Bクラス
入学式を終えたばかりの一年Bクラスには、まだ式典の余韻が残っていた。
緊張した面持ちで背筋を伸ばす者がいれば、隣の席へ早くも声を掛ける者もいる。教室のあちこちでは、貴族家の名を探るように視線を巡らせる者、平民出身らしい生徒の装備を値踏みする者、自分より強そうな相手を無意識に探す者の姿もあった。
王立騎士学校へ集まった以上、誰もが騎士を目指している。
だが、その胸にあるものは憧れだけではない。
家名を背負う者。己の才を証明したい者。平民から成り上がろうとする者。四十人近い新入生の熱気が、まだ新しい机と椅子の匂いが残る教室を満たしていた。
レインとロイは、その喧騒を横目に教室後方の席へ腰を下ろした。
ロイは教室全体を見渡しながら、少し感心したように呟く。
「結構いるな」
「四十人近いからな」
レインが答えた直後、教室の扉が開いた。
それまで好き勝手に動いていた視線が、一斉に入口へ集まる。
入ってきたのは、大柄な男だった。
短く刈り込まれた髪。日に焼けた肌。厚い胸板。身に着けているのは教師用の制服だが、その姿は講義室よりも戦場の前線がに馴染みそうだった。
無駄のない歩き方。教室全体を一度で把握する視線。そして教卓へ立つまでの短い間にも、隙を見せない身の運び。
騎士を目指す生徒たちだからこそ、それが単なる威圧ではないと分かった。
男は教卓の前で足を止め、教室を一望する。
「一年Bクラス担任のバルトだ」
名乗りは、それだけだった。
だが、その短い言葉だけで教室の雰囲気が引き締まった。数人の生徒が息を呑み、前列から小さなどよめきが広がっていく。
「あれが……」
「元第四騎士団の……」
「第十席だった人だろ」
囁きは、すぐに教室全体へ伝わった。
王国騎士団の席持ちは、騎士を志す者にとって遠い憧れだ。地方では、英雄として語られることすらある。
第四騎士団は、王国騎士団の中でも実戦任務が多いことで知られていた。そこで第十席を務めていた人物が目の前にいる。その事実だけで、先ほどまで浮ついていた新入生たちの背筋は自然と伸びていた。
バルトは周囲の反応を気にした様子もなく、黒板へ向き直る。
「まずは、この学校の仕組みから説明する」
低い声が教室へ落ちると、ざわめきはぴたりと止んだ。
バルトは黒板へ五つの文字を書き並べる。
Sクラス。Aクラス。Bクラス。Cクラス。Dクラス。
「本校は五クラス制だ。AからDまでは各四十名。Sクラスだけは別枠で、十三席しかない」
その言葉に、生徒たちの表情がわずかに変わった。
Sクラス。
王立騎士学校へ入学した者なら、誰もが一度はその名を耳にしている。
学年の頂点であり、将来の王国幹部候補と見なされる場所。そこへ入れば、卒業後の進路も大きく変わる。王国騎士団、地方軍、王都警備隊、文官登用。どの道へ進むにせよ、Sクラスという肩書きの重みは大きい。
「ただし、今いるクラスが卒業まで固定されるわけではない。三か月ごとに総合査定を行い、その結果によって順位もクラスも変動する」
教室に緊張が走った。
入学試験の結果は、あくまで最初の配置に過ぎない。ここから先は授業、実技、演習、日々の評価によって立場が変わる。
上へ進む道がある一方で、下へ落ちることもある。
その現実を理解した生徒たちの顔から、入学直後の浮つきが少しずつ消えていった。
バルトは黒板を軽く叩き、別の項目を書き加える。
「そして本校には、ランキング戦がある」
今度は緊張ではなく、熱が教室へ広がった。
剣に自信のある者。魔法を得意とする者。名家の出身として負けられない者。制度の説明を聞く前から、生徒たちは互いの顔を横目で見始めている。
「ランキング戦は、個人順位を競う制度だ。剣術、槍術、体術、魔法。何を武器にするかは問わん。実戦能力を示し、勝てば順位が動く」
ロイがすぐに手を挙げた。
こういう時の反応だけは早い。
「先生。順位戦は誰にでも挑めるんですか?」
「五つ上までだ」
バルトは即答し、黒板へ数字を書いた。
十位から五位。
「例えば十位の者なら、五位まで挑戦できる。勝てば順位は入れ替わる」
「じゃあ、十位が五位に勝ったら、そのまま五位ですか?」
「そうだ」
教室のあちこちから感心した声が漏れる。
単純で分かりやすい。
だが、単純だからこそ残酷でもある。
