痕跡
森へ足を踏み入れると、村の気配はすぐに遠ざかった。
丘の上から見下ろした時はそれほど深い森には見えなかった。しかし実際に中へ入ると印象は大きく変わる。高く伸びた木々が枝葉を広げて陽射しを遮り、昼前だというのに森の中は薄暗い。足元には湿った落ち葉が積もり、一歩進むたびに乾いた葉と土を踏む音が静かに響いた。
レインは先頭を歩きながら周囲へ視線を巡らせる。
森では遠くを見る意味はない。
見るべきは足元、木々の間、折れた枝、踏み荒らされた草。人が通れば必ず何かが変わる。どんな小さな違和感も見逃さないことが、この手の調査では何より重要だった。
後方ではアイザックが右側を警戒し、ガレンは左側へ目を配る。
ワルは落ち着かない様子で辺りを見回していたが、勝手に前へ出ることはなかった。
夜間奇襲訓練で叩き込まれた連携は、こういう場面でも自然と身体が動く。
「静かだな」
ガレンが小さく呟く。
「その方が普通だ」
レインは前を向いたまま返した。
「だよな。簡単に見つかるようなら盗賊なんて続けられねぇか」
短く笑ったガレンだったが、その手はいつでも剣を抜ける位置に添えられている。
その時だった。
「止まれ」
アイザックの声に全員の足が止まる。
しゃがみ込んだアイザックは落ち葉を払い、地面を指差した。
「足跡だ」
全員が視線を落とす。
「犬型ですね」
ガレンが静かに言う。
土には複数の足跡が残っていた。
大きさからして犬型の低級魔物。
しかも一匹ではない。
「新しいな」
「間違いなさそうだ」
レインも頷く。
盗賊ではない。
だが、森へ入る以上は魔物との遭遇も想定の内だった。
「このまま進もう」
短く告げた、その直後だった。
左前方の茂みが激しく揺れる。
低いうなり声と共に灰色の犬型魔物が姿を現した。
一体。
続いて二体。
全部で三体。
魔物は生徒達を見つけるや否や、一斉に飛び掛かってくる。
「来るぞ!」
最初に飛び出したのはワルだった。
真正面から受け止め身体をずらす。
勢い余った魔物の首元へ迷いなく剣を振り下ろした。
一体目が地面へ転がる。
ほぼ同時に二体目が側面へ回り込む。
「今だ」
アイザックの風魔法が魔物の足元を払った。
体勢を崩した隙へガレンが踏み込み、一閃。
短い悲鳴と共に二体目が倒れる。
残る一体は一直線にレインへ飛び掛かった。
牙を剥き、喉元へ食らいつこうと迫る。
レインは一歩だけ踏み込み、すれ違う瞬間に剣を振る。
一筋の剣閃。
魔物は数歩進んだところで崩れ落ち、そのまま動かなくなった。
戦闘は数十秒で終わる。
「怪我は?」
「ねぇ」
「問題ない」
全員の返事を確認すると、レインは剣に付いた血を払い、再び歩き出した。
森は再び静けさを取り戻す。
魔物の足跡を辿るように進んでいくと、不意にガレンが足を止めた。
「ここ」
木の根元を指差す。
落ち葉だけが不自然に払われ、土が露出していた。
その横には黒く焦げた跡。
「焚き火か」
ワルがしゃがみ込む。
レインも灰を指先で摘まんだ。
まだ完全には風化していない。
数日以内。
そんな印象だった。
「人がいたな」
アイザックが周囲を見回す。
折れた枝。
踏み固められた地面。
そして複数の足跡。
誰かが一定時間滞在した痕跡だった。
レインは周囲の地形を見回す。
少し登れば街道が見える。
村からも近すぎない。
見張りにも休憩にも使いやすい場所だった。
「どうする?」
ワルが森の奥を見る。
「追うか?」
レインは首を横へ振る。
「いや、戻ろう」
「何かあるかもしれねぇぞ」
「あるかもしれない。でも、それを確かめに行くには情報が足りない」
