一年Sクラス
一年Sクラス寮は、レインが想像していたものとは少し違っていた。
Sクラスと聞けば豪奢な建物を思い浮かべる者も多いだろう。だが実際に目の前へ現れた建物は、そうした期待とは正反対だった。灰色の石で組まれた外壁に余計な装飾はなく、立地も訓練場のすぐ隣である。貴族の別荘というより、騎士団の士官宿舎に近い。
案内された個室も同様だった。
机、本棚、衣装棚、武具置き。
生活に必要な物は揃っているが、それ以上はない。
無駄を嫌う騎士らしい部屋だった。
荷物の整理を終えたレインは窓際へ立つ。
夕暮れの訓練場から戻ってくる生徒達の姿が見えた。
静かだった。
四〇七号室とは違う。
ロイの騒がしい声もなければ、ガレンが武具を手入れする音も聞こえない。エリオットが本を読みながら考え込む姿もない。
目立たず卒業する。
その予定だった。
それが気付けば一年Sクラスである。
人生とは、本当に分からない。
翌朝。
レインはSクラス専用校舎へ向かった。
校舎は決して大きくない。
一年と二年を合わせても十数名しか所属しないのだから当然だった。
むしろ王立騎士学校の中では異質なほど小規模な建物である。
教室の扉を開く。
その瞬間、七人分の視線が一斉に向けられた。
空気が違う。
生徒数は八人しかいない。
だがレインがこれまで経験したどの教室よりも張り詰めていた。
剣。
魔法。
座学。
統率力。
それぞれ得意分野は違う。
将来、部隊を率いる者。
戦場を支える者。
王国軍の中核を担う者。
誰もが、その候補として集められた生徒達だった。
だからこそ互いを見ている。
興味。
観察。
そして値踏み。
敵意ではない。
実力者同士が初めて顔を合わせた時に生まれる、ごく自然な空気だった。
「お前がレインか」
最初に声を掛けてきたのは金髪の青年だった。
肩幅が広く、鍛え上げられた体格をしている。一目で前衛を担う騎士だと分かる。
「ラグ・フォン・レイシアだ」
短く名乗ると、ラグは真っ直ぐレインを見る。
「正直、驚いた。Sクラスへ途中編入なんて前例を聞いたことがない」
教室が静かになる。
だが誰も止めなかった。
誰もが一度は抱いた疑問だったからだ。
「だから、お前の実力を見せてくれ」
その言葉に敵意はない。
純粋な興味だった。
レインは苦笑する。
「そう言われても困る」
「それもそうか」
ラグは肩を竦め、小さく笑った。
その様子を見て、教室の空気も少しだけ和らぐ。
続いて一人の青年が立ち上がった。
整った容姿に落ち着いた雰囲気。
自然と周囲の視線が集まる辺り、この教室のまとめ役なのだろう。
「レオニス・フォン・ヴァレンシュタイン。一応、一年Sクラスの首席だ」
一応、という言葉には理由がある。
一年Sクラスは一年を通して完成する。
本来なら年度の終盤、Aクラス上位者が加わって初めて正式な順位が決まるため、現在の順位は仮のものだった。
レオニスは穏やかな笑みを浮かべながら右手を差し出す。
「歓迎する、レイン」
「ありがとうございます」
「学園長が推薦した以上、それだけの理由があるんだろう。少なくとも俺はそう考えている」
その言葉に何人かが静かに頷いた。
続いて銀髪の少女が興味深そうにレインを見る。
「シルヴィ・ルークレストよ。戦術と戦史を専門にしているわ」
細い指で顎へ手を添え、続ける。
「夜間奇襲訓練の教官報告書を読ませてもらったけど、あなたの動きだけ少し違っていたわ」
完全に研究対象を見る目だった。
「グレンズ・ハルトマンだ」
短髪の青年はそれだけ告げて口を閉じる。
無駄な言葉はない。
だが不思議と軽く感じなかった。
「私はアリスド・ウェルナー」
栗色の髪の少女が柔らかく笑う。
「Sクラスは貴族ばかりだから、平民がもう一人増えて少し安心したわ」
その言葉にレインは少し驚いた。
Sクラス唯一の平民と聞いていた人物だったからだ。
「セドリック・フォン・ローガンだ。兵站と補給を専門にしている」
眼鏡の少年が軽く会釈する。
「戦争は前線だけでは勝てない。機会があれば、その理由も話そう」
最後に柔らかな雰囲気を纏う少女が微笑んだ。
「フィオナ・アルメリアです。治癒魔法を担当しています。怪我をしたら相談してくださいね」
こうして見ると、誰も敵対的ではなかった。
皆、それぞれ違う形でレインという存在へ興味を持っているだけだった。
やがて全員の視線がレインへ向く。
自己紹介の番である。
レインは立ち上がった。
「レイン・クロードです。よろしくお願いします」
それだけだった。
数秒の沈黙。
「短いな」
案の定、ラグナが笑う。
「長く話すこともないので」
「変な奴だ」
「よく言われます」
その返答にアイリスが吹き出し、シルヴィアも小さく口元を緩めた。
張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。
その時だった。
教室の扉が開く。
空気が変わる。
生徒達が反射的に姿勢を正した。
入ってきた男は四十代後半ほど。
短く刈り込まれた黒髪と鋭い眼光が印象的だった。
派手な威圧感はない。
それでも教室へ一歩踏み込んだだけで、この場の主導権が完全に移ったことが分かる。
実戦を生き抜いてきた者だけが持つ空気だった。
「席に着け」
低い声が教室へ響く。
誰一人逆らわない。
男は教壇へ立つ。
「アルド・クロスだ。一年Sクラス担任を務める」
元第三騎士団第五席。
数多くの実戦で部隊を率い、生還してきた歴戦の騎士だった。
アルドは机へ一本の筒を置く。
取り出したのは王国北部一帯の軍用地図だった。
街道。
村。
森。
山岳。
補給路。
地形だけでなく、軍が必要とする情報まで細かく記されている。
アルドは何も言わず、生徒達を見回した。
「今日の授業は戦術だ」
その一言で教室の空気がさらに引き締まる。
「お前達は将来、兵を率いる立場になる。剣の強さだけで戦は勝てん」
誰一人として視線を逸らさない。
アルドは地図の一点を指差した。
「この部隊を生かすか、見捨てるか。お前達ならどう判断する」
自己紹介は終わった。
ここからがSクラスの授業だった。