実力があれば一気に上へ行ける。逆に敗れれば、その場で順位を奪われる。家柄や入学試験の成績だけでは立場を守れない世界が、ここから始まるのだ。
「ただし、教師の承認は必要だ。実力差が大きすぎる場合、教育上問題がある場合、また明らかに私怨が絡むと判断した場合は却下する。ここは喧嘩場ではない」
その言葉に、何人かが気まずそうに視線を逸らした。
早くも誰かへ挑むつもりだった者がいるのだろう。
バルトはそれも見抜いていたように、教室を一度見渡してから続ける。
「同じ相手への再挑戦は三か月禁止だ。負けた腹いせに毎週挑まれては、授業にならんからな」
そこで初めて、教室に小さな笑いが起きた。
だが、バルトの表情は緩まない。
笑いが収まるのを待ってから、声の重さを一段下げた。
「勘違いするな。本校は決闘者を育てる場所ではない」
教室が静まり返る。
「王国が求めているのは、ただ剣を振るうだけの人間ではない。前線で兵を率いる将校。補給を維持する文官。魔法道具を扱う技術者。情報を読み解く参謀。戦場は、腕の立つ者だけで成り立っているわけではない」
前列の女子生徒が手を挙げた。
「では、個人戦が苦手な者は不利にならないのでしょうか?」
「ならん。少なくとも、個人戦だけで評価が決まることはない」
バルトは頷き、黒板へ総合査定と書き足す。
「本校の査定は、授業、実技、演習、戦術理解、魔法適性、指揮能力、協調性、判断力まで含めて行う。軍略研究を専門にする者もいれば、魔法道具の開発へ進む者もいる。そうした者が高い評価を受けることもある」
それを聞いて、教室の何人かが安堵したような顔を見せた。
しかし次の瞬間、バルトの目が鋭くなる。
「だが、この国では強さにも価値がある」
緩みかけた空気が、再び引き締まった。
「戦場では、一人の強者が戦局を変えることがある。王国騎士団には、一人で数百、時には数千の兵に匹敵すると言われる者もいる。お前たちが目指す世界は、そういう化け物が実在する場所だ」
それは、決して誇張ではない。
王国に生まれ、騎士を志す者なら誰もが知っている。王国騎士団の席持ち。そのさらに上位にいる者たちは、時に戦争ですら左右する。
一人で戦況を覆し、軍勢を退かせる。
彼らは英雄であると同時に、戦場では災害にも等しい存在だった。
「だからランキング戦の結果は、総合査定にも反映される。高順位を維持する者は当然評価されるし、下位から上位を食う者も評価される。戦う力を示す場がある以上、使わない理由はない」
生徒たちの目の色が変わった。
先ほどまで隣に座っていた相手が、今は同じ教室にいる競争相手に見えている。
誰が剣に優れているのか。誰が魔法を得意としているのか。誰が名家の出身で、誰が平民から這い上がろうとしているのか。
視線と沈黙の間で、まだ始まってもいない序列争いが静かに動き出していた。
バルトはその変化を確かめるように教室を見渡し、最後に告げる。
「覚えておけ。本校が育てるのは戦闘狂ではない。王国を支える騎士であり、将校であり、指揮官だ。強さを誇るだけの者は長く残らん。だが、強さを持たぬ者もまた、戦場では守りたいものを守れん。二年間で、その意味を嫌でも知ることになる」
その言葉には、教科書に書かれた理想論にはない重みがあった。
実際に戦場を知る者の声だからだろう。
誰かが喉を鳴らし、誰かが拳を握る。黒板に書かれたSクラスの文字を、じっと見つめる者もいた。
入学式の高揚は、もう教室には残っていない。
代わりにあるのは、これから始まる競争への熱と、王立騎士学校という場所の現実だった。
レインは黙って話を聞いていた。
三か月ごとの査定。ランキング戦。クラス移動。
周囲の生徒たちは早くも目の色を変えているが、レインの胸に浮かんだ感想は一つだけだった。
――面倒そうだな。
平穏な二年間を過ごすつもりで入学したはずなのに、どうやらこの学校は、目立たず静かに暮らすにはあまり向いていないらしい。
隣ではロイが楽しそうに笑っている。教室の前では、バルトが次の説明へ移ろうとしていた。
レインは小さく息を吐き、誰にも気づかれないように黒板から視線を外す。
それでも、始まってしまったものは仕方がない。
アルディア王立騎士学校での二年間は、レインが思っていたよりも、ずっと騒がしいものになりそうだった。




