裏ノルガルト大戦5
翌朝。
夜明けとともに村の門が開かれ、待ち構えていた荷馬車が次々と中へ入っていった。
荷台に積まれているのは、兵糧や武具、矢束、魔石を収めた木箱ばかりだった。受け入れを担当する兵士たちは荷馬車の周囲へ群がり、運び込まれた物資を各倉庫へ振り分けていく。
「急げ、急げ! 第三倉庫が空になるぞ!」
「昼までに二便出す! もたもたするな!」
怒号と車輪の軋む音が絶え間なく響き、村全体が慌ただしく動いていた。
その喧騒の中、門の外から場違いなほど明るい声が届く。
「こんにちは〜!」
兵士たちが一斉に振り向いた。
門の中央に、小柄な少女が立っていた。
旅人らしい簡素な服をまとい、両手を軽く振りながら人懐こい笑顔を浮かべている。武器らしいものはどこにも見当たらない。
「……何だ?」
「子ども?」
「おいおい、どこから入ってきた。」
見張りをしていた兵士が苦笑しながら歩み寄る。
「嬢ちゃん、ここは遊ぶ場所じゃ――」
「遊びじゃないよ。」
少女は笑顔のまま答えた。
「お仕事。」
「仕事?」
「うん。」
こくりと頷き、村の奥へ並ぶ大きな建物を見回す。
「倉庫を燃やしに来たの。」
一瞬、辺りが静まり返った。
次の瞬間には、兵士たちの笑い声が村中へ広がる。
「はははは!」
「何だ、そりゃ!」
「可愛い冗談じゃないか!」
「危ないから帰んな。ほら、おじさんが外まで送って――」
笑いながら伸ばされた手が、少女の肩へ触れようとした。
――ドォンッ!
腹の底まで響く爆発音が、門前の空気を吹き飛ばした。
兵士の右腕が肘から先ごと弾け飛び、血飛沫とともに門柱へ叩きつけられる。
男は何が起きたのか理解できないまま、失われた自分の腕を見つめた。
「……え?」
間の抜けた声を漏らした直後、遅れて襲ってきた激痛に顔を歪める。
「ぎゃああああぁぁぁッ!」
村中の笑い声が止まった。
木箱を運んでいた兵士が荷を落とし、荷馬車を引いていた馬までが驚いて暴れ始める。
「て、敵だ!」
「武器を持て!」
「侵入者だ! 囲め!」
怒号が飛び交う中でも、少女――ピリカだけは何も変わらなかった。
「あのね。」
のんびりと兵士たちを見回す。
「倉庫って、どっち?」
「ふざけるな!」
兵士の一人が杖を突き出す。
火球が飛び、直後には風刃と雷撃が続いた。
複数の魔法がピリカを正面から飲み込み、轟音とともに石畳が砕ける。爆煙が門一帯へ膨れ上がり、小さな姿を完全に覆い隠した。
「やったか!」
誰かが叫ぶ。
しかし、返事をする者はいなかった。
煙の中から、軽い足音が聞こえてきたからだ。
「だから聞いてるのに。」
ピリカは何事もなかったように煙の中から姿を現した。
服についた土埃を両手で払い、少しだけ困ったように笑っている。傷らしい傷は一つも見当たらない。
その姿を見た兵士たちの顔から、血の気が引いた。
「囲め!」
「魔法が効かないなら斬れ! 一斉にかかれ!」
十数人の兵士が地面を蹴る。
正面から。
左右から。
逃げ道を塞ぐように散開し、身体強化を施した剣士たちが一斉に斬りかかった。
「そんなにいっぱい来るの?」
ピリカが小さく笑った、その瞬間。
――ドォンッ!
先頭を走っていた兵士の右腕が、肩口から弾け飛んだ。
隣の兵士が反射的に振り向く。
直後、その胸が内側から爆ぜ、血煙が後続の兵士たちへ降り注いだ。
さらに別の男の左脚が膝から消え、転倒した兵士へ覆いかぶさるように、後ろを走っていた二人の身体が連続して弾ける。
「な、何だ!」
「何をされた!」
「見えない!」
兵士たちは一斉に足を止めた。
誰一人として、ピリカへ触れられていない。
剣を振るうどころか、一定の距離へ踏み込んだ者から腕や脚を失い、石畳へ倒れていく。
それでもピリカは一歩も動いていなかった。
何かを放った様子もない。
詠唱もなければ、魔法陣すら現れていない。
ただ首を傾げ、困ったように兵士たちを見ているだけだった。
「何をした……。」
「爆発魔法か?」
「違う! 魔力の動きがなかった!」
「だったら、何なんだよ!」
怒鳴り合う兵士たちを眺め、ピリカは頬を掻いた。
「みんな知らないなら、仕方ないかぁ。」
そのまま歩き出す。
散歩でもしているような足取りで兵士たちの間へ入っていくと、本能が危険を告げたのか、誰も近寄ろうとはしなかった。
剣を構えた兵士たちが左右へ下がり、ピリカの進む先に自然と道ができていく。
「倉庫って、大きい建物だよね?」
誰も答えない。
兵士たちは額に汗を浮かべ、互いの顔を窺いながら、誰かが先に動くのを待っていた。
その沈黙に耐え切れなくなったのは、一人の若い兵士だった。
「ふ、ふざけるなぁぁぁッ!」
半ば錯乱したように叫び、剣を振り上げる。
その勢いにつられ、周囲にいた兵士たちも一斉に地面を蹴った。
「殺せ!」
「囲め!」
「逃がすな!」
数十本の剣が朝日を反射し、四方からピリカへ迫る。
ピリカは小さくため息をついた。
「だから、危ないのに。」
――ドゴォンッ!
