逃げ道
レインの言葉が落ちた瞬間、集会所の空気はそれまでとは別のものへ変わっていた。
つい先ほどまで地図の上で議論されていたのは、盗賊の拠点をどう攻めるかだった。どこから接近し、どこへ戦力を配置するか。誰が正面を押さえ、誰が側面へ回るか。
だが、元傭兵の可能性が示されたことで、一年生達の視点は変わる。
盗賊はどこで戦うのか。
ではない。
盗賊は、どこへ逃げるのか。
そこが最大の論点になった。
「完全包囲するか」
誰かが口を開く。
視線が一斉に地図へ落ちた。
最も単純な方法だった。
逃がしたくないなら、四方を塞げばいい。
しかし、地図を眺めるほど簡単ではないことも見えてくる。
廃村の周囲は深い森に囲まれ、街道以外にも細い獣道が幾筋も伸びている。百人を超える生徒を夜明け前に配置するだけでも難しい。もし途中で見張りに察知されれば、包囲そのものが崩れる可能性もある。
「森へ散られたら厄介だな」
「二日間の捜索が無駄になるかもしれない」
慎重な意見が続く中、アルベルトが地図へ手を伸ばいた。
「正面はAクラスが押さえるべきだと思う」
街道を指でなぞる。
「一番戦力を集中させやすいし、正面から圧力を掛ける役には向いてる」
何人かが頷いた。
だが、アルベルトはそのまま言葉を続ける。
「ただ、拠点を制圧して終わりとは考えない方がいい」
室内が静まる。
「相手が元傭兵なら、勝てないと判断した時点で逃げる。拠点も荷も捨てると思う」
盗賊にとって守るべきものは廃村ではない。
生き残ることだ。
その考えは自然と全員へ伝わった。
「東はBクラスだな」
アイザックが口を開く。
「森は深いけど足場は悪くない。少人数なら抜けやすい」
「止め切れるか?」
問い掛けられると、アイザックはレインを見る。
レインは少しだけ考え、静かに答えた。
「全部止める必要はないと思います」
視線が集まる。
「一度止めれば十分です。流れを切れれば、その間に他のクラスが追い付けます」
「なるほど」
「時間を稼ぐ役か」
「それなら現実的だな」
一人の発言に別の生徒が補足し、さらに別の生徒が形にしていく。
会議らしい流れが自然と生まれていた。
「南側はCクラスだな」
「村へ向かう道を抜かれるのはまずい」
異論は出ない。
討伐演習とはいえ、村人を危険へ晒すわけにはいかなかった。
「Dクラスは予備戦力」
アルベルトが言う。
「状況を見て一番必要な場所へ動く」
「予備か……」
小さく呟く声が上がる。
するとアルベルトは苦笑した。
「予備って、一番楽な役じゃないよ。崩れた場所を全部支えることになる」
その一言で、不満そうだった表情も少し和らいだ。
地図の上には少しずつ包囲網が形を作り始める。
Aクラスが正面。
Bクラスが東。
Cクラスが南。
Dクラスは機動予備。
その時だった。
レインが西側を見つめたまま口を開く。
「西は、どうしますか」
全員が地図の西側を見る。
深い森。
道はない。
だが、逃げられない場所でもない。
「塞ぐしかないだろ」
誰かが答える。
しかしレインはゆっくり首を振った。
「逆です」
静かな声だった。
「西は逃げ道に見せた方がいいと思います」
一瞬、誰も言葉を発しなかった。
最初に反応したのはアルベルトだった。
「誘導するのか」
レインは頷く。
「完全に囲まれたと思えば、人は一番薄そうな場所を探します」
「元傭兵なら、なおさらだな」
アルベルトが続ける。
「勝てない戦いに残る理由はない」
「逃げられると思えば、そこへ流れる」
アイザックも腕を組みながら頷いた。
「だったら西に少数を伏せておけばいい」
「人数は多くない方がいいですね」
レインが補足する。
「多いと気付かれる。この森なら、少ない方が隠れやすいです」
しばらく地図を見つめていたアルベルトが、小石を一つ西側の森へ置いた。
「なら、僕はここへ入る」
「俺も行く」
アイザックが言う。
しかしレインは首を横に振る。
「東はまとめ役が必要です」
アイザックは数秒考え、小さく笑った。
「確かに。俺が抜けると東が困るか」
そこから先は細かな確認だった。
見張りを制圧する順番。
配置を終える時間。
合図の方法。
夜明け前の行動。
議論は夜まで続いたが、大きな修正は入らなかった。
敵を追い詰めるのではない。
敵に逃げ道があると思わせ、自分達の望む場所へ誘導する。
その発想に辿り着いたことで、この討伐はただ盗賊を倒すための演習ではなく、一つの作戦へと姿を変えていた。
やがてカイルが地図を見渡し、静かに頷く。
「これでいこう」
異論を唱える者はいなかった。
集会所を出る頃には、村はすっかり夜の静けさに包まれていた。
盗賊達はまだ知らない。
自分達が逃げ道だと思って選ぶその先で、待ち受ける者達がいることを。




