面接
学園長室へ足を踏み入れた瞬間、レインは無意識に室内へ視線を巡らせた。
王立騎士学校の頂点に立つ人物の執務室だけあって、内装は豪華というより威厳を重視した造りになっている。磨き上げられた執務机の向こうには王国旗が掲げられ、壁には歴代学園長の肖像画が整然と並んでいた。そのどれもが王国史へ名を残した人物達であり、ここが単なる学校の一室ではなく、王国の未来を担う人材が集う場所なのだと嫌でも理解させられる。
もっとも、レインの目を最初に引いたのは部屋の装飾ではなかった。
窓際に立つ一人の老人。
白髪混じりの髪に深く刻まれた皺。その姿だけを見れば年相応の老人にも見える。だが実際は違った。六十を超えているはずの身体は少しも衰えを感じさせず、背筋は若者以上に真っ直ぐ伸びている。静かに立っているだけなのに、その人物を中心として部屋全体の空気が回っているような錯覚すら覚えた。
アレクシス・フォン・ヴァルハルト。
入学式で見た老人。
「失礼します」
レインが一礼すると、学園長はゆっくりと振り返った。その動作に特別な威圧感があるわけではない。だが向けられた視線だけで室内の空気が張り詰める。向かいにはエドワードも座っていたが、昨日の生徒会室で見せていた余裕は薄れていた。普段なら何事にも動じない生徒会長が僅かに肩へ力を入れているのを見れば、この部屋が彼にとっても特別な場所であることは明らかだった。
学校長は席へ腰を下ろすと、しばらくレインを見つめてから静かに口を開く。
「まずは自己紹介からだな。アレクシス・フォン・ヴァルハルト。アルディア王立騎士学校学校長だ」
そこで僅かに笑みを浮かべた。
「元第三騎士団総隊長でもある」
次の瞬間だった。
目には見えない何かが室内へ満ちる。
風ではない。
魔力でもない。
覇気か。
戦場で幾度も死線を越え、数え切れない敵を斬り伏せ、王国最強クラスへ到達した者だけが纏う覇気。その一端が解放された瞬間、学園長室の空気そのものが鉛のような重さへ変わった。
真っ先に影響を受けたのはエドワードだった。
生徒会長の表情から余裕が消える。呼吸は浅くなり、額には汗が滲み始めていた。身体が危険を訴えているのだ。本能が理解している。目の前の存在は自分より遥か上にいる。勝負になるかどうかという次元ですらない。
それは恐怖ではない。
格の違いを理解した者だけが感じる絶対的な圧力だった。
だが学園長はそんなエドワードを見ていない。
ただ一人。
レインだけを見ていた。
数秒。
重苦しい沈黙が続く。
やがてレインが小さく首を傾げた。
「何かの試験ですか?」
その一言で空気が止まった。
エドワードが目を見開く。
学園長も僅かに眉を動かした。
レインは平然としていた。圧力を感じていないわけではない。だが苦しそうな様子もなければ、必死に耐えている様子もない。ただ突然強い風を受けた時のように姿勢を少し正しただけだった。
その反応を見た瞬間、学園長の目に初めて明確な興味が浮かぶ。
そして数秒後、覇気は静かに収められた。
重圧が消えた瞬間、エドワードはようやく大きく息を吐く。一方のレインは何事もなかったように立ったままで、学校長はそんな少年を見ながら小さく呟いた。
「なるほど」
その声には納得と驚きが混ざっていた。
「面白いな」
「ありがとうございます?」
レインはよく分かっていなかった。
学園長は苦笑しながら机上の資料へ視線を落とす。夜間奇襲訓練、ランキング戦、盗賊討伐演習、そして昨夜の非公式試合。そこに書かれている全てが、目の前の少年へ繋がっていた。
「では聞こう。君は何者だ?」
唐突な問いだった。
レインは少しだけ考える。
そして真面目に答えた。
「平民です」
「そういう意味ではない」
学園長が苦笑する。
エドワードは額を押さえた。
予想通りの返答だった。
「誰に剣と魔法を習った」
「村にいた兵士です。朝からお酒飲んでたので多分違うでしょうけど、一応師匠です」
「その師の名は?」
レインは少しだけ考えた。
隠す理由はない。
少なくとも本人はそう思った。
だから答える。
その名前を聞いた瞬間だった。
学園長の表情が消えた。
本当に一瞬。
瞬きほどの時間。
だが確かにエドワードは見た。
超越者である学園長が動揺した。
額へ冷たい汗が滲む。
それは戦場で数万の軍勢と向き合った英雄が見せる顔ではなかった。
(馬鹿な……)
学園長の脳裏へ遠い記憶が蘇る。
第三騎士団十席になったばかりの頃だった。
国境地帯で起きた大規模戦争。
数万規模の軍勢がぶつかり合う戦場で、一人の男が現れた。
王国軍でもない。
敵国軍でもない。
どちらにも属さない男だった。
その男が剣を振るうたびに兵士達が吹き飛び、魔法を放つたびに戦場そのものが消し飛ぶ。王国軍も敵国軍も関係なかった。戦争そのものを嫌悪していた男は、戦場にいる全てを力で黙らせた。
超越者。
そう呼ばれる存在は決して珍しくない。
王国十三騎士団の団長や副団長にも超越者はいる。
他国も同じだ。
大国であればあるほど超越者を複数抱えている。
だが超越者と一口に言っても、その実力差はあまりにも大きかった。
一般兵を百人倒せる者も超越者。
千人を相手にできる者も超越者。
そして戦場そのものを支配する化物もまた超越者だった。
一騎当千。
一人で軍そのものを壊滅させる。
だからこそ超越者同士は基本的に超越者同士で戦う。
放置すれば無駄な犠牲が増えるからだ。
一般兵が何万人集まろうと意味はない。
同格をぶつけるしかない。
それが世界の常識だった。
そして今、レインの口から出た名は、その常識の頂点近くにいた男のものだった。
あれは超越者と言う生ぬるいものではない。
災害だ。
戦争を憎み、強者を求める化け物。
学園長は内心でそう結論付ける。
だがあり得ない。
あの男は遥か昔の人物だ。
生きているはずがない。
学園長は静かに息を吐き、強引に思考を切り替えた。
「レイン」
「はい」
「今後、その名を他人へ話すな」
先ほどまでとは明らかに違う声だった。
純粋な警告だった。
レインもそれを察したのか、珍しく真面目な顔になる。
「理由は?」
「今は話せん。だが忘れるな。その名を知る者は少なくない」
レインは首を傾げながらも頷いた。
「分かりました」
続いて学園長はエドワードへ視線を向ける。
「エドワード」
「はい」
「今聞いたことは忘れろ」
生徒会長は即座に背筋を伸ばした。
「承知しました」
それ以上、その話題に触れる者はいなかった。
少なくとも今は。
学園長ですら軽々しく扱えない名前が、この世には存在するのだから。