轟音が村の入口を揺らした。
先頭の兵士が踏み込んだ途端、その上半身が内側から弾け飛ぶ。続いて左右から迫った兵士たちの腕や脚が次々と消え、石畳が一瞬で血煙に覆われた。
それでも勢いを止められなかった何人かが剣を振り下ろす。
だが、届かない。
ピリカまで、あと一歩。
その距離へ入った瞬間、身体のどこかが必ず爆ぜた。
腕を失い、剣を取り落とす者。
脚を失って転がる者。
何が起きたのか理解するより早く、胸元から血を噴き出して倒れる者。
爆発音が立て続けに響き、数十人いた兵士たちは、誰一人としてピリカへ刃を届かせることができなかった。
「化け物だ……。」
誰かが震える声を漏らす。
「こんなの、勝てるわけが……。」
戦意が、音を立てて崩れていく。
一人が後ずさると、周囲の兵士たちも続いた。
「騒ぐな。」
低く響く声が、その場に広がっていた恐怖を押し潰した。
兵士たちが一斉に振り返る。
人垣が左右へ割れ、その奥から黒い外套をまとった男が歩いてきた。
ゆっくりとした足取りだった。
それでも、男が一歩近づくたびに周囲の空気が張り詰め、肌を刺すような魔力が村全体へ広がっていく。
「超越者様!」
「来てくださった!」
「こいつです! こいつが仲間を!」
安堵した兵士たちが口々に訴える。
男は答えず、地面へ散らばる兵士たちの亡骸を一瞥した。
そして、その中心に立つピリカへ視線を向ける。
「……なるほど。」
静かな声だった。
「少々、面倒な相手らしい。」
その言葉を聞いたピリカは、小さく「あっ」と声を漏らした。
何かを思い出したように額へ手を当て、少しだけ申し訳なさそうに笑う。
「あ、ごめんね。」
超越者の眉が動く。
「何がだ。」
「証拠、残しちゃ駄目だった。」
ピリカの表情は変わらない。
声も、先ほどまでと同じ明るさだった。
それなのに、その場にいた兵士たちは、言いようのない寒気を覚えた。
「何を言って――」
――ドォォンッ!
超越者の言葉を遮り、その背後にいた兵士の頭部が弾け飛んだ。
鮮血と肉片が周囲へ降り注ぐ。
誰も反応できないうちに、二人目、三人目と轟音が続いた。
「散れ!」
超越者の怒号を受け、兵士たちが四方へ飛び退く。
だが、逃げても意味はなかった。
走り出した兵士の胸が弾ける。
振り返った兵士の首から上が消える。
助けを求めて口を開いた男が、声を発するより早く地面へ崩れ落ちる。
「何なんだ!」
「どこから攻撃している!」
「魔法陣は!?」
「姿が見えないぞ!」
叫び声だけが村中へ広がる。
爆発は一か所から起きているのではなかった。
門前。
倉庫の脇。
見張り台の下。
村の至る所で轟音が鳴り、一人、また一人と兵士たちが倒れていく。
超越者は歯を食いしばった。
(違う……)
爆発魔法ではない。
魔法ならば、必ず魔力が動く。
術式が組まれ、発動する予兆がある。
だが、ピリカの周囲には何もない。
彼女は笑みを浮かべたまま、そこに立っているだけだった。
見えているものが、現実とは限らない。
そう気づいた瞬間、男は全身へ魔力を巡らせた。
次の刹那、地面が砕ける。
超越者の姿が視界から消え、一息のうちにピリカの懐へ潜り込む。並の戦士では反応することすらできない速度で腕を振り抜き、その細い首を刎ねようとした。
しかし、手応えはなかった。
「……いない。」
ピリカが消えていた。
視界から。
気配から。
魔力の感知からさえも。
男の本能が絶叫する。
後ろだ。
振り向こうとした耳元へ、明るい声が届く。
「見つけた。」
男の心臓が凍りついた。
いつからいた。
どうやって背後へ回った。
それ以前に、自分は本当にピリカへ近づいていたのか。
疑問が次々と浮かぶ。
そして、ようやく一つの可能性へ辿り着いた。
今まで兵士たちは、爆発していたのではない。
爆発したように見せられていただけなのか。
ならば、本当は何が起きていた。
目の前にいた少女は、本当にそこにいたのか。
自分が見ている村は、どこまでが現実なのか。
「貴様は……。」
喉が震える。
「いったい、何――」
最後まで言い切ることはできなかった。
超越者の姿が、音もなく掻き消えた。
血も残らない。
衣服も武器も、その場に男が存在していたという痕跡さえ残らず、最初から何もなかったかのように消失した。
その刹那。
村中で無数の轟音が重なった。
――ドドドドドドドドォォォンッ!
残っていた兵士たちの身体が一斉に弾け飛ぶ。
同時に倉庫の内側から爆炎が噴き上がり、積み上げられていた兵糧や武具を飲み込んだ。
炎は隣の建物へ燃え移り、さらにその隣へ広がっていく。魔石を保管していた木箱が誘爆し、巨大な火柱が朝の空へ立ち上った。
荷馬車が炎に包まれ、武器庫の屋根が吹き飛ぶ。
見張り台が倒壊し、村を囲んでいた木柵まで紅蓮の炎へ沈んでいった。
間もなく、立っている者はいなくなった。
残されたのは、燃え落ちていく建物と、炎に包まれた補給物資だけだった。
ピリカは燃え広がる村を一度だけ振り返る。
兵糧庫も。
武器庫も。
荷馬車も。
もう運び出せるものは何一つ残っていない。
「これで、しばらく運べないね。」
満足そうに頷くと、そのまま森へ向かって歩き始める。
やがて小さな背中は木々の間へ溶け込み、紅蓮の炎だけが、誰もいなくなった補給拠点を焼き続けていた。




