順調
リリア達がレインとアイザックの前で足を止めたのは、昼休憩へ入ってすぐのことだった。
一年生達はそれぞれ荷物を降ろし、水筒の水を口にしている。長距離行軍の疲れは確かに見えていたが、誰も勝手な行動は取っていない。装備の留め具を確認する者がいれば、足取りの重くなった仲間へ声を掛ける者もいる。休憩へ入ったからといって緊張が完全に解けることはなく、部隊としてのまとまりは保たれていた。
「順調そうだね」
リリアは周囲を見回しながら言った。
「今のところは、ですね」
レインが答えると、クリスティーナが少しだけ視線を遠くへ向ける。
「到着は予定どおりですか?」
「このまま進めば、明日の昼前には着く見込みです」
アイザックが即座に答えた。
クリスティーナは小さく頷く。その横でリリアは休憩中の一年生達へ視線を移し、しばらく様子を眺めてから口を開いた。
「疲れてる子はいるけど、誰も列を乱さなかったね」
「声掛けも自然です」
クリスティーナも続ける。
「隊長や副隊長だけで維持している部隊ではありません。互いに周囲を見て動けています」
レオンも一度だけ頷いた。
「初日なら十分だ」
それだけ言うと、三人は本当に確認だけを終えたように踵を返した。
レインは遠ざかっていく三人の背中を見送りながら、小さく息を吐く。
実務演習の説明を聞いた時は半信半疑だったが、ここまで徹底されると嫌でも分かる。失敗も成功も一年生自身のものだ。二年生達は不測の事態に備えて同行しているだけで、任務へ手を貸すつもりはないのだろう。
少し離れた場所では、ロイ達がその様子を見守っていた。
「終わりか?」
ロイが呟く。
「終わりだな」
ガレンも頷いた。
「何だったんだ?」
「確認だろ」
「でも、少し褒められてなかったか?」
誰かがそう言うと、周囲の表情が僅かに緩んだ。
二年Sクラスから認められたという事実は、思っていた以上に一年生達の士気を高めていた。疲労で沈みかけていた空気が少し軽くなり、休憩を終える頃には、再び前を向く気配が戻っていた。
昼休憩を終えると、行軍は再開された。
午後になるにつれて、街道を行き交う人影は徐々に減っていく。王都近郊の整備された道はまだ続いていたが、周囲の景色は少しずつ変化していた。畑の数は減り、代わりに森が増えていく。村と村の間隔も広がり、人の気配は確実に薄くなっていた。
最初こそ実戦への緊張で身体を固くしていた生徒達だったが、数時間も歩けば別の敵と向き合うことになる。
疲労である。
「足が重い……」
ロイがぼやく。
「まだ一日目だぞ」
ガレンが呆れたように返す。
「だからだよ。二日目が怖いんだ」
その言葉に周囲から小さな笑いが漏れた。
実際、長距離行軍へ慣れている者は少ない。王立騎士学校で鍛えられているとはいえ、荷物を背負ったまま何時間も歩き続ける経験は限られていた。夜間奇襲訓練の時は荷馬車もあり、今回ほど長い距離を自分の足だけで進んだわけではない。
戦場では当たり前のことでも、学生達にとっては十分に厳しい試練だった。
それでも隊列は崩れない。
誰かが遅れれば近くの者が声を掛ける。荷物の紐が緩めば足を止める前に隣の者が気付く。水分補給の合図も自然と共有され、必要以上に列が伸びることもなかった。
その日の夕方、一行は宿場町から少し離れた空き地へ到着した。
周囲には低い木々が点在し、すぐ近くには細い川も流れている。地面は比較的平らで、見通しも悪くない。完全に安全な場所とは言えないが、野営地としては悪くなかった。
レインは周囲を一度見渡したあと、アイザックへ視線を向ける。
「ここでいいと思う」
「俺も異論はない。森からも距離があるし、見張りも立てやすい」
意見が一致すると、二人はすぐに設営の指示へ移った。
天幕は中央へまとめすぎず、緊急時に動きやすい間隔を取って配置する。荷物は決められた場所へ集め、火を起こす場所は風向きを考えて選ぶ。見張りの位置も一方向だけではなく、街道側と森側の両方を確認できるように分けた。
夜間奇襲訓練で経験した作業ばかりだった。
最初の頃であれば、誰が何をするかで混乱していただろう。だが今では、細かな指示がなくても各自が必要な役割へ動いていく。天幕を張る者、薪を集める者、水を確保する者、周辺を確認する者。三ヶ月の合同訓練で身に付けたものが、ここでも確かに生かされていた。
