表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
英雄なのか?  作者: よろず
ノルガルト侯国内戦
PR
179/212

裏ノルガルト侯国6


一方その頃――カルドニア王国との国境沿いでは、レインがただ一人、ノルガルト侯国へ続く街道を歩いていた。


街道には荷馬車が途切れることなく行き交い、商人たちは声を張り上げながら積み荷を受け渡している。傍目には、戦を前に物資の流れが活発になっただけの、ありふれた光景にしか見えない。


だが、レインの視線が追っているのは商人の顔ではなかった。


荷を担ぐ者たちの足運び。


周囲へ向けられる視線。


衣服の下に隠された剣帯の跡。


荷物より先に街道の死角を確かめる目の動きも、腰へ重心を置く立ち姿も、長く武器を握ってきた兵士のものだった。


どれほど商人らしい服をまとい、威勢よく値段を叫んでいても、身体へ染みついた習慣までは隠せない。


レインは歩みを止めることなく、その横を通り過ぎた。


しばらくして、街道の先から悲鳴が上がる。


「火だ!」


レインは懐へ忍ばせていた白い仮面を取り出し、静かに顔へ着けた。


直後、荷馬車の一台が炎に包まれた。


積み上げられていた木箱が次々と燃え上がり、綱を焼かれた積み荷が音を立てて街道へ崩れ落ちる。慌てて消火へ駆け寄る者たちを尻目に、少し離れた別の荷馬車からも黒煙が立ち昇った。


