ピリカ冒険者登録へ
ヴァルケインに案内され、三人はギルド奥の訓練場へ入った。
石造りの広い空間には武器棚や訓練用の人形が並んでいるが、今は他の冒険者の姿はない。朝の依頼を受けた者たちはすでに街を出ており、普段は剣戟の音が絶えない訓練場も静まり返っていた。
ヴァルケインは壁際の武器棚から木剣を二本取り、そのうち一本をピリカへ差し出す。
「登録試験だ。難しく考える必要はない。こちらの攻撃に対応できれば、それで十分だ」
「分かった」
ピリカは気軽な調子で木剣を受け取ると、片手で軽く振って重さを確かめた。
開始位置へ向かう彼女とすれ違う際、レインが声を潜める。
「……手加減してください」
「分かってるって」
ピリカは悪戯っぽく笑い、そのままヴァルケインの正面に立った。
二人の間には十歩ほどの距離がある。
ピリカは木剣を自然に下げたまま、構えらしい構えを取らない。足にも肩にも余計な力はなく、いつでも動ける姿勢を保っている。
その立ち方を見ただけで、ヴァルケインの目がわずかに細くなった。
「では、始めよう」
合図と同時に、ヴァルケインが踏み込んだ。
間合いを一息で詰め、右肩を狙って木剣を振り下ろす。登録試験としては十分に鋭い一撃だったが、ピリカは慌てることなく横へ動き、その軌道から抜け出した。
木剣が空を切る。
ヴァルケインは止まらない。振り下ろした剣を返し、今度は胴を横薙ぎに狙った。
乾いた音が訓練場へ響く。
ピリカは木剣を軽く合わせ、正面から受け止めることなく斜めへ流していた。力の向きをわずかに変えただけで、ヴァルケインの剣が脇を通り過ぎる。
「なるほど」
短く呟いたヴァルケインが、さらに一歩踏み込む。
今度は先ほどまでより明らかに速い。
頭部、肩、脇腹。
角度を変えながら繰り出される木剣を、ピリカは紙一重でかわし、時には自らの剣で受け流していく。足運びに乱れはなく、後ろへ下がり続けることもない。ヴァルケインの動きを見切りながら、必要な分だけ位置を変えていた。
数合を交えたところで、ヴァルケインの剣筋が変わった。
上段から振り下ろすと見せかけ、直前で軌道を変える。新人であれば反応が遅れ、そのまま肩を打たれていたはずの一撃だった。
しかし、ピリカの木剣が下から跳ね上がる。
乾いた音とともに、ヴァルケインの剣が外へ弾かれた。
同時にピリカが懐へ踏み込み、その切っ先を胸元へ走らせる。
だが、木剣が届く寸前、ヴァルケインの手首が鋭く返った。弾かれたはずの剣がピリカの木剣へ追いつき、その軌道を外側へ押し流す。
次の瞬間には、二人の剣が互いの肩口で止まっていた。
訓練場に静寂が戻る。
ピリカはヴァルケインの木剣を見た後、自分の剣先へ目を向けた。
「相打ち?」
「試験としては、それ以上だ」
ヴァルケインは木剣を下ろし、わずかに口元を緩める。
「合格だ」
「もう終わり?」
「登録試験だからな。勝敗を決める必要はない」
「そっか」
ピリカは少し物足りなさそうにしながらも、素直に木剣を下ろした。
ヴァルケインは彼女から木剣を受け取り、二本を武器棚へ戻す。その表情は普段と変わらず穏やかだったが、ピリカを見る目だけは試験前と明らかに違っていた。
「受付へ戻ろう。手続きを済ませる」
登録に必要な確認を終えると、ヴァルケインは書類を閉じた。
「少し時間をもらってもいいか」
「もちろんです」
レインが答えると、四人はそのまま副支部長室へ移動した。
部屋の壁にはライゼン全域の地図が掛けられ、机の上には依頼書や報告書が積まれている。ヴァルケインは三人へソファを勧め、自らも向かい側へ腰を下ろした。
受付職員が茶を運び、扉を閉めて退出する。
それを確認してから、ヴァルケインはピリカへ目を向けた。
「十三歳と聞いたが、あの動きはどこで身につけた?」
「ばあちゃんに教わった」