「見張りは四組に分ける」
レインが言う。
「一組あたり二刻。交代前に必ず次の組を起こせ。異変があっても一人で確認には行くな」
生徒達は真剣な表情で頷いた。
設営が終わる頃には空が赤く染まり始めていた。
焚き火を囲みながら簡単な食事を取る。保存用の固いパンと干し肉、それに温めたスープ。決して豪華ではなかったが、長時間歩いた後の身体には十分だった。
談笑する者もいる。
だが普段より声は小さい。
明日には目的地へ到着する。
そして到着すれば、本格的な盗賊捜索が始まる。
誰もがそれを意識していた。
夜は何事もなく過ぎた。
見張りも問題なく交代し、異変を知らせる声が上がることもない。夜明け前には起床の合図が出され、生徒達はまだ薄暗いうちから野営地の撤収を始めた。
朝食を済ませると、再び行軍を開始する。
前日の疲労は残っていたが、昨日よりも歩調は安定していた。一度経験したことで、自分の体力配分を理解した者が多かったのだろう。最初から無理に速く歩く者もおらず、隊列は一定の速度を保ったまま進んでいく。
そして昼前。
先頭を歩いていたレインが足を止めた。
目の前の緩やかな丘を越えた先に、小さな村が見える。
「着いたか」
アイザックが隣へ並ぶ。
規模は大きくない。
三十軒ほどの家屋と畑があり、その周囲を囲むように森が広がっている。村の中央には小さな井戸があり、畑では数人の村人が作業をしていた。
どこにでもある地方の村だった。
「盗賊がいるようには見えないな」
ワルが目を細める。
「見えたら苦労しないだろ」
レインは苦笑した。
全員が集まったところで、地図を広げる。
それまで行軍の疲労を見せていた生徒達の表情が自然と引き締まった。
ここから先は移動ではない。
任務だ。
「ここからは分かれて動くよ」
生徒達の視線が地図へ集まる。
「四十人で村へ入れば目立つ。聞き込みもしにくいし、こちらの動きが盗賊側へ伝わる可能性もある。五人前後の組に分かれて行動する」
反対する者はいなかった。
むしろ当然だと考える者の方が多い。
「村の中、街道沿い、畑周辺、宿場方面。それぞれ担当を決める」
レインは地図の上へ指を走らせる。
「村では襲撃の時期や場所、盗賊の人数、使っていた武器を聞く。街道組は襲撃地点の痕跡を探す。畑周辺は不審な人影や物資の移動がなかったかを確認してくれ」
続けて、最後に森を指した。
「森林区域は索敵に向く者と、戦闘能力の高い者を中心に回る。魔物と遭遇する可能性もあるし、盗賊の見張りがいるかもしれない」
単純に強い者を集めるのではなく、役割を考えた上での編成だった。
森へ入る組にはレイン、アイザック、ワルを含め、周囲の変化へ気付きやすい者が選ばれた。ロイやエリオット達は村での聞き込みを担当する。人当たりの良いロイは村人の警戒を解くのに向いており、エリオットは話を整理して記録する役目を任された。
やがて全ての分担が決まる。
レインは最後に全員を見渡した。
「日没前にはここへ戻れ。何か見つけても無理はするな。必ず一度引き返して報告しろ。まずは情報を集めることを優先する」
短い指示だった。
だが全員が真剣な表情で頷いた。
生徒達はそれぞれの担当区域へ向かって歩き始める。村へ向かう者、街道を下る者、畑へ向かう者。そしてレイン達は森へ向かう。
その様子を少し離れた場所から、リリア達が静かに見ていた。
しかし三人は何も言わない。
編成について助言することもなければ、作戦へ口を挟むこともない。ただ、一年生達がそれぞれの役割へ散っていく姿を見送っている。
任務の主体はあくまで一年生。
その方針は最後まで変わらなかった。
森へ足を踏み入れると、村の気配はすぐに遠ざかった。
木々が風に揺れる音。
鳥の鳴き声。
湿った土と草の匂い。
足元には落ち葉が積もり、少しでも気を抜けば踏みしめる音が大きく響く。
盗賊の姿はまだない。
争った痕跡も見当たらない。
だがレインは歩みを緩めることなく、自然と周囲へ意識を向けていた。
枝の折れ方。
地面に残った足跡。
不自然に押し潰された草。
人が通った痕跡は、探し方を知っていれば完全には隠せない。
後ろを歩くアイザック達も言葉を減らし、周囲へ注意を配っている。
行軍は終わった。
情報収集も始まった。
そして本当の実務演習は、ここから始まるのだった。




