潜入成功7
翌朝。
朝食を終えたレインは立ち上がった。
「今日は一人で動きます。」
その一言に、イリシアが少しだけ不安そうな表情を浮かべる。
「お一人で……大丈夫でしょうか。」
今回相手にしているのは、学園内部に協力者がいるかもしれない事件だ。何が起こるか分からない以上、その心配は当然だった。
だが、その問いへ答えたのはレインではなかった。
「大丈夫だよ。」
隣に座っていたピリカが笑顔で言う。
「レインだもん。」
「もし危ない相手なら、心配するのは向こうの方だよ。」
あまりにも迷いのない口調だった。
イリシアは一瞬きょとんとした後、小さく笑みを零す。
「……そうでしたね。」
ライゼン自由都市連合で共に行動した日々を思い返せば、レインがどれほど冷静で頼れる人物かは十分理解している。
エレアも静かに頷いた。
「お気を付けください。」
「はい。」
短く答え、レインは屋敷を後にした。
午前中の中央図書館は、今日も変わらぬ静けさに包まれていた。
高く並ぶ書架の間を学生や研究員が行き交い、必要な本を手に取っては閲覧室へ向かっていく。
一見すれば、いつもと何も変わらない日常。
だが、一人だけ違っていた。
貸出カウンターへ立つ司書だった。
顔色は青白く、目の下には濃い隈が浮かんでいる。
本を整理する手もどこか落ち着かず、時折周囲へ視線を向けては、小さく息を吐いていた。
昨夜の出来事が頭から離れていないのだろう。
レインは気付かないふりをして館内を歩き、適当な本を一冊手に取ると閲覧室へ入った。
時間だけが静かに流れていく。
昼を過ぎ、午後になっても何も起こらない。
学生たちは講義の合間に本を借り、研究員たちは資料を書き写し、また自分の研究室へ戻っていく。
昨日までと同じ光景だった。
そして夕方。
図書館の扉が静かに開いた。
姿を現したのは、一人の教授だった。
年齢は五十歳前後。
眼鏡を掛けた穏やかな雰囲気の男性で、何冊もの資料を抱えている。
学園内では見慣れた光景なのだろう。
誰一人として、その姿を気に留める者はいない。
教授は迷うことなく三つの書架の一つへ向かい、一冊の本を抜き取る。
そのまま閲覧室へ入り、奥の席へ腰を下ろした。
本を開く。
だが、頁はほとんど進まない。
時折、入口へ視線を向けている。
レインは本へ目を落としたまま、その様子だけを静かに観察していた。
数分後。
貸出カウンターにいた司書が、さりげなく受付台の下へ手を伸ばす。
さらに数分後。
一人の男が図書館へ姿を現した。
白衣ではない。
研究員が羽織るような落ち着いた色のローブを身に着け、手には数冊の書物を抱えている。
どこにでもいる研究者。
そう見える男だった。
男は教授の方を一瞥する。
教授もわずかに視線を返す。
言葉は交わさない。
男はそのまま図書館を出て行き、教授も数十秒ほど間を置いて静かに席を立った。
レインは本を閉じる。
気配を完全に消し、十分な距離を保ったまま二人の後を追った。
教授は研究棟へ入る。
夕方ということもあり、人影は少ない。
廊下を何度も曲がり、関係者以外立入禁止と書かれた区画を迷いなく進んでいく。
やがて、一つの研究室の前で足を止めた。
すでに研究員風の男が待っている。
男が扉を開くと、教授は何の迷いもなく中へ入った。
その直後だった。
淡い光が扉の表面を走る。
幾重もの魔法陣が一瞬だけ浮かび上がり、音もなく消えていく。
遮音。
施錠。
侵入防止。
複数の結界魔法が同時に発動したことを、レインは瞬時に理解した。
普通の研究室に掛けるような結界ではない。
中で交わされる話を、誰にも聞かせないための結界。
レインは廊下の陰へ身を潜めたまま、閉ざされた扉を静かに見つめる。
「……ここか。」
核心は、その扉の向こうにあった。