さらに、その奥でも炎が上がる。


「まただ!」


「ノルガルト行きの荷が燃えているぞ!」


「急いで積み替えろ!」


怒号が飛び交う中、白い仮面を着けたレインは別の隊商へ近づいていく。


荷を運んでいた男と、一瞬だけ視線が交わった。


周囲を警戒する目の動き。


一定に保たれた歩幅。


上着の下、腰へ残された剣帯の擦れ。


それだけで十分だった。


次に炎へ包まれたのは、その男が護衛していた荷馬車だった。


焼けるのは、カルドニア王国からノルガルト侯国へ送られる物資だけ。


兵糧。


武器。


矢束。


魔石。


反乱軍へ届けられるはずだった軍需物資が、国境を越えることなく次々と炎へ飲み込まれていく。


最初は事故だと思われた。


二台目が燃えた時点で放火が疑われ、五台目から火の手が上がった頃には、街道全体が騒然となっていた。


商人の格好をしていた男たちは、もはや偽装を続けようともしなかった。


外衣を脱ぎ捨て、隠していた剣を一斉に抜き放つ。


「襲撃だ!」


「白い仮面を探せ!」


「見つけ次第、殺せ!」


カルドニア兵たちの怒号が、燃え盛る街道へ響き渡った。


やがて、荷馬車の間を歩く白い仮面が見つかる。


「いたぞ!」


「囲め!」


号令と同時に、兵士たちが四方からレインへ殺到した。


その動きに迷いはない。商人に扮していたとはいえ、もともとは軍で鍛えられた兵士たちだ。身体強化を施し、互いの死角を補いながら一斉に間合いを詰めてくる。


だが、相手が悪かった。


先頭の兵士が剣を振り上げた瞬間、白い刃が閃く。


何が起きたのか理解する間もなく、男は街道へ崩れ落ちた。


その後ろから踏み込んだ兵士の剣を受け流し、返す刃で首筋を断つ。横合いから迫る槍を半歩だけ退いてかわすと、穂先を握って引き寄せ、その勢いのまま持ち主の胸を貫いた。


「一人だ! 押し潰せ!」


「左右から回れ!」


数を頼みに、さらに兵士たちが押し寄せる。


しかし、レインは一歩も退かなかった。


迫る刃を最小限の動きでかわし、必要な攻撃だけを弾き、その流れのまま急所へ剣を走らせる。


無駄な一太刀は一つもない。


一人が踏み込めば、一人が倒れる。


二人が同時に斬りかかれば、交差した瞬間には二人とも地面へ伏している。


剣戟が響くたび、カルドニア兵の数だけが確実に減っていった。


やがて、兵士たちの足が止まった。


街道には仲間の亡骸が幾重にも重なり、その向こうで白い仮面が静かに剣を構えている。


誰も踏み込めない。


踏み込めば死ぬ。


その事実を、倒れた仲間たちが何より雄弁に物語っていた。


レインは刃に付着した血を軽く振り払い、静かに告げる。


「引け。」


兵士たちは動かなかった。


いや、動けなかった。


怒りはある。


任務を放棄するわけにはいかないという使命感も残っている。


それでも目の前の男へ向かう勇気だけが、すでに誰の身体にも残されていなかった。


「これ以上、死にたい者だけ来い。」


感情のない声だった。


挑発でも、脅しでもない。


ただ事実を告げただけの一言が、兵士たちから最後の一歩を奪った。


焦げた荷馬車が崩れ落ちる音を挟み、白い仮面と兵士たちはしばらく睨み合う。


重苦しい沈黙を破ったのは、後方にいた一人の兵士だった。


「来られたぞ!」


全員の視線が街道の先へ集まった。


燃え上がる荷馬車の向こうから、一人の男がゆっくりと歩いてくる。


馬を使うこともなく、急ぐ様子さえない。


だが、その姿を認めた兵士たちの表情から、張り詰めていた緊張が一気にほどけていった。


「カマロ様だ!」


「カマロ様がお見えになったぞ!」


「これで終わりだ!」


兵士たちは安堵の声を上げ、左右へ道を開ける。


カマロは焼け落ちた荷馬車と、街道へ倒れた兵士たちを一瞥した。


その顔に動揺はない。


最後に白い仮面へ視線を向けると、腰の剣を静かに抜き放った。


「これほど暴れたのだ。多少は楽しませてくれるのだろうな。」


レインは何も答えない。


白い仮面の奥から向けられる視線は微動だにせず、剣を構え直しただけだった。


「その沈黙、嫌いではない。」


カマロの姿が消えた。


直後、レインの背後から剣が迫る。


振り向くことなく身を沈めた頭上を刃が通り過ぎ、切断された髪が数本だけ宙を舞った。


レインが振り返るより早く、カマロは再び消える。


右。


左。


背後。


短距離転移を繰り返し、死角から斬撃を重ねていく。


だが、レインはすべての攻撃を紙一重でかわしていた。


「ほう。」


カマロの声に、わずかな感嘆が混じる。


正面から放たれた突きを受け流した直後、カマロの剣だけが手元から消えた。


次の瞬間、その刃はレインの頭上へ現れる。


レインは半歩横へずれ、振り下ろされた剣を避けた。


剣は地面へ触れる寸前で再び消え、今度は足元から跳ね上がるように出現する。


だが、その斬撃も空を切った。


「剣の転移まで見切るか。」


カマロは初めて口元を歪めた。


剣を手元へ戻すと同時に、左手から火球を放つ。


炎の塊が一直線にレインへ迫った。


レインが横へ身をかわす。


その瞬間、火球が空中から消えた。


直後、かわした先の真横から炎が現れる。


熱風が白い仮面を掠めた。


さらにカマロ自身が背後へ転移し、剣を薙ぎ払う。


レインは身を沈めて斬撃をかわし、そのまま地面を蹴った。


