潜入成功6
夜。
講義を終えた学生たちも帰宅し、アストレア魔導学園は昼間の賑わいが嘘のような静けさに包まれていた。
「イリシア様がお図書館でお忘れ物をされたとの事で、取りに参りました」
職員用通用口でレインがそう告げると、顔見知りの警備職員は特に疑う様子もなく頷いた。
「図書館ですね。司書がまだ残っていますので、案内してもらってください。」
「ありがとうございます。」
軽く一礼し、レインは管理棟を抜けて中央図書館へ向かった。
館内は閉館後の片付けが進んでいた。
返却された本を棚へ戻す音だけが静かに響き、一日の終わりを告げている。
レインは人気のない書架の陰へ身を潜め、その様子をじっと見守った。
やがて最後の利用者が帰り、館内には司書一人だけが残る。
返却台の整理を終えた司書は、カウンターの下へ手を伸ばした。
昼間エレアが見たのと同じ場所だった。
その瞬間。
「――動くな。」
低く、感情を感じさせない声が闇の中から響いた。
司書の身体が凍り付く。
次の瞬間、全身へ圧し掛かるような殺気が降り注いだ。
息が詰まる。
足が震える。
振り返ろうと頭では思っても、身体が言うことを聞かなかった。
首筋を冷たい刃でなぞられているような錯覚。
いや、錯覚ではない。
一歩でも動けば、本当に命が終わる。
本能がそう告げていた。
「振り返るな。」
司書は歯を食いしばり、小さく頷くことしかできない。
「……な、何者ですか。」
「質問するのは私だ。」
短い一言だけで、殺気がさらに濃くなる。
司書の額から汗が流れ落ちた。
「カウンターの下。」
「何がある。」
司書はしばらく沈黙していたが、やがて震える声で口を開く。
「れ……連絡用の魔導具です。」
「誰に連絡している。」
「わ、私は……。」
殺気が一段と強まる。
「答えろ。」
「ほ、本当に私は連絡するだけなんです!」
司書は耐え切れず声を上げた。
「学生が来たら知らせろと言われただけです! それ以上は何も知りません!」
レインは何も答えない。
沈黙だけが流れる。
その静けさが、かえって司書の恐怖を増幅させた。
「誰に命令された。」
「顔も名前も知りません……。」
司書は必死に首を横へ振る。
「魔導具で指示が届くんです。『今日もいつも通りにしろ』と……。」
「金か。」
「違います!」
司書はすぐに否定した。
「僕の欲する知識を分け与えると言われました……。」
再び沈黙。
やがて闇の中から静かな声が響く。
「明日以降も続けろ。」
司書は思わず息を呑む。
「……え?」
「今まで通りだ。」
「何も変えるな。」
「誰にも話すな。」
「もし相手が警戒すれば、お前から先に消える。」
その言葉に司書の顔から血の気が引いた。
「わ、分かりました……。」
返事をした直後だった。
身体を押し潰していた殺気が、ふっと消える。
恐る恐る振り返る。
そこには誰の姿もなかった。
静まり返った図書館には、本棚が並ぶだけ。
まるで最初から誰もいなかったかのように、夜の静寂だけが残っていた。




