Sクラス初任務
王都の空は、まだ夜の名残を色濃く残していた。
東の空がわずかに白み始める中、北門前には一年Sクラスの八人が整列している。全員が訓練着ではなく実戦用の装備を身に着け、背には数日分の荷物を収めた背嚢を背負っていた。その姿からは学生らしい幼さは薄れ、小規模な騎士団部隊のような引き締まった空気が漂っている。
「馬車は使わないんですか?」
背負い慣れない荷物を軽く揺すりながら、アリスドが首を傾げた。
アルドは歩き始める準備をしながら短く答える。
「使わん。」
それだけだった。
だが、その一言で十分だった。
騎士団の任務では、常に街道を進めるとは限らない。深い森を越え、険しい山道を進み、時には補給が絶たれた状態で何日も歩き続けることもある。馬車が通れない場所など珍しくもない。
だから歩く。
荷物も自分で背負う。
それが実戦を前提としたSクラスの訓練だった。
「出発。」
アルドの号令と共に、一行は王都を後にする。
最初の数時間は穏やかな街道が続いた。
朝露に濡れた畑では農民達が仕事を始め、行商人の荷馬車と何度かすれ違う。平和そのものと言える景色だったが、北西へ進むにつれて民家は減り、街道は次第に木々へ飲み込まれていった。
森へ入る頃には、人の気配よりも鳥や虫の鳴き声の方が耳につくようになっていた。
レインは隊列の中ほどを歩きながら、周囲を静かに観察していた。
興味深い。
まだ出発して半日も経っていない。
それなのに、この八人は誰に指示されるでもなく、それぞれが自然と自分の役割を担い始めている。
先頭を歩くのはラグだった。
鍛え抜かれた身体は荷物の重さなど感じさせず、倒木や茂みが道を塞げば迷わず踏み込み、斧代わりの剣で枝を払いながら進路を切り開いていく。その力強い背中は、最前線で味方を押し上げる重装歩兵そのものだった。
少し後方ではレオニスが全体を見渡している。
誰が疲れ始めているか。
隊列は乱れていないか。
歩く速度は速すぎないか。
特別な指示を飛ばしているわけではない。
それでも気付けば全員が彼の歩調へ自然と合わせていた。
人を率いる者には、不思議と周囲を従わせる空気がある。
レオニスには、それがあった。
一方、シルヴィは地図を片手に地形を確認していた。
時折足を止め、尾根や森の奥へ視線を向けながら考え込む。
「あの尾根なら見通しは十分ね。」
少し間を置いて、独り言のように続けた。
「もし私が魔物なら、あそこを通る。」
敵の視点で地形を見る。
戦術学でも常に上位へ名を連ねる理由が、その一言だけで理解できた。
セドリックは歩きながら補給品を確認している。
水の残量。
携行食の消費。
休憩の間隔。
どれも戦場では勝敗を左右する重要な要素だ。
盗賊討伐演習でも感じたことだが、戦いは剣を交える前から始まっている。
補給を軽視した部隊に勝利はない。
フィオナは仲間達の体調へ気を配っていた。
荷物の紐が緩めば締め直し、肩へ負担が集中している者には背負い方を助言する。
派手ではない。
だが長距離行軍では、こうした積み重ねが最後に大きな差となる。
そして、グレンズ。
彼だけは動きが読めなかった。
気付けば先頭付近にいる。
次の瞬間には最後尾。
森へ姿を消したと思えば、音もなく戻ってきている。
しかし、その度に新しい情報を持ち帰っていた。
獣道。
足跡。
風向き。
折れた枝。
森そのものを読んでいるようだった。
「……なるほど。」
レインは胸中で小さく頷く。
強いだけならAクラスにもいる。
実力だけを比べれば、Aクラス上位と大差ない者もいるだろう。
だがSクラスは違う。
一人ひとりが突出した役割を持ち、それぞれが互いの不足を補っている。
個人ではなく、一つの部隊として完成しているのだ。
昼を少し過ぎた頃、一行は最初の休憩を取ることになった。
荷物を下ろした、その時だった。
森の奥へ入っていたグレンズが静かに姿を現す。
息一つ乱れていない。
「痕跡を見つけた。」
短い報告だった。
しかし、その一言だけで休憩の空気は完全に消え去る。
「魔物か。」
ラグが腰を上げる。
「ああ。」
グレンズは頷いた。
「案内しろ。」
アルドの指示を受け、一行はすぐに森の奥へ踏み込んだ。
数分後。
全員の足が止まる。
一本の大木が、途中からへし折られていた。
風で倒れたのではない。
幹には巨大な爪痕が深々と刻まれ、人間の腕ほどの深さまで抉られている。
ラグがしゃがみ込み、傷跡へ触れた。
「……でかいな。」
「熊系統ね。」
シルヴィは周囲の痕跡も見比べながら冷静に分析する。
「爪の幅と歩幅から考えて全長三メートル以上。Dランクで間違いないと思う。」
アルドも異論はなかった。
周囲には踏み潰された下草、削れた樹皮、折れた枝が点々と残されている。
夜間奇襲訓練で相手にしたFランク魔物とは比べものにならない。
あれが野犬なら、こちらは森の支配者だった。
シルヴィは地図へ印を付けながら口を開く。
「思っていたより行動範囲が広いわ。」
「そうなのか?」
ラグが問い返す。
「ええ。この痕跡が三日前のものなら、この移動距離だと村のすぐ近くまで来ている計算になる。」
その言葉にレオニスも地図を覗き込んだ。
「縄張りが変わったのか。」
「それとも餌不足。」
二人の会話を聞きながら、レインは感心していた。
普通なら敵の強さばかりへ目が向く。
だが彼らは違う。
なぜ動いたのか。
どこへ向かうのか。
魔物の行動原理から逆算して答えを導こうとしている。
騎士団で部隊を率いる者に必要な視点だった。
それから二日後。
一行は目的地である開拓村へ到着した。
夕日に染まる村は静かだった。
だが、その静けさは穏やかなものではない。
村を囲む木柵の一角が大きく破壊され、修復した跡が痛々しく残っていた。
魔物の被害は、今も終わっていない。
村長から事情を聞くと状況は予想以上だった。
家畜が襲われたのは三度。
負傷者は五人。
そして一週間前、森へ入った猟師が一人戻っていない。
誰も死という言葉は口にしない。
しかし、その沈痛な表情が結末を物語っていた。
話を終えると、レオニスは自然と村の地図を広げる。
シルヴィは被害地点を書き込み、セドリックは補給品を確認し、フィオナは負傷者の容態を聞きに向かう。
アルドは何も命じない。
それでも全員が迷いなく動いていた。
その姿を見ながら、レインは改めて実感する。
優秀だ。
一年生とは思えないほど完成度が高い。
だが、その一方で胸の奥には小さな違和感が残っていた。
村人達の証言。
森で見つけた痕跡。
被害地点の位置。
それらを頭の中で重ね合わせると、一か所だけ噛み合わない部分がある。
まだ確証はない。
だから口にはしない。
その時だった。
見張りへ出ていたグレンズが戻ってくる。
普段と変わらぬ無表情。
だが、その瞳だけが鋭く森の奥を見据えていた。
「いた。」
全員の視線が集まる。
グレンズは短く続ける。
「村から一キロも離れていない。」
その報告と同時に、教室で何度も耳にした「Dランク魔物」という言葉が、初めて現実の脅威として全員の前へ姿を現した。




