アレンの想い
訓練場を後にした一行は、そのまま生徒会室へ向かっていた。
しかし先ほどまでの賑やかさとは対照的に、歩く二年Sクラスの面々は誰も口を開かなかった。
理由は言うまでもない。
彼らはアレスの強さを知っている。
二年Sクラス第二位。
一年生どころか、多くの騎士学校生が相手にすらならない怪物だった。そのアレスが本気で放った初撃を、レインは紙一重で避けてみせたのである。しかも無理に距離を取るでもなく、慌てて身を引くでもなく、まるで最初からそこへ剣が来ると知っていたかのような自然さで。
だからこそ誰も言葉を失っていた。
そんな中で、ただ一人だけ空気を読まない人物がいる。
「いやぁ、面白かったなぁ!」
リリアだった。
上機嫌どころではない。鼻歌でも歌い出しそうな勢いで歩いている。
「楽しかった!」
満面の笑みでそう言うが、返事はない。
それでも全く気にした様子もなく、むしろ楽しそうにレインの隣へ並ぶ。
「ね?」
「何がですか」
「面白かったでしょ?」
「まぁまぁですね」
「お菓子食べる?」
「そうですね」
会話になっているようで全くなっていないやり取りが続く。
だが不思議と、それで少しだけ空気が和らぐ。
もっともレイン本人は困ったように苦笑しているだけだったが。
やがて生徒会室へ戻ると、それぞれが慣れた席へ腰を下ろした。だが室内を包む空気は依然として重いままだった。
普段ならレオンあたりが何か言って場を和ませる。
しかし今はそのレオンでさえ腕を組み、難しい顔で考え込んでいる。
静寂が続く。
その沈黙を破ったのはエドワードだった。
「レイン・クロード君」
呼ばれたレインが顔を上げる。
「はい」
「一つ聞いてもいいか」
穏やかな口調だった。しかしその問いが個人的な興味から出たものではないことは誰にでも分かる。この場にいる全員が同じ疑問を抱いていた。
エドワードは真っ直ぐレインを見据えた。
「なぜ実力を隠している?」
静かだった生徒会室が、さらに静まり返る。
アレスとの試合を見た今、その問いから逃げることはできない。
レインは少しだけ考え、それから観念したように肩を竦めた。
「目立ちたくないからです」
あまりにも率直な答えだった。
誰も反応できない。
数秒の沈黙が流れた後、ヴィクトルが確認するように尋ねる。
「それだけか?」
「それだけです」
「家の事情とか」
「特に」
「政治的な理由とか」
「ないですね」
ヴィクトルは黙った。
代わりにレオンが吹き出す。
「お前、本当にそれだけで今まで隠してたのか?」
「はい」
「馬鹿だろ」
「よく言われます」
即答だった。
今度はクリスティーナまで口元を押さえる。
アレスと互角以上に渡り合った人間が、壮大な事情も陰謀もなく、ただ目立ちたくないから力を隠していたのである。反応に困るのも当然だった。
しかしレインは至って真面目だった。
「目立つと面倒じゃないですか」
「面倒?」
クリスティーナが首を傾げる。
「優秀だと分かれば色々声を掛けられますし、貴族関係とか面倒くさそう」
「それは普通なら喜ぶところだと思うが」
ヴィクトルが苦笑する。
だがレインは首を横に振った。
「僕は遠慮したいです」
その返答にノアが額を押さえた。
「お前、本当に騎士学校の生徒か?」
「一応そうです」
「出世欲は?」
「ありません」
「名誉は?」
「特に」
「騎士団長は?」
「なりたくないです」
即答だった。
ついにレオンが耐えきれなくなった。
「はははっ! 駄目だこいつ!」
生徒会室に小さな笑いが広がる。
だが笑いながらも、誰もが少し困惑していた。
騎士学校へ入る者の大半は違う。家名を高めたい者、騎士団で出世したい者、将来席持ちを目指す者。それぞれ理由は違っても上を目指している。
ところが目の前の少年からは、その種の欲望がまるで感じられない。
レインはそんな周囲を気にする様子もなく続けた。
「普通に卒業して、普通に騎士になって、普通に働いて暮らしたいだけなんです」
「お前の普通は世間の普通じゃない」
レオンの突っ込みに、今度は全員が頷いた。
その時だった。
エドワードが静かに口を開く。
「残念だが、それは難しい」
嫌な予感がした。
経験上、この流れはろくなことにならない。
そして予感は当たる。
「明日の査定で君は一年Sクラスへ移る」
レインは固まった。
数秒遅れて出てきた言葉は実に間抜けだった。
「……はい?」
次の瞬間、リリアが勢いよく立ち上がる。
「やったぁ!」
「全然やってません」
「おめでとう!」
「祝われる理由がありません」
食い気味だった。
しかしリリアは気にしない。
「これから毎日遊べるね!」
「何一つ嬉しくないんですが」
「大丈夫!」
「何がですか」
「私がいるから!」
レインは真顔になった。
「不安しか増えてないんですが」
その瞬間、生徒会室に笑い声が広がった。
レオンが吹き出し、ノアが肩を震わせる。クリスティーナも視線を逸らしながら小さく笑っていた。
ただ一人、リリアだけは本気で首を傾げている。
そして、その様子を見ながらエドワードは改めて思う。
レイン・クロードという少年は、自分達がこれまで見てきたどの優秀な生徒とも違う。
実力だけではない。
その価値観もまた、常識から大きく外れていた。




