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英雄なのか?  作者: よろず
アルディア騎士学校
38/53

逃げ道


レインの言葉が落ちた後、集会所の空気は明らかに変わっていた。

それまで机の上に広げられた地図は、盗賊の拠点を示すためのものだった。廃村の位置、見張り場、街道、獣道、荷車の轍。そこに書き込まれている情報は、どこを攻めるかを考えるための材料に見えていた。だが今は違う。全員の視線は、盗賊がどこへ逃げるかを探し始めている。

「完全に囲むか」

誰かがそう言った。

当然の発想だった。逃がさないことが勝利条件なら、四方を塞ぐのが最も分かりやすい。だが、その言葉にすぐ頷く者はいなかった。地図を見れば見るほど、それが簡単ではないことが分かるからだ。廃村は森に囲まれており、正面の道以外にも細い獣道がいくつも伸びている。こちらが百人以上の人数を動かせば包囲そのものは可能だが、配置に時間がかかれば、その分だけ気付かれる危険も増える。

アルベルトは地図の上へ小石を置いた。

「正面はここだ。道幅があり、人数を動かしやすい。突入するならAクラス中心が妥当だろう」

誰も反論しない。

Aクラスは全体的な戦力が高い。正面から圧力をかける役に向いている。軍略組の一人がすぐに地図の正面側へ小石を二つ置き、突入隊の進路を示した。

「ただし、突入隊だけで終わらせようとするな」

アルベルトが続ける。

「盗賊頭が元傭兵なら、拠点を守ることにはこだわらないはずだ。勝てないと判断すれば、荷を捨ててでも逃げる」

その言葉に、集まっていた生徒達の表情が引き締まる。盗賊は拠点を守るために戦うのではない。生き延びるために戦う。そこを取り違えれば、いくら正面から勝っても逃げられる。

「東側はBクラスが見る」

そう言ったのはアイザックだった。

視線が集まる中、彼は森の東側へ指を置く。

「木が深いが、足場は悪くない。少人数が抜けるには十分だ。盗賊が散って逃げるなら、ここを使う可能性がある」

「Bクラスで足りるか?」

Dクラスの生徒が問う。

アイザックはすぐには答えず、一度レインへ目を向けた。レインは地図を見たまま小さく頷く。

「全部止める必要はない。逃げ込まれた時に動きを遅らせればいい」

その言葉で意図を理解した者が何人かいた。東側は本命ではない。だが完全に空ければ盗賊が流れる。だからBクラスがそこに立ち、抜けようとする者を押し留める。討伐というより、流れを制御するための配置だった。追ってきたAクラスの生徒達と挟み撃ちにができる。

「南側はCクラスが押さえるべきだな」

軍略組の一人が言う。

「村へ繋がる道がある。万一そこへ逃げられたら、村人を巻き込む」

その言葉に室内の空気がわずかに重くなった。

盗賊討伐は、学校の演習である前に実際の治安維持だ。村へ逃げられれば、勝敗どころでは済まない。Cクラスの代表が頷き、南側へ小石が置かれる。

「ではDクラスは予備か」

「予備兼追撃だ」

アルベルトが答えた。

「どこかが崩れた時に動ける位置へ置く。全員を最初から固定すると、盗賊頭が予想外の動きをした時に対応できない」

Dクラスの生徒は少し不満そうだったが、それでも反論はしなかった。予備は後ろに置かれる部隊ではあるが、決して楽な役ではない。状況を見て最も危ない場所へ走る役でもある。軍略に長けた者ほど、それが分かっていた。

ここまでで、机の上には大まかな包囲線が形を取り始めていた。

正面からAクラスが圧力をかける。

東をBクラスが押さえる。

南をCクラスが封鎖する。

Dクラスは予備として動く。

単純だが、悪くない布陣だった。

しかしレインはまだ地図から目を離さなかった。

「西はどうする?」

その一言で、全員の視線が地図の西側へ向く。

廃村の西側は森が深く、道らしい道はない。だが、完全な崖でもなかった。逃げようと思えば逃げられる。むしろ森に慣れた者なら、そこが一番姿を隠しやすい。

「塞ぐべきだろう」

誰かが言った。

だがレインは首を横に振る。

「塞ぎすぎると、別の道を探される」

その言葉に数人が眉をひそめる。

アルベルトだけは、すぐに意味を理解したようだった。

「逃げ道に見せるのか」

レインは頷く。

「本当に空けるわけじゃない。ただ、盗賊頭から見て一番薄く見える場所を作る」

室内が静かになる。

完全包囲ではなく、あえて逃げ道を残す。普通に聞けば危険な案だった。だが、相手が元傭兵か元兵士なら話は変わる。完全に囲まれたと判断すれば、盗賊頭は無理にでも突破口を探す。こちらが全てを塞いだつもりでも、向こうは最も薄い場所を見抜こうとするだろう。

