アストレア魔導学園からの依頼2
人通りの少ない北側の通用口を抜けると、そこは表門の賑わいが嘘のような静けさに包まれていた。
白い石畳の先には手入れの行き届いた中庭が広がり、その向こうでは研究棟へ続く渡り廊下を、白衣姿の研究者たちが足早に行き交っている。誰もが手にした資料や書物へ視線を落としており、見慣れない三人へ興味を示す者はいなかった。
「こちらです。」
澄んだ声に呼び止められ、レインたちが振り向く。
そこには一人の女性が立っていた。
落ち着いた紺色の制服に身を包み、長い栗色の髪を後ろで一つにまとめている。その立ち居振る舞いには無駄がなく、学園職員の中でも相応の役職に就いていることが一目で伝わってきた。
女性は三人へ静かに一礼する。
「お待ちしておりました。副学園長秘書のミレイナ・コルネスと申します。」
「レインです。」
「エレアです。」
「ピリカです。」
三人が名乗ると、ミレイナは柔らかな笑みを浮かべた。
「ギデオン副学園長がお待ちです。ご案内いたします。」
ミレイナに続き、三人は校内へ足を踏み入れる。
案内されたのは、学生たちが行き交う講義棟ではなかった。研究棟の裏手を抜け、さらに関係者しか立ち入れない管理棟へと進んでいく。
建物の中は驚くほど静かだった。
石造りの床には四人の足音だけが小さく響いている。途中で何人かの職員とすれ違ったが、ミレイナは軽く会釈を交わすだけで、足を止めることはなかった。
やがて最上階へ辿り着くと、廊下の突き当たりにある重厚な扉の前で立ち止まる。
周囲には人影一つない。
ミレイナは扉を二度、軽く叩いた。
「副学園長、お連れしました。」
「入りなさい。」
穏やかで落ち着いた声が返ってくる。
ミレイナが扉を開けると、執務室の奥には一人の男性が立っていた。
年齢は五十代半ばほどだろう。灰色がかった髪を整え、飾り気のない濃紺の法衣を身に纏っている。
豪華さとは無縁の装いだったが、その姿には長年学園を支えてきた者だけが持つ静かな威厳が漂っていた。
男性は三人を見ると、穏やかな表情で歩み寄ってくる。
「お忙しいところ、お越しいただきありがとうございます。」
そう言って深く一礼する姿に、気負いはなかった。
相手が冒険者だからと見下すことも、必要以上に畏まることもない。立場に関係なく、一人の依頼人として三人を迎えていることが伝わってきた。
「私はアストレア魔導学園副学園長、ギデオン・ラウフェルトと申します。」
レインたちもそれぞれ礼を返す。
「どうぞ、お掛けください。」
勧められるまま応接用のソファへ腰を下ろすと、ギデオンは自ら茶器を手に取り、四人分の紅茶を用意し始めた。
その様子を見ていたピリカが、小さく目を瞬かせる。
「副学園長さんが淹れるの?」
思わず漏れた一言に、ギデオンは手を止めることなく穏やかに笑った。
「来客へお茶を淹れるくらいは、私にもできますよ。」
「そうなんだ。」
少し意外そうに答えるピリカを見て、ギデオンの笑みが深まる。
そのやり取りによって、部屋へ入ってから続いていた緊張がわずかに和らいだ。
だが、ギデオンが向かいの席へ腰を下ろすと、空気は再び変わった。
それまで扉のそばに控えていたミレイナが、静かに細身の杖を取り出す。部屋の四隅へ向けて魔力を流すと、淡い光が壁を伝い、半透明の膜となって室内全体を包み込んだ。
レインは一目で、その魔法の性質を理解する。
音を外へ漏らさず、外部からの魔力による探知も遮断する結界。
これから交わされる話を、何者にも聞かせないための準備だった。
ギデオンは結界が完全に作動したことを確認すると、三人へ静かに視線を向ける。
「それでは、本題に入りましょう。」
紅茶へ軽く口をつけた後、カップをソーサーへ戻す。
「まず最初に、お詫びしなければなりません。」
その言葉に、レインたちは自然とギデオンへ視線を向けた。
