ヴァルゼインの依頼
ゼルディア商会を出ると、午後の陽射しが白い石畳へ柔らかく降り注いでいた。
商会の前には豪奢な馬車が何台も並び、各地の商人や貴族らしき一団が次々と出入りしている。世界商談会は終わったとはいえ、金融を司るアルヴェシオン商会の忙しさに変わりはないようだった。
「まさか、あれほど詳しく教えていただけるとは思いませんでした。」
木箱を大切そうに抱えたサンロが感慨深げに呟く。
「しかも、アストレア魔導公国まで勧めてくださるとは……。」
「良かったですね」
エレアが穏やかに微笑む。
「分からないことは、その道の専門家へ任せる。それが一番早いということでしょう。」
「そうですね。」
レインも頷いた。
「私たちだけで考えていても、この書物の価値は分かりません。」
「それでも希望は見えました。」
サンロは木箱へ視線を落とし、小さく息を吐く。
「アストレアなら、何か分かるかもしれない。」
その声には、先ほどまでの不安とは違う期待が滲んでいた。
四人は人通りの多い大通りを抜け、東区へ向かって歩き始める。
露店から漂う焼きたての肉の香り。値切り交渉を繰り広げる商人たちの声。荷車を引く馬の蹄の音。
街は今日も、世界有数の商業都市らしい賑わいを見せていた。
「ライゼンって本当に人が多いよね。」
周囲を見回しながらピリカが呟く。
「歩いてるだけで面白い。」
「そのうち迷子になりますよ。」
エレアが冗談交じりに言うと、ピリカは頬を膨らませた。
「ならないって。」
そんな他愛のないやり取りを交わしながら歩いているうちに、見慣れた旧石造りの宿が見えてきた。
扉を開けると、昼食時を過ぎた食堂は落ち着きを取り戻している。数人の冒険者が遅めの食事を取り、厨房からは香ばしい匂いが漂っていた。
帳場に立つグラディウス・ヴェルドは、レインたちの姿を見ると小さく頷く。
「帰ったか。」
「ただいま戻りました。」
レインが答えると、グラディウスは四人を一瞥し、それ以上余計なことは言わず店の奥へ顎をしゃくった。
「奥だ。」
短い一言だった。
レインはすぐ意味を理解する。
「分かりました。」
グラディウスはそれだけ確認すると、再び帳簿へ視線を落とした。
四人は食堂を抜け、静かな廊下を奥へ進む。
突き当たりの部屋の前でレインが扉を軽く叩くと、すぐ内側から落ち着いた声が返ってきた。
「入ってくれ。」
レインが扉を開ける。
部屋の中央には丸テーブルが置かれ、その奥で一人の男がゆったりと腰を下ろしていた。
ライゼン三大商人の一人、ヴァルゼイン・ローグレイス。
レインたちの姿を認めると、穏やかな笑みを浮かべた。
「戻ったようだな。」
「お待たせしました。」
レインが一礼し、エレアとピリカも続く。
ヴァルゼインはまず二人へ視線を向けた。
「その前に、改めて礼を言わせてほしい。」
「イリシア様の件では、本当に世話になった。」
レインは静かに首を振る。
「当然の任務です。」
「ですが、その言葉はありがたく頂戴します。」
エレアも穏やかに微笑んだ。
「イリシア様も大変喜んでおいででした。」
「ああ。」
ヴァルゼインは満足そうに頷いた。
「君たちに任せて正解だった。」
そして今度はピリカへ目を向ける。
「お嬢も元気そうだな。」
「うん!」
ピリカは嬉しそうに笑った。
「レインたちと一緒だから、毎日楽しいよ。」
「それは何よりだ。」
ヴァルゼインも自然と笑みを浮かべる。
続いて最後にサンロへ視線を移した。
「久しいな、サンロ殿。」
「ご無沙汰しております、ヴァルゼイン様。」
二人は互いに軽く頭を下げる。
それだけで十分だった。
互いに忙しい商人同士、必要以上の挨拶は交わさない。
ヴァルゼインは四人を席へ促した。
「立ったままでは話しづらい。まずは座ってくれ。」
全員が席へ着くと、用意されていた紅茶へ一度だけ口をつける。
そしてカップを静かに置いたヴァルゼインは、レインたちを見渡しながら口を開いた。
「今日はお前たちに、一つ依頼したいことがある。」
ヴァルゼインの言葉に、部屋の空気が自然と引き締まった。
レインは静かに頷く。
「お話を伺います。」
ヴァルゼインは穏やかな表情のまま続けた。
「目的地は、エルディオン連邦――アストレア魔導公国だ。」
「私の商会でも魔導具や希少な魔法素材を扱っている。定期的に商人を派遣しているのだが、今回は少し事情が違う。」
そう言って机の上へ一通の封書を置いた。
「現地で直接渡してもらいたい品と書状がある。」
「決して危険な任務ではない。ただ、私が信用できる者へ任せたい。」
レインは封書へ視線を落とす。
「護衛対象はおりますか。」
「いや。」
ヴァルゼインは首を横へ振った。
「今回は君たち自身が、この荷を無事に届けてくれればそれでいい。」
「現地では受取人が待っている。詳しい話は到着後、その者から聞いてもらう。」
レインは小さく頷いた。
「分かりました。」
「依頼をお受けします。」
ヴァルゼインは満足そうに微笑んだ。
「お前たちなら、そう言ってくれると思っていた。」
部屋に穏やかな空気が流れる。
そのやり取りを聞いていたサンロは、何かを決心したように拳を握り締めた。
「……あ、あの!」
突然立ち上がる。
全員の視線が集まり、サンロは慌てて一礼した。
「お願いがあります!」
そう言うなり、勢いよくレインの方へ身を乗り出した。
「レインさん!」
「どうか私も、アストレア魔導公国まで護衛してください!」
勢い余って椅子から立ち上がったサンロは、そのままレインの両手をがしっと握る。
「お願いします!」
「私一人では絶対に無理です!」
「また襲われたら終わりなんです!」
必死な表情だった。
競売で落札した書物と魔法陣。
あれを狙う者がいる以上、街道を一人で旅する気には到底なれない。
「報酬なら必ずお支払いします!」
「護衛依頼として正式にお願いします!」
レインは困ったように苦笑する。
「サンロさん、落ち着いてください。」
「まず手を……。」
「あっ、すみません!」
サンロは慌てて両手を離し、深々と頭を下げた。
「取り乱しました。」
「ですが、本当に困っているんです。」
「アストレアへ向かうと決めた以上、この書物だけは何としても鑑定したい。」
その声には商人としての覚悟が滲んでいた。
レインは少しだけ考え、ヴァルゼインへ視線を向ける。
「依頼の道中で、サンロさんを同行させても問題ありませんか。」
ヴァルゼインは即座に頷いた。
「俺としては構わない。」
「目的地も同じだ。むしろ、その方が効率もいい。」
その言葉を聞いたサンロの表情が一気に明るくなる。
レインは改めてサンロへ向き直り、静かに微笑んだ。
「分かりました。」
「正式な護衛依頼として、お受けします。」
その瞬間だった。
「ありがとうございます!」
サンロは勢いよく立ち上がると、今度は泣きそうな顔で何度も何度も頭を下げた。
その様子を見たピリカが思わず吹き出す。
「泣いてる。」
「レイン、本当に頼られる体質だね。」
エレアも口元へ手を添え、小さく笑みをこぼした。
部屋には、先ほどまでの緊張が嘘のように穏やかな空気が流れていた。