ならば、その薄い場所をこちらが用意する。

「誘導か」

カイルが低く言った。

その声には驚きよりも納得があった。

「西側を薄く見せ、盗賊頭をそこへ向かわせる。だがその先に伏兵を置く」

「人数は多くしない方がいい」

レインが続ける。

「多すぎると気付かれる。森も深い。隠れて待つなら少数の方がいい」

「誰を置く?」

問いが出る。

しばらく沈黙があった。

そこへアルベルトが石を一つ、西側のさらに奥へ置いた。

「僕が行こう」

その言葉に何人かが顔を上げる。

アルベルトは元Bクラス首席であり、今はAクラスへ上がった生徒だ。戦闘力も判断力も高い。伏兵を任せるには申し分ない。

「俺も行く」

アイザックが言った。

だがレインは首を振る。

「東側には判断できる人間が必要だ。アイザックはBクラスをまとめてくれ」

アイザックは一瞬だけ目を細めたが、すぐに頷いた。

「分かった」

「西側の伏兵は少数でいい。アルベルト、各クラスの軍略組から数人、それと……」

レインがそこまで言うと、アルベルトが静かに視線を向けた。

「君も来るべきだ」

室内の視線がレインへ集まる。

レインは少しだけ面倒そうな顔をしたが、この場で断る理由はなかった。盗賊頭の動きを読むなら、東側よりも西側の方が重要になる。そこへ行かない方がかえって不自然だった。

「分かった」

短く答えると、アルベルトは満足したように頷いた。

作戦の骨格は決まった。

だが軍略組の議論はそこで終わらない。

「見張りはどうする」

Cクラスの戦術上位者が問う。

「突入前に無力化する必要がある」

「見張りに騒がれたら配置前に逃げられる」

「夜明け前に動くなら、見張り交代の直後が狙い目だ」

意見が重なる。

地図の上にさらに小石が置かれた。見張り場。拠点入口。森へ続く獣道。どこを先に押さえるかが一つずつ決まっていく。話し合いは熱を帯びていたが、誰も無駄に声を荒げない。今この場で決めていることが、明日の命に関わると全員が理解していた。

やがてアルベルトが全体を整理するように言った。

「夜明け前に配置へ入る。まず見張りを抑え、Aクラスが正面から圧力をかける。Bクラスは東側、Cクラスは南側を封鎖。Dクラスは予備として後方で待機し、逃走が発生した場所へ動く」

全員が地図を見る。

「西側は薄く見せる。ただし、その奥に伏兵を置く。盗賊頭がそこへ逃げた場合、伏兵で止める」

「逃げなかった場合は?」

Dクラスの生徒が尋ねる。

「その時は本隊が拠点を制圧する」

アルベルトは即答した。

「だが元傭兵なら、拠点に固執はしないだろう」

その言葉には確信に近いものがあった。

室内に沈黙が落ちる。

作戦は決まった。

完全なものではない。

学生が一晩で作った作戦だ。

抜けもあるだろうし、想定外も起こるだろう。

それでも、最初に出た単純な奇襲案とは明らかに違っていた。敵の性質を読み、逃走路を想定し、あえて誘導する。戦う前から、もう勝負は始まっている

「では、これでいく」

アルベルトの声が室内へ落ちる。

レインは地図上の西側へ置かれた小石を見つめていた。

そこが明日の要になる。

盗賊頭が本当に元傭兵なら、必ず動く。

村の集会所の外では、夜の森が静かに広がっていた。盗賊達はまだ、自分達の逃げ道がすでに地図の上で選ばれつつあることを知らない。

討伐は明日。

その言葉だけが、集会所の中に重く残っていた。

の上で選ばれつつあることを知らない。


討伐は明日。




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