「今回の件は、冒険者ギルドを通じて依頼という形を取らせていただきました。しかし、本来であれば学園内部で解決すべき問題です。外部の方々を巻き込むことは、私としても最後まで避けたいと考えていました。」
口調は穏やかだったが、その表情には隠し切れない苦悩が滲んでいた。
「ですが、すでにそのような判断をしていられる段階ではありません。」
ギデオンは一枚の書類を取り出し、テーブルの中央へ置く。
そこには五人の名前と、それぞれの所属や簡単な経歴が記されていた。
「ここ半年の間に、学園関係者が五名、消息を絶ちました。」
ピリカが思わず息を呑む。
「五人も……。」
「はい。」
ギデオンは静かに頷いた。
「研究員が二名。講師が一名。そして、学生が二名です。」
レインは書類を手に取り、記された内容へ目を走らせる。
年齢も所属も研究分野も異なっている。研究員と講師だけでなく学生まで含まれており、表面上は一つの共通点も見えてこなかった。
「事件性は。」
レインの問いに、ギデオンはゆっくりと首を横へ振る。
「現時点では断定できません。いずれの現場にも争った形跡はなく、遺留品もほとんど残されていませんでした。目撃証言も皆無です。」
そこで一度言葉を切る。
「自ら姿を消したのか。それとも、何者かによって連れ去られたのか。それすら判断できない状況が続いています。」
部屋へ静寂が落ちた。
エレアはレインから書類を受け取り、一枚ずつ内容を確認しながら口を開く。
「警備体制の見直しは行いましたか。」
「すでに行っています。」
ギデオンは迷いなく答えた。
「夜間の警備人員を増やし、立入禁止区域も拡大しました。研究棟への入館記録も過去に遡って確認しています。しかし、今のところ手掛かりは得られていません。」
「学園内での聞き取りは。」
「もちろん実施しました。失踪した者たちと接点のあった職員や学生、直前に姿を見た者、同じ研究に携わっていた者。可能な限り話を聞いています。」
そこまで話したところで、ギデオンは口を閉じた。
そして、レインたち三人をゆっくりと見渡す。
「ですが、その結果、私には一つの結論しか残りませんでした。」
その声音は、先ほどまでとはわずかに違っていた。
副学園長として状況を説明する声ではない。
学園を預かる責任者として、覚悟を決めた者の声だった。
「この件は、学園の人間だけで調べるべきではありません。」
ピリカが小さく首を傾げる。
「どういうこと?」
ギデオンはすぐには答えなかった。
代わりに、隣へ立つミレイナへ視線を向ける。
ミレイナは小さく頷き、杖へさらに魔力を流し込んだ。部屋を包む結界が淡く揺らぎ、周囲の空気が一段と重くなる。
それを確認してから、ギデオンは静かに口を開いた。
「確証はありません。」
一語一句を慎重に選ぶように、ゆっくりと続ける。
「しかし私は、学園内部に協力者がいる可能性を否定できないと考えています。」
その一言で、室内の空気が変わった。
エレアの表情がわずかに引き締まり、レインも書類から視線を上げる。
副学園長という立場にある人間が、自ら学園内部への疑いを口にする。それは決して軽々しく発してよい言葉ではない。
ましてや、今の発言が外へ漏れれば、学園全体を揺るがしかねない。
「だからこそ、部外者が必要なのです。」
ギデオンは静かに続けた。
「学園の職員が動けば、どこで誰が見ているか分かりません。調査を始めたという事実だけでも、相手へ伝わる可能性があります。しかし、皆さんは違う。」
「国外から来た冒険者だからですか。」
レインの問いに、ギデオンは穏やかに頷いた。
「ええ。それも理由の一つです。」
少し間を置き、三人を真っ直ぐに見据える。
「そして、冒険者ギルド支部長のディルク殿が、皆さんなら信頼できると推薦してくださいました。」
その言葉に、余計な飾りはなかった。
依頼人として三人へ託す、率直な信頼だけが静かに込められていた。




