潜入成功5
その日の夜。
夕食を終えたレインたちは、イリシア邸の応接室へ集まっていた。
昼間まで床一面に広げられていた失踪者たちの資料は、今では人物ごとにまとめ直され、机の端へ積まれている。エレアが遮音魔法を展開したことを確認すると、レインは中央図書館で見た出来事を順に話し始めた。
三つの書架そのものには、不自然な点が見つからなかったこと。
書架の近くにある閲覧室で、一人の男子学生が本を開きながら、何度も入口を気にしていたこと。
その数分後に白衣姿の研究員が現れ、互いに言葉を交わさないまま視線だけを合わせ、時間をずらして図書館を出て行ったこと。
話を聞き終えたエレアは、すぐには口を開かなかった。
「待ち合わせに見えたのですね。」
「はい。ただ、一度だけでは偶然を否定できません。」
「学生と研究員に面識があった可能性もあります。」
リーヴェの言葉に、レインも頷く。
「その可能性はあります。だから、明日からはエレアに図書館を見てもらいたいと思います。」
「観察する人間を変えるのですね。」
「自分が毎日同じ場所にいれば、相手に気付かれるかもしれません。何も知らない相手なら問題ありませんが、学園内に協力者がいる可能性を考えるなら、同じ人物を続けて見せるべきではないでしょう。」
エレアはわずかに考えた後、迷いなく頷いた。
「分かりました。イリシア様の講義中であれば、私が図書館へいても不自然ではありません。」
「お願いします。見るのは三つの書架と閲覧室です。学生が本を取った後、誰が動くかも確認してください。」
「誰が動くか、ですか。」
イリシアが問い返す。
「研究員が偶然現れたのか、それとも誰かに呼ばれたのか。それを確かめたいのです。」
レインがそう告げると、イリシアも表情を引き締めた。
「では、私は普段通りに過ごします。必要以上に図書館へ近付かない方がよいですね。」
「はい。それが一番自然です。」
話はそれだけでまとまった。
翌日から、図書館の観察はエレアへ引き継がれた。
イリシアの家庭教師という立場なら、講義中に資料を探すため図書館へ足を運んでも怪しまれない。レインは逆に学園へ姿を見せる時間を減らし、失踪した五人が立ち寄った研究棟や講義棟、食堂周辺の確認へ回った。
一日目は何もなかった。
三つの書架を利用する者は多い。学生だけでなく、講師や研究員も頻繁に本を手に取る。だが、そのほとんどは閲覧室へ入った後、普通に本を読み、必要な箇所を書き写してから席を立っていた。
二日目も変化はない。
三日目には、エレア自身が見張っていることを意識し過ぎているのではないかと思うほど、図書館は平穏だった。
そして四日目。
昼を少し過ぎた頃、一人の男子学生が魔法理論の書架から本を抜き取り、閲覧室へ入った。
学生は窓際の席へ座ると、本を開いた。
だが、頁をめくる手は遅い。
文章を読んでいるというより、ただ本を開いているだけに見える。時折、わずかに顔を上げ、入口へ視線を向けていた。
エレアは離れた席で資料へ目を落としながら、その動きを追う。
数分後。
貸出カウンターにいた司書が、足元へ何気なく視線を落とした。
手が一瞬だけ受付台の下へ隠れる。
それから程なくして、白衣姿の研究員が図書館へ入ってきた。
研究員は書架を探す様子もなく、そのまま閲覧室へ向かう。男子学生と一瞬だけ視線を合わせると、言葉を交わさず奥の書架から一冊の本を取り、そのまま外へ出て行った。
学生はすぐには追わない。
しばらく本へ視線を落としたまま待ち、十分ほど経ってから席を立った。手にしていた本を棚へ戻し、研究員と同じ出口から姿を消す。
レインが見たものと、ほとんど同じだった。
それでもエレアは、その一件だけで結論を出さなかった。
翌日。
今度は職員と思われる男性が、古代文字関係の書架から本を手に取った。
閲覧室へ入り、空いている席へ座る。
本を開く。
入口を見る。
そして司書が、再び受付台の下へ手を伸ばした。
数分後、別の研究員が現れる。
視線を交わす。
時間をずらして退出する。
前日と同じ流れだった。
五日目の夜。
応接室へ集まった全員の前で、エレアは二件の動きを詳しく報告した。
「二人に接点は見つかりませんでした。所属も学年も違います。現れた研究員も別人です。」
「それでも流れは同じだったのですね。」
イリシアの問いに、エレアは頷く。
「三つの書架から本を取る。閲覧室へ入る。誰かを待つ。そして、研究員が現れる前には、必ず司書が受付台の下へ手を伸ばしていました。」
「受付台の下……。」
ピリカが静かに繰り返す。
「館内連絡用の魔導具が置かれている可能性があるね」
アストレアほどの規模を持つ図書館なら、別区画の司書や研究棟へ連絡するための魔導具が備えられていても不思議ではない。
レインは、エレアの報告を頭の中で並べ直した。
学生が書架から本を取る。
閲覧室へ入る。
司書が魔導具を操作する。
数分後、研究員が現れる。
そこで初めて、無言の接触が成立する。
「タイミングが良すぎます。」
レインの声に、全員の視線が集まった。
「研究員が偶然通りかかったとは考えにくい。学生がいつ来るかを知っていたなら別ですが、二件とも違う学生と研究員です。」
エレアも同じ結論に達していた。
「研究員は、司書から連絡を受けている。」
「おそらく。」
レインは短く答えた。
司書が事件の中心にいるとは限らない。
命令を受けているだけかもしれない。
何をしているのか理解しないまま、決められた合図を送っている可能性もある。
それでも、失踪者たちが利用した三つの書架と、現在も続く接触の間に司書がいることだけは、ほぼ間違いなかった。
「ギデオン副学園長へ報告しますか。」
イリシアが尋ねる。
だが、レインは首を横へ振った。
「まだです。」
「司書が自分の意思で協力しているとは限りません。それに、学園側へ報告すれば、どこからか漏れる可能性もあります。」
「では、どうなさるおつもりですか。」
リーヴェの問いに、レインは少しだけ考えてから答えた。
「直接、話を聞きます。」
エレアがレインを見る。
「正面からですか。」
「いいえ。」
レインは静かに首を横へ振った。
「相手には、こちらの顔を見せません。」
司書が誰かに監視されているなら、レインと接触した事実そのものが危険になる。
そして司書自身が協力者なら、こちらの存在を知られない方が都合がいい。
必要なのは、逃げ道を塞ぐこと。
自分がどこまで見られていたのか分からないまま、事実だけを突き付けること。
「今夜、動きます。」
その一言で、応接室の空気がわずかに張り詰めた。