ピリカは迷うことなく答えた。
「祖母か」
「うん。剣だけじゃなくて、いろいろ」
あまりにも軽い調子で話すピリカに、ヴァルケインはわずかに眉を上げる。
「あれほどの技を教えられる人物が、ベルクハイムにいたとはな」
ピリカは困ったようにレインへ顔を向けた。
「ちゃんと手加減したよ?」
「ええ。分かっています」
レインが苦笑しながら答えると、ヴァルケインの視線が二人の間を往復した。
「……あれで手加減か」
思わず漏れた呟きに、エレアの口元にも小さな笑みが浮かぶ。
ヴァルケインは一度息を吐き、背もたれへ身体を預けた。
「無理に事情を聞くつもりはない。ただ、教えた人物には興味がある」
そこでレインが静かに口を開く。
「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「何だ?」
「イゼルダという名前に心当たりはありますか」
「イゼルダ……」
ヴァルケインは腕を組み、記憶を探るように視線を落とした。
しばらく考えたものの、やがて静かに首を横へ振る。
「いや。少なくとも、私が冒険者として活動していた頃に聞いた名ではない」
「そうですか」
レインはわずかに残念そうな表情を浮かべたが、それ以上は語らなかった。
代わりにピリカが茶を一口飲み、何でもないことのように続ける。
「イゼルダは私のばあちゃんだよ」
「なるほど。君の祖母か」
ヴァルケインはそう答えながらも、その名をもう一度心の中で確かめているようだった。
「支部長であれば、何か知っているかもしれません」
レインが控えめに付け加える。
「イゼルダの関係者だと伝えていただければ、話は通じると思います」
ヴァルケインはレインの目をしばらく見つめた。
冗談や思いつきで口にしているわけではない。そのことを確かめると、小さく頷く。
「分かった。機会を見て、私から支部長に確認しておこう」
それ以上、ピリカの素性を問い詰めることはなかった。
ヴァルケインは机の上に置いていた登録書類を手に取り、内容へ目を通していく。
「登録についてだが、ピリカはEランクから始めてもらう」
「普通はそこからなの?」
「原則として、新規登録者はEランクからだ。試験結果次第では例外もあるが、今回は必要ないのだろう?」
最後の問いは、ピリカではなくレインへ向けられていた。
「はい。通常どおりでお願いします」
レインは迷わず答える。
ピリカには、実力に見合った評価を広める必要がない。あくまで身分証と、今後三人で依頼を受けるための資格があれば十分だった。
ヴァルケインもその意図を察したのか、理由を尋ねることなく羽根ペンを取った。
「では、Eランクで登録する」
書類へ署名し、最後にギルドの印を押す。
「冒険者証は間もなく用意できる。依頼の受け方や規則については、二人から聞けば問題ないだろう」
「分かった」
ピリカは嬉しそうに頷いた。
ヴァルケインは完成した書類を机の端へ置くと、レインとエレアを順に見た。
「君たちが戻ってきたと思ったら、今度は十三歳の怪物を連れてきたか」
「怪物って失礼じゃない?」
すぐにピリカが頬を膨らませる。
「褒めたつもりだった」
「全然聞こえないけど」
ヴァルケインは小さく笑い、再びレインへ目を向けた。
「君たちに関わっていると、こちらの常識が役に立たなくなるな」
「ご迷惑をお掛けします」
申し訳なさそうに頭を下げるレインに、ヴァルケインは軽く手を上げる。
「謝るのは、本当に面倒事を持ち込んだ時だけでいい」
「それじゃ、これからになりそうだね」
ピリカの何気ない一言に、レインとエレアが揃って彼女を見る。
ヴァルケインも一瞬だけ黙り込んだ後、深く息を吐いた。
「……今の言葉は聞かなかったことにしよう」
その反応にピリカが笑い、部屋の空気もわずかに和らいだ。




