使ったんだろ! どんな魔法だった!?」
子供たちは両手を広げながらラグナとレオニスの周りへ集まり、次々と質問を浴びせていた。
ラグナは自分よりはるかに大きなアーマーベアを再現するように腕を広げ、豪快に笑う。
「こんなもんじゃねぇ。立ち上がった時なんか、あそこの屋根よりでかく見えたぞ」
「話を大きくするな。そこまでではない」
レオニスがすかさず訂正したが、子供たちはどちらの話を信じるべきか迷うどころか、さらに目を輝かせた。
少し離れた席では、フィオナが静かに煮込みを口へ運んでいた。
魔力を大きく消耗した疲れもあるが、それ以上に、村人たちから向けられる感謝へどう応じればよいのか分からないようだった。
そんなフィオナの前へ、年配の村人がやってくる。
「お嬢ちゃんの魔法もすごかったそうだな。村まで大きな音が聞こえてきたよ」
フィオナは匙を止めた。
「……森の奥まで聞こえたのですか」
「ああ。木々の向こうが赤く光った時は、森ごと燃えるんじゃないかと少し心配したがな」
近くで聞いていた村人たちから笑いが起こる。
冗談混じりだと分かっていても、フィオナはわずかに頬を赤くした。
「延焼はしていません」
「分かっているよ。だからこうして礼を言いに来たんだ」
年配の村人は穏やかに笑うと、深く頭を下げた。
フィオナは返す言葉を探した末、小さく頷く。
「……無事でよかったです」
その様子を見ていたシルヴィアも、珍しく口元を緩めていた。
宴は日が沈んだ後もしばらく続いた。
村人たちは何度も感謝を口にし、生徒たちもそれぞれの形で応じていく。学校の訓練では得られない空気だった。
自分たちが戦ったことで、誰かが安心して笑っている。
その事実は、疲れ切った身体にも不思議な充足感を与えていた。
だが、楽しい時間にも終わりは来る。
空が完全に暗くなった頃、アルドが席を立った。
「そこまでだ。歓迎に甘えるのは構わんが、実地訓練はまだ終わっていない。野営地へ移動するぞ」
教官の声で、生徒たちの表情が引き締まった。
今は任務の途中である。
村人たちは空いている家を使うよう勧めてくれたが、アルドはそれを断った。今回の目的には、討伐だけでなく行軍と野営も含まれているからだ。
一行は村人たちへ礼を告げ、村の入り口近くにある空き地へ移動した。
周囲が開けているため見通しがよく、近くには小川も流れている。夜間の警戒と水の確保を両立できる場所だった。
アルドが周辺を確認し、短く命じる。
「設営を始めろ。日中に消耗している。無駄に時間を掛けるな」
生徒たちはすぐに作業へ取り掛かった。
王立騎士学校では、これまでにも野営訓練を繰り返している。細かな指示を待たずとも、必要な役割は自然に分かれた。
ラグナとグレンがテントの骨組みを立て、杭を打ち込む。セドリックは土魔法を使わず、道具だけで地面の石や凹凸を取り除いていた。実地訓練である以上、魔力を無駄に消耗しないためだ。
アイリスはレインと共に小川から水を運び、フィオナは薪を組んで焚き火の準備を進める。シルヴィアは周囲の地形を確認しながら、死角になりそうな場所と見張りの位置をアルドへ伝えていた。
全員が動いたことで、野営地はほどなく形になった。
焚き火へ火が入り、暗闇の中に温かな光が広がる。
簡単な装備の手入れを終えた生徒たちは、その周囲へ腰を下ろした。
村から漏れる明かりは木々の向こうに小さく見えるだけで、昼間の賑わいはもう聞こえない。代わりに響くのは、小川の流れる音と、森の奥から時折聞こえてくる夜行性の動物の鳴き声だった。
アイリスの治癒魔法によって目立った傷はすでに塞がれている。
それでも、身体に残った重さまでは消えていない。
ラグナは両腕を組んだまま火を見つめ、フィオナは魔力を使い切った影響からか、いつも以上に静かだった。セドリックも杖を脇へ置き、疲れた様子で肩を回している。
しばらく続いた沈黙を破ったのは、レオニスだった。
「村では言わなかったが、正直、かなり危なかったな」
何人かが苦笑した。
否定できる者はいなかったからだ。
教本の中で何度も学んだDランク魔物。
しかし、実際に相対したアーマーベアの圧力は、文字で得た知識とは比べものにならなかった。三メートルを超える巨体に、鎧のような筋肉と毛皮。前脚の一撃をまともに受ければ、人間など簡単に叩き潰される。
それが二体だった。
今になって振り返ると、誰もが背筋に冷たいものを感じていた。
「かなりどころじゃねぇよ」
ラグナが苦笑しながら、まだ痺れの残る腕を軽く振った。
「最後に受けた一撃なんか、腕の骨が何本か持っていかれると思ったぞ。構えた時は、どうにかなると思ってたんだけどな」
「あれを受ける前に、避けるという選択はなかったの?」
シルヴィアが尋ねると、ラグナは少し考えた後、首を傾げた。
「後ろにお前らがいたからな。避けたら面倒なことになってただろ」
その答えに、シルヴィアは何も言わず視線を落とした。
判断そのものは間違っていない。
だが、ラグナが受け切れなければ、前衛の一角が崩れていた。
レオニスも真面目な顔で頷く。
