アストレア魔導学園解決へ3
「この地下施設は重要な証拠になります。」
広間を見渡したギデオンは、四名の警備職員へ視線を向けた。
「あなた方四名は、この場に残ってください。」
「地下施設の封鎖と現場保存を最優先とします。私の許可なく、誰一人として立ち入らせないように。」
「「承知しました。」」
四人は力強く返答すると、それぞれ持ち場へ散っていく。
二人は地下広間の出入口を警戒し、残る二人は室内の保存状態を確認し始めた。
ギデオンはその様子を静かに見届け、小さく頷く。
「後は任せます。」
そう告げると、レインたちへ向き直った。
「我々は一度戻りましょう。」
「これ以上ここで調べても、新しい情報は得られそうにありません。」
レインも異論はなかった。
「分かりました。」
エレアも頷き、一行は地下広間を後にする。
静まり返った階段を上り、隠し通路へ出る。
レインが仕掛けを戻すと、重々しい音を立てて書棚がゆっくりと閉じ、地下へ続く入口は何事もなかったかのように姿を消した。
研究室を出ても、誰も口を開かなかった。
昼間だというのに図書館は静まり返り、遠くからページをめくる音だけが微かに聞こえてくる。
地下で見た光景は、それほどまでに衝撃的だった。
教授殺害。
禁呪研究。
忽然と姿を消した地下施設。
そして、学園内部に潜む何者か。
どれ一つとして軽い話ではない。
図書館を出る頃になっても、ギデオンは考え込んだままだった。
誰へ向けるでもない声が漏れる。
「発見は日の出直後。」
「その僅かな時間で地下施設を空にしたのか……。」
歩きながら何度も首を横へ振る。
「いや……。」
「違う。」
「我々が動くことを知っていたと考える方が自然だ。」
さらに数歩進み、足を止める。
「情報が早すぎる。」
「内部にいる。」
「やはり学園の中に、協力者が……。」
その言葉は独り言というより、自らの考えを整理するための呟きだった。
レインはその横顔を静かに見つめる。
エレアも何も言わない。
やがて学園本館へ戻ると、ギデオンはゆっくりと振り返る。
「今日はここまでにしましょう。」
「警備体制はこちらで整えます。」
「皆さんは十分休んでください。」
そう言って一礼すると、足早に廊下の奥へ歩き去っていく。
その背中はどこか疲れ切っているようにも見えた。
夜。
閉館した図書館は静寂に包まれていた。
高い窓から差し込む月明かりが長い書棚の影を床へ落とし、昼間とはまるで別の場所のような空気を漂わせている。
その静寂を破るのは、一人分の足音だけだった。
ギデオンはゆっくりと館内を歩いていた。
昼間に見た地下施設の光景が、何度も脳裏をよぎる。
完全に姿を消した研究員たち。
紙一枚残されていなかった広間。
そして、教授殺害。
「……早すぎる。」
誰へ向けるでもない呟きが漏れる。
「あの短時間で撤収できるはずがない。」
「ならば、誰が――」
「こんばんは、副学園長さん。」
不意に声が響いた。
ギデオンは足を止め、ゆっくりと振り返る。
書棚の陰から姿を現したのはピリカだった。
「……君ですか。」
「こんな時間に何をしているのです?」
「司書さん探してたんだけど、誰もいなくて。」
館内を見回しながら、困ったように笑う。
「閉館していますからね。」
ギデオンは穏やかな笑みを浮かべた。
「何か御用でしたら、明日に――」
「ねぇ。」
ピリカがその言葉を遮る。
「キメラの禁書って、いくらで買う?」
空気が止まった。
ギデオンの笑みが消える。
「……今、何と?」
「これ。」
ピリカは懐から数枚の紙を取り出すと、軽く放り投げた。
紙はひらりと宙を舞い、ギデオンの足元へ落ちる。
無言のまま拾い上げ、一枚ずつ目を通していく。
そのたびに、表情から余裕が失われていった。
「……これは。」
紙に描かれている古代文字と魔法陣。
昨夜、地下施設で研究されていた《生命融合術》の術式の一部だった。
「昨日さ。」
ピリカは悪戯っぽく笑う。
「レインと一緒に禁呪教団へ侵入した時、盗んだんだ。」
ギデオンは紙から目を離さない。
やがて、小さく呟いた。
「……間違いない。」
「これは奴らが調べていた資料だ。」
ピリカはにやりと笑う。
「教授を殺したの、副学園長さんだよね?」
ギデオンはゆっくりと顔を上げる。
「……何を根拠に、そのようなことを言うのです。」
「二つ目の結界。」
ピリカは笑みを浮かべたまま答える。
「あれ、よくできてたでしょ?」
「あの結界、教授さんを殺した特殊魔術を元に組んであったの。」
ギデオンの瞳がわずかに揺れた。
「それにね。」
「あの結界は、その特殊魔術の術式を知ってる人じゃないと解呪できない。」
一歩、ギデオンへ近づく。
「だから、自ずと教授さんを殺した犯人は、副学園長さんになるよね。」
館内に静寂が落ちた。
ギデオンは何も答えない。
ただ、ピリカを見つめ続けていた。
やがて、その沈黙を破るように掠れた声が漏れる。
「……馬鹿な。」
「……あれは、私が数十年かけて完成させた術式だ。」
言葉を発した瞬間、ギデオンの表情が凍り付いた。
その場へ、重い沈黙が落ちた。
ギデオン自身が、自らの失言に気付いていた。
「あ……。」
声にならない息が漏れる。
目の前の少女は、まだ何一つ証明していない。
それなのに、自分は術式の出所を認めてしまった。
ピリカはその様子を見つめ、ふっと笑みを浮かべる。
「世界って広いね。」
「副学園長の術式を解ける人って、結構いるんだ。」
ギデオンは答えない。
答えられなかった。
理解できない。
目の前にいるのは、まだ十代半ばにも満たない少女だ。
その少女が、数十年を費やして完成させた術式を見抜き、解呪し、その意味まで理解している。
常識では考えられない。
だが、現実として目の前で起きている。
長い沈黙が流れた。
やがて、ピリカが首を傾げる。
「ねぇ。」
「どうする?」
その一言で、ギデオンはようやく我に返った。
乱れかけた呼吸を整え、ゆっくりと表情を作り直す。
まだ終わってはいない。
ここで取り乱すわけにはいかない。
「……分かりました。」
静かな声だった。
「その禁書を譲っていただきましょう。」
「いくらです?」
ピリカは嬉しそうに笑う。
「禁書代だけでいいよ。」
「教授殺しは黙っててあげる。」
ギデオンは数秒、無言でピリカを見つめた。
やがて、観念したように小さく息を吐く。
「……あの男は私の間者でした。」
「しかし、愚かなことに金をせびってきた。」
「この私を脅したのです。」
その声に怒気がまじる。
むしろ、侮蔑だけが滲んでいた。
「才能の欠片もない。」
「金だけで教授の椅子に座ったような男が、この私へ取引を持ちかけた。」
「身の程を知らなかった。」
「だから殺した。」
「それだけです。」
「だって。」
ピリカが小さく呟く。
その瞬間。
「――そこまでです。」
静かな声が背後から響いた。
ギデオンが勢いよく振り返る。
暗い書架の間から、レインとエレアがゆっくりと姿を現した。
ギデオンの表情から、最後の余裕が消えた。
レインとエレアを交互に見据え、その視線が最後にピリカで止まる。
「……最初から、私を嵌めるつもりだったのですか。」
「ううん。」
ピリカは首を横に振った。
「嵌めたんじゃないよ。」
「副学園長さんが、自分で喋っただけ。」
ギデオンは何も答えない。
その目だけが静かに細められていく。
次の瞬間だった。
反射的に右手が杖を握る。
魔力が一気に練り上げられ、館内の空気が震えた。
「まだ――」
その時だった。
「……何?」
違和感に気付いたギデオンが、自らの右腕へ視線を落とす。
杖を握る右手が、白く染まり始めていた。
薄い氷が皮膚を覆い、指先から手首へと一瞬で広がっていく。
「なっ……!」
慌てて魔力を流し込む。
砕こうとする。
だが、氷は止まらない。
手首から肘へ。
肘から肩へ。
まるで生き物のように這い上がり、全身へと広がっていく。
「馬鹿な!」
ギデオンは咄嗟に後方へ飛び退こうとした。
しかし、すでに右脚も凍り始めていた。
一歩も動けない。
「貴様らは何も――」
言葉は最後まで続かなかった。
首元まで達した氷が一気に全身を包み込み、ギデオンは杖を握ったまま、その場で完全に凍り付く。
図書館へ再び静寂が戻る。
しばらく凍ったギデオンを眺めていたピリカは、恐る恐るエレアの方を振り返った。
「……殺してないよね?」
エレアは凍ったギデオンを一瞥すると、安心させるように親指を立てる。
「大丈夫です。」
穏やかな笑みを浮かべたまま続けた。
「錆は落としてきたから。」
「錆?」
「ええ。」
エレアはくすりと笑う。
「村を一つ氷漬けにして勘は戻りました。」
その言葉に、ピリカは胸を撫で下ろした。
「よかったぁ。」
レインは凍り付いたギデオンへ静かに歩み寄る。
氷の中の表情は驚愕したまま止まっていた。
レインは苦笑いするしかなかった。




