潜入成功10
地下広間に重苦しい静寂が満ちる。
壇上の男は、ざわめきが収まるのを待ってから静かに口を開いた。
「解読が完了した禁呪資料について、詳細を説明します。」
男は一冊の古びた書物を持ち上げる。
革表紙は年月によって黒く変色し、所々が擦り切れていた。何百年もの時を経てなお残り続けた、古代魔導文明の遺産。
「資料名は《生命融合術》。」
その名が告げられた瞬間、広間の空気が変わる。
数人の研究員が息を呑み、学生たちも思わず顔を見合わせた。
「現在では、一般的に《キメラ生成禁呪》と呼ばれている術式です。」
失踪した研究員の一人が立ち上がる。
「まさか……本当に存在していたのですか。」
「ええ。」
男は静かに頷いた。
「ただし、誤解しないでください。」
書物を開き、数枚の羊皮紙を取り出す。
「ここに記されているのは完成したキメラではありません。」
「生命融合理論。」
「魔法液の生成方法。」
「適合率を高めるための魔法陣。」
「実験記録。」
「成功例と失敗例。」
一枚、また一枚と資料が机へ並べられていく。
その度に広間の熱気が高まっていくのが分かった。
「つまり……。」
年配の教授がゆっくり口を開く。
「再現可能ということですか。」
男は否定も肯定もせず答えた。
「理論上は可能です。」
広間にどよめきが走る。
だが男は右手を軽く上げ、その場を静めた。
「我々はキメラを作るために、この資料を解読したわけではありません。」
その一言で、空気が再び落ち着きを取り戻す。
「知識には責任が伴います。」
「だからこそ、何が危険だったのかを知らなければならない。」
男はゆっくりと会場を見渡した。
「なぜ、この術式は禁じられたのか。」
「どこで失敗したのか。」
「何人の命が失われたのか。」
「どの工程が破綻を招いたのか。」
「それらを知らずに禁呪だけを封印しても、未来の研究者は同じ過ちを繰り返します。」
失踪した講師が静かに頷く。
「歴史を隠せば、人は同じ歴史を繰り返す。」
「その通りです。」
壇上の男は力強く頷いた。
「知識そのものに善悪はありません。」
「使う者に善悪があるだけです。」
「危険だから焼き捨てる。」
「危険だから誰にも読ませない。」
「それでは学問は死にます。」
広間のあちこちで賛同するように頷く者が現れる。
一人の若い研究員が手を挙げた。
「ですが、もし外部へ漏れれば。」
男は迷うことなく答えた。
「全面公開には私も反対です。」
その返答に研究員たちは少し驚いた表情を見せる。
「しかし、一部の国家や研究機関だけが独占する現状も正しいとは思いません。」
「資格と責任を持つ研究者が管理し、歴史と共に後世へ残す。」
「それが我々の目指す形です。」
今度は学生の一人が立ち上がった。
「先生……私たちは、この資料を閲覧できるのですか。」
「すぐにはできません。」
男は穏やかに首を横へ振る。
「理解が追いつかない者へ渡せば、それは凶器になります。」
「十分な知識を身につけ、責任を背負える者だけが読む資格を得ます。」
その答えに学生も納得したように席へ座り直した。
物陰から一連のやり取りを見守っていたピリカが、小さく息を吐く。
「……思ってたのと違う。」
レインも同じだった。
禁呪を使って世界征服を企む狂信者。
そんな集団を想像していた。
だが、目の前にいる者たちは違う。
教授も。
研究員も。
学生も。
誰もが純粋に知識を求め、その価値を信じている。
だからこそ危うい。
善意だけでは、禁呪は制御できない。
「……帰ろう。」
レインが小さく呟く。
ピリカも頷いた。
二人は足音一つ立てることなく来た道を戻る。
棚の裏へ隠された通路。
解除した結界魔法を、ピリカが慎重に元の状態へ戻していく。
「これで大丈夫。」
「侵入した形跡は。」
「残ってない。」
最後にレインが周囲を確認する。
誰にも気付かれていない。
二人は音もなく研究室を抜け出し、夜の図書館を後にした。
◇
イリシア邸へ戻った頃には、夜も更け始めていた。
応接室にはエレア、イリシア、リーヴェの三人が待っている。
レインは地下で見聞きした出来事を、一つも漏らさず説明した。
失踪した五人が無事だったこと。
地下施設の存在。
そして、《生命融合術》――キメラ生成禁呪の解読が完了したこと。
話し終えた部屋には、重い沈黙が流れた。
最初に口を開いたのはイリシアだった。
「……思想そのものは、理解できます。」
エレアも静かに頷く。
「私も同じよ。」
「知識を残すべきという考え自体は間違いじゃない。」
リーヴェが腕を組む。
「帝国でも似た議論は何度も行われています。」
「禁呪を完全に消すべきか、それとも管理した上で残すべきか。」
「結論は、今でも出ていません。」
レインは黙ったまま窓の外を見つめていた。
その横顔を見たエレアが尋ねる。
「何か気になることがあるの?」
「……ある。」
短い返事だった。
全員の視線が集まる。
「事件が簡単すぎる。」
その一言で部屋の空気が変わった。
「簡単?」
イリシアが首を傾げる。
「司書。」
「地下施設。」
「失踪者。」
「全部、そのまま残っていた。」
レインはゆっくり言葉を続ける。
「これだけ慎重な組織なら、証拠を隠すことも、地下施設を移すこともできたはずだ。」
「それなのに何もしない。」
「俺たちが辿り着くことまで想定していたみたいだった。」
エレアの表情が険しくなる。
「つまり……。」
「誰かが利用している。」
レインは静かに頷いた。
「あるいは、もっと大きな何かを隠すための囮だ。」
応接室に重苦しい沈黙が落ちる。
イリシアは小さく呟いた。
「学園側……。」
リーヴェも同じ結論へ辿り着いていた。
「もし本当にそうなら。」
「この事件は、まだ始まったばかりですね。」




