カリキュラム
バルトは黒板に残っていたランキング戦の説明を手際よく消すと、新たな文字を書き連ねていった。
剣術、体術、魔法基礎、戦術学、歴史、地理、魔獣学。
白い文字が増えるたび、生徒たちの視線も自然と黒板へ集まっていく。どれも騎士を目指す者なら一度は耳にしたことのある科目だが、実際に何を、どこまで学ぶのかまで知る者はいない。
「一年で学ぶ主な科目だ。今のうちに頭へ入れておけ」
先ほどまでランキング戦の話に熱を帯びていた教室も、今は静まり返っていた。
騎士学校へ入学した以上、ここにいる誰もが強くなることを望んでいる。黒板へ並べられた科目を見つめながら、それぞれがこれから始まる学校生活を思い描いているようだった。
「次に、基本的な一日の流れを説明する。朝は体力訓練。午前は座学。午後は実技訓練。その後は各自で自主訓練だ」
バルトは黒板へ時間割を書き加えながら、淡々と説明を続ける。
「日曜日は休養日になる。ただし、補習や特別訓練が入ることもある」
その一言で、教室のあちこちから小さなどよめきが起こった。
「思ったより厳しいな……」
隣で時間割を眺めていたロイが、露骨に顔をしかめる。
「休みなんて、ほとんどないじゃないか」
「騎士学校だからな」
レインが何気なく答えると、ロイは苦笑しながら肩を落とした。
「それはそうだけどさ」
似たような反応を見せているのは、ロイだけではない。
地方の学校とは比べものにならない訓練量なのだろう。期待を膨らませていた生徒たちも、時間割を見たことで、この学校の厳しさをようやく実感し始めたらしい。
そんな空気など意に介さず、バルトは説明を続ける。
「まず、朝の体力訓練だが――」
そこで言葉を切った。
教室中の視線が、教卓の前に立つバルトへ集まる。
「走る」
短い一言だった。
「……以上だ」
一瞬、教室が静まり返った。
何人かが戸惑ったように顔を見合わせる。
本当にそれだけなのか。
そう思った生徒たちの顔を見渡し、バルトは腕を組んだまま続けた。
「どれだけ剣が上手くても、走れなければ戦場では役に立たん。撤退する味方についていけず、部隊から遅れ、最後は置き去りにされる。俺が見てきた戦場では、走れなくなった奴から死んだ」
冗談を口にしているのではない。
その声には、実際に命を懸ける場所を生き抜いてきた者だけが持つ重みがあった。
教室からわずかに残っていた笑いも消え、生徒たちの表情が引き締まる。
「午前は座学だ」
バルトは黒板を軽く叩いた。
「戦術学、歴史、地理、魔獣学。どれも剣や魔法に比べれば、地味に見えるだろう」
否定する者はいなかった。
実際、多くの生徒が楽しみにしているのは、午後の実技訓練だろう。座学に対しては、試験のために覚える退屈なものという印象を抱いている者も少なくない。
だが、バルトは生徒たちの考えを見透かしたように首を振った。
「騎士は、剣だけ振っていれば務まる仕事ではない。部隊を率いるなら進軍路を決める。補給を守るなら地形を読む。魔獣を討伐するなら、相手の生態を知らなければ部隊ごと喰われる」
そこで一度言葉を切り、教室全体を見渡す。
「知識一つで百人が助かることもある。逆に、知らなかっただけで百人が死ぬこともある」
先ほどまで座学を軽く考えていた生徒たちの顔つきが変わった。
教科書の内容を覚え、試験で点を取るために学ぶのではない。
自分が生き残り、部下を生きて帰すために学ぶのだ。
「午後は実技訓練だ」
バルトは黒板に書かれた科目を、順に指し示していく。
「剣術、体術、魔法基礎。そして、集団訓練」
最後の一つを示したところで、その指先が止まった。
「順位戦で勝ちたいなら、得意な実技を磨け。騎士になりたいなら、全部磨け」
教室から小さな笑いが漏れた。
だが、その空気は続く一言で消える。
「特に集団訓練だけは、絶対に手を抜くな」
声を荒らげたわけではない。
「騎士は一人で戦う職業ではない。どれだけ強い人間でも、勝手な行動をする奴が一人いるだけで部隊は崩れる。戦場では、それが全滅につながる」
重い沈黙が教室に落ちた。
それが教科書に書かれた理屈ではなく、バルト自身が戦場で見てきた現実なのだと分かったからだ。
しばらく教室を見渡していたバルトは、満足したように小さく頷くと、教卓の上に置かれていた紙束を手に取った。
「次だ」
その一言で、生徒たちの意識が紙束へ集まる。
何が発表されるのか。
ほとんどの者が察していた。
「入学試験時点での暫定順位を発表する」
予想どおりの言葉に、教室が一気にざわついた。
「勘違いするな。これは、あくまで入学時点での順位だ。三か月後には半分以上が入れ替わっていても、何も不思議ではない」
そう前置きして、バルトは順位表を黒板の横へ掲示した。
生徒たちは一斉に席を立ち、その周囲へ集まっていく。
自分の名前を探す者。
友人や知人の順位を確認する者。
上位に名を見つけて声を上げる者もいれば、予想より低い順位に唇を噛む者もいる。
四十人いれば、反応も四十通りだった。
「二十四位か……」
順位表から自分の名前を見つけたロイが、微妙そうな顔で肩を落とした。
「悪くないだろ」
レインは順位表を眺めたまま答える。
四十人中二十四位。
上位とは言えないが、悲観するほど低い順位でもない。
「中途半端なんだよ。せめて二十位以内には入りたかった」
不満そうに唸っていたロイは、ふと思い出したようにレインを振り返った。
「そういや、お前は?」
「十七位」
「……は?」
「十七位らしい」
レインは自分の名前が書かれた場所を見ながら、もう一度答えた。
入学試験では、十分に実力を抑えたつもりだった。
それでも、予想していたより上の順位になっている。
少し加減を間違えたかもしれない。
「いや、お前、そんなに強そうには見えないぞ」
ロイは心底不思議そうに、レインの姿を上から下まで眺めた。
細身の体格に整った顔立ち。鍛えていないようには見えないが、剣士というより、貴族の子息や文官志望だと言われた方が納得しやすい。
そんなレインが自分より七つも上だと言われても、すぐには受け入れられないのだろう。
「試験の相手がよかったんじゃないか」
レインが適当に答えると、ロイはなおも納得できない様子で順位表とレインを見比べていた。
そのやり取りの間にも、教室ではさまざまな声が飛び交っている。
順位に満足する者。
悔しさを押し殺す者。
何度も順位表を見返し、自分の現在地を受け入れようとする者。
その様子を静かに眺めていたバルトが、やがて低い声で口を開いた。
「その順位に意味があるのは、今日だけだ」
ざわめきが止まる。
「上にいる者は落ちるな。下にいる者は這い上がれ」
短い言葉だったが、不思議なほど教室によく響いた。
「三か月後も同じ順位にいられる保証など、誰にもない。ここは、そういう学校だ」
生徒たちは、改めて順位表へ目を向けた。
それは騎士学校で最初に与えられた順位であり、同時に三か月後には塗り替えるべき目標でもある。
アルディア王立騎士学校。
四十人による最初の競争は、この瞬間、静かに幕を開けた。