「俺も止めるか迷った。けど、俺が先に入ればもう一体への対応が遅れる。結果としてグレンと同時に動けたが、判断があと少し遅ければ間に合わなかった」
「俺もレオニスが動くのを見てからだった」
グレンが正直に付け加えた。
「自分で危険を見て動けたわけじゃない。あの距離なら、一人でも先に反応できないと駄目だ」
誰かが責めたわけではない。
それでも、実際に戦ったからこそ見える課題がある。
話を向けられる前に、フィオナが静かに口を開いた。
「私も反省している」
焚き火の向こうで揺れる炎を見つめながら、言葉を続ける。
「倒すことばかり考えていた。森の中で、あれほど威力のある炎魔法を続けて使うべきではなかった」
彼女の魔法がなければ、討伐はさらに難しくなっていただろう。
だが同時に、乾いた季節や風の強い日であれば、周囲へ燃え広がる危険もあった。
シルヴィアが静かに頷く。
「最後の三本は必要だったと思う。でも、次も同じ条件とは限らないわ。撃つ前に、周囲へ知らせる余裕は欲しかった」
「分かっている。次は射線だけでなく、その先も見る」
フィオナが素直に答えると、アイリスも困ったように笑った。
「それを言うなら、私もです。怪我を見つけるたびに、前へ近づきすぎました」
レオニスはすぐに頷いた。
「俺たちが倒れそうでも、お前まで前へ出るな。治癒役が動けなくなれば、立て直せなくなる」
「はい。次からは魔法の届く距離を、先に確認します」
セドリックも腕を組み、少し考えてから口を開いた。
「俺は守ることを優先しすぎたな。土壁で進路を塞ぐところまではよかったが、その後も壁を維持することばかり考えていた。足元を崩す方へ早く切り替えていれば、前衛の負担を減らせたはずだ」
一人が話すたびに、他の者も自分の動きを振り返っていく。
勝ったという事実だけでは分からない失敗が、言葉にすることで少しずつ形になっていった。
やがてグレンが、焚き火を挟んで座るレインへ視線を向けた。
「そういえば、まだ聞いてなかったな。お前、どうして二体目をこっちまで連れてきたんだ?」
責めるような口調ではない。
ただ、あの時の状況を知りたいのだろう。
レインは少し考えてから答えた。
「アーマーベアの近くに村人がいたんだ。一人で倒せる相手じゃないと思ったから、まず村人から引き離した。逃げながら戦闘音が聞こえたので、皆と合流しようと考えたんだよ」
戦闘経験の少ない生徒として考えれば、不自然ではない説明だった。
シルヴィアも納得したように頷く。
「その判断は間違っていないと思う。村人の近くで戦うより、戦える人間がいる場所まで連れてくる方がいいもの」
「普通は、あの距離で追いかけられたら合流する前に追いつかれるけどな」
ラグナが笑うと、グレンも同意するように頷いた。
「攻撃を避けながら道まで選んでいたように見えた」
「必死だったから、あまり覚えてないよ」
レインが曖昧に笑うと、ラグナは疑うよりも感心したように肩を揺らした。
「なら、お前も大概だな」
小さな笑いが起こり、張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。
実際のところ、レインにとって難しかったのは逃げることではない。アーマーベアを倒さず、怪しまれない速度で誘導し続ける方だった。
やがて会話が途切れ、再び静けさが戻る。
焚き火の中で薪が崩れ、舞い上がった火の粉が夜の闇へ消えていった。
それを見つめながら、レオニスが静かに口を開く。
「俺たちは、少し勘違いしていたのかもしれないな」
誰も聞き返さなかった。
何を言いたいのか、分かっていたからだ。
「新兵との合同訓練でも結果を出した。盗賊討伐でも大きな失敗はなかった。Sクラスへ集められた以上、自分たちは同年代より強い。そのこと自体は間違っていないと思う」
そこで一度言葉を切り、焚き火を見回す。
「いつの間にか、学生レベルいやそれ以上のところまで来たつもりになっていたのかもしれない」
夜風が吹き抜け、焚き火の炎が大きく揺れた。
誰も否定しなかった。
「今日戦ったアーマーベアはDランクだ。それでも、俺たちは全員でようやく二体を倒した。もし相手がCランクだったらどうなる。Bランクなら、戦うことすらできないかもしれない」
村人たちは討伐を喜んでいた。
実際に村を守ることができたのだから、その結果は誇っていい。
しかし、戦った本人たちだからこそ分かる。
今日の勝利は圧勝ではない。
全員が力を振り絞り、互いの失敗を補いながら、ようやくつかみ取った勝利だった。
ラグナが薪を一本取り、焚き火へ放り込む。
「もっと強くならねぇとな」
短い言葉だった。
それ以上の言葉は必要なかった。
フィオナも、グレンも、アイリスも、セドリックも、シルヴィアも、揺れる炎を見つめたまま静かに頷く。
少し離れた場所では、アルドが何も言わずその様子を見守っていた。
一年Sクラスは確かに優秀だった。
だが、王国を背負えるほどの強さにはまだ遠い。
彼らはようやく、自分たちが立っている場所と、その先に続く道の長さを知ったばかりだった。