レインは焚き火跡へ視線を落とした。
「今日は十分だ。これだけでも大きな収穫だろ」
アイザックも頷く。
「俺もそう思う」
ワルは少しだけ不満そうな顔をしたが、すぐに肩を竦めた。
「了解」
四人は焚き火跡を頭へ刻み込み、その場をあとにする。
森を抜ける頃には、陽は西へ傾き始めていた。
集合地点へ戻ると、すでにいくつかの班が帰還している。天幕の近くでは地図が広げられ、それぞれが集めた情報を整理していた。
「戻りました」
レイン達が近付くと、ロイが勢いよく立ち上がる。
「おっ、ちょうど良かった!」
「そっちは何かあったのか?」
ガレンが尋ねる。
「ああ。村人から面白い話が聞けた」
ロイは地図の上を指でなぞった。
「夜になると、この辺の森で火が見えることがあるらしい」
「火?」
「焚き火だと思うって話だ。毎日じゃないけど、何度か見た村人がいるらしい」
その言葉にレインとアイザックは顔を見合わせた。
「森で焚き火の跡を見つけた」
レインが答えると、その場の空気が少し変わる。
「本当か?」
「ああ。数日以内のものだと思う」
地図を挟んで話を聞いていた生徒達も自然と集まってきた。
「場所は?」
アイザックが地図を指差す。
「この辺りだ」
ロイも村人から聞いた場所を書き込む。
二つの印は、ほとんど重なる位置だった。
「一致してるな……」
誰かが小さく呟く。
そこへ街道を担当していた班も戻ってくる。
「街道沿いで荷馬車が襲われた跡を見つけた」
エリオットが報告した。
「荷車の車輪跡と、折れた矢が残ってた。少なくとも数日前のものらしい」
「他には?」
「近くで争った跡もあった。ただ、無論死体はなかった」
今度は畑周辺を担当していた班が口を開く。
「村人が何人か同じことを言ってた」
「何だ?」
「見慣れない男達を見掛けることがあるって。荷物を背負って森へ入っていく姿を何度か見たらしい」
一つ一つの情報だけなら決め手にはならない。
だが地図へ書き込んでいくにつれ、ばらばらだった情報が少しずつ繋がっていく。
焚き火跡。
夜に見える火。
街道の襲撃地点。
森へ入る不審な男達。
レインは地図を見つめながら静かに口を開いた。
「村の近くへ潜伏している可能性は高そうですね」
アイザックも頷く。
「少なくとも活動範囲は絞れそうだ」
ワルは腕を組みながら森の方角を見た。
「明日は見つかりそうだな」
「焦るな」
アイザックが短く返す。
「今日集まったのは、まだ状況証拠ばかりだ」
「分かってるよ」
ワルも苦笑しながら肩を竦めた。
そのやり取りを聞いていたレインは、地図を折り畳む。
「今日はここまでにしましょう。暗くなってから森へ入る意味はないから」
異論を挟む者はいなかった。
全員が今日一日で十分に理解している。
盗賊は確かに近くにいる。
だが、その姿を焦って追えば、今度は自分達が待ち伏せされる側になる。
だからこそ、一つずつ情報を積み重ねる。
それが今回の実務演習だった。
少し離れた場所では、リリア達三人が一年生達の様子を静かに見守っていた。
誰一人として口は挟まない。
助言もしない。
一年生だけで情報を持ち寄り、整理し、次の方針を考えている。
その姿を見たリリアは、小さく微笑んだ。
「ちゃんと調査になってるね」
クリスティーナも視線を地図へ向けたまま頷く。
「情報の共有もできています。このままなら十分合格点でしょう」
レオンも腕を組んだまま、小さく笑う。
「明日が楽しみだな」
三人はそれ以上何も言わなかった。
今回の主役は、あくまで一年Bクラスなのだから。