姿が消えたように見えるほどの速度でカマロの間合いから離れ、数十歩先へ着地する。


「……転移ではないな。」


カマロの笑みが深まる。


「純粋な速さだけで、俺の転移へついてくるか。」


レインは剣を静かに構えた。


「遅い。」


空気が止まった。


それまで余裕を浮かべていたカマロの目から、笑みが消える。


「言ってくれる。」


次の瞬間、カマロは剣を正面へ投げ放った。


放たれた剣が途中で姿を消し、同時にカマロ自身も転移する。


剣はレインの背後。


カマロは正面。


さらに左右から二つの火球が出現した。


四方向からの同時攻撃。


逃げ場などない。


だが、レインの姿は攻撃が届くより先に掻き消えていた。


剣と火球が何もない空間で激突する。


爆炎が広がる中、カマロは即座に気配を探った。


右にはいない。


左にも、背後にもいない。


「上か!」


見上げた瞬間、白い仮面が視界へ入る。


レインは落下の勢いを乗せ、剣を振り下ろした。


カマロは咄嗟に転移する。


轟音とともに地面が裂け、土煙が舞い上がった。


森の入口へ出現したカマロは、息を整えることもなく次の転移へ移ろうとする。


だが、その直前。


首筋へ冷たい刃が触れた。


「な――」


背後には、すでにレインが立っていた。


カマロが転移先へ現れるより早く、そこへ先回りしていたのである。


反射的に身体ごと転移させる。


森の奥。


次は街道脇の岩場。


さらに木々の上へ。


だが、どこへ転移しても白い仮面が先に待っていた。


「馬鹿な……!」


短距離転移は、カマロがこれまで幾多の強敵を翻弄してきた切り札だった。


転移先を予測されることはある。


だが、出現するより先に追いつかれたことなど一度もない。


「ならば、追うまでだ。」


自らへ言い聞かせるように告げ、カマロは街道から姿を消した。


レインも同時に地面を蹴る。


二つの姿は兵士たちの視界から消え、戦いの場は街道から深い森の奥へ移っていった。


取り残された兵士たちは互いの顔を見合わせる。


「転移だ!」


「カマロ様が追ったぞ!」


「勝負は決まった!」


誰もがそう信じていた。


カマロは超越者であり、短距離転移を自在に操る。この地形ならば、森の中を逃げる相手など容易に追い詰められるはずだった。


しかし、いつまで待っても戦闘音は聞こえてこない。


森の奥。


街道の先。


木々の上。


どこにも二人の姿は見えなかった。


「見えるか?」


「いや……。」


「カマロ様が奥へ追い込んでいるはずだ。」


誰かが口にすると、周囲の兵士たちも不安を押し殺すように頷く。


だが、静寂は長く続いた。


「……遅いな。」


「決着がついたなら、そろそろ戻られる頃だ。」


「まさか、さらに森の奥まで――」


その時だった。


草を踏む、わずかな音が聞こえた。


兵士たちが一斉に振り向く。


木々の間から現れたのは、白い仮面だった。


レインは何事もなかったように街道へ戻ると、兵士たちの前を通り過ぎようとする。


「……カマロ様は。」


一人の兵士が、震える声で尋ねた。


レインは歩みを止めない。


「殺した。」


一瞬、誰も言葉を発せなかった。


次の瞬間、現実を拒むような怒声が飛ぶ。


「馬鹿を言うな!」


「カマロ様が負けるはずがない!」


「どこだ! どこにおられる!」


レインはようやく足を止め、森の奥へ顔を向けた。


「迎えに行け。」


兵士たちは半信半疑のまま森へ駆け込んでいく。


しばらくして、奥から悲鳴にも似た叫びが上がった。


「カマロ様……!」


数人の兵士が青ざめた顔で戻ってくる。


その肩には、力なく垂れ下がるカマロの亡骸が担がれていた。


胸元には一筋の深い斬撃。


剣を抜く暇すらなかったのか、その右手は柄を握ったまま動かなくなっている。


街道から、すべての音が消えた。


燃え続ける荷馬車の爆ぜる音だけが、不自然なほど大きく響く。


レインは兵士たちを見渡し、感情のない声で命じた。


「倒れた兵士を回収して引け。」


一人の兵士が、震える手で剣を握り直す。


「まだ……終わって――」


言い終えるより早く、レインが一歩前へ出た。


それだけで、街道の空気が一変する。


喉を締めつけるような重圧が辺りを覆い、兵士たちは一斉に息を呑んだ。全身の毛が逆立ち、足は地面へ縫い付けられたように動かない。


目の前に立っているのは、一人の男。


ただ、それだけのはずだった。


それでも彼らの本能は、これ以上ないほど明確に警告していた。


――剣を抜けば死ぬ。


「……撤退。」


掠れた声が、静寂を破った。


誰も反論しなかった。


兵士たちはカマロの亡骸を抱え上げ、街道へ倒れた仲間たちを回収していく。白い仮面から目を離さぬまま、ゆっくりと後退し、やがて燃え残った荷馬車とともに街道の彼方へ姿を消した。


その背中が完全に見えなくなるまで、レインは動かなかった。


やがて剣を鞘へ収め、焼け落ちた補給物資へ一度だけ視線を向ける。


ノルガルト侯国へ送られるはずだった兵糧も、武器も、魔石も、すでに運び出せる状態ではない。


任務は完了した。


レインは静かに踵を返す。


白い仮面は深い森へ溶け込むように歩き出し、そのままノルガルト侯国へ続く山道へ姿を消した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