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英雄なのか?  作者: よろず
アルディア騎士学校
17/34

成長


「学生のうちから人材を見極めろ、と」

アルベルトは静かな口調でそう言った。

レインは少しだけ意外そうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。伯爵家という立場を考えれば、そうした話があっても不思議ではない。むしろ、王国の情勢が本当に動き始めているのなら、貴族家が早い段階から人を集めようとするのは当然だった。

「強い人間を探せって話じゃないんだよ」

アルベルトは苦笑混じりに続けた。

「そんなものは査定を見れば大体分かる。剣が強い、魔法が凄い、座学が優秀だ。学校はそういう結果を数字で出す。順位も出す。だから表に見える力だけなら、わざわざ僕らが見なくてもいい」

夜風が木々を揺らした。

先ほどまで魔物の群れが押し寄せていた防衛線では、まだ数人の生徒が荷馬車の位置を戻し、地面に残った深い足跡を見ながら言葉少なに後片付けを続けていた。戦いは終わった。だが野営地には、戦いの熱だけがまだ薄く残っている。

「父上が見ろと言ったのは別の部分だ。追い詰められた時にどう動くのか。仲間が崩れた時に何を選ぶのか。自分の役割を越えてでも前に出るのか、それとも持ち場に踏み止まるのか。そういうものを見よと」

アルベルトはそこで一度言葉を切った。

「今日の訓練でよく分かったよ」

その視線は野営地へ向いていた。

誰か一人を見ているわけではない。今も疲れた体を動かし、後片付けを続ける生徒達全体を見ている。

「ワルは正面から一番圧力を受けていたが、最後まで持ち場を捨てなかった。あれだけ押し込まれれば、普通は後ろへ下がりたくなる。それでも踏み止まったのは評価できる。ロイは実力以上に声を出していた。ああいう人間がいるだけで、崩れかけた場の空気が少し持ち直す。ガレンは冷静だったな。危険な場面でも慌てず、自分の役割を理解して動いていた」

一人ひとりの名前が自然に挙がる。

それを聞いているうちに、レインは昨夜から感じていた違和感の正体に気付いた。

アルベルトは防衛戦の間、魔物だけを見ていたわけではない。むしろ見ていたのは人間だった。誰が前へ出るのか。誰が仲間を支えるのか。誰が混乱に飲まれるのか。誰が命令を待ち、誰が命令の前に動くのか。それを最初から最後まで観察していたのである。

「大変な役目だな」

思わずそう言うと、アルベルトは肩を竦めた。

「僕もそう思う。ただ、思っていたより面白い」

その返答にレインは苦笑した。

貴族というのは皆こうなのだろうか。いや、おそらく違う。少なくとも目の前の男はかなり特殊な部類だ。戦いの直後に勝ち負けだけではなく、人の動きをここまで見ている一年生など、そう多くはない。

「その結果、俺も観察対象になったわけだ」

「今のところは候補だな」

即答だった。

「ただ一つだけ言っておく」

アルベルトの声が少しだけ真面目になる。

「君が普通に卒業したいと思っていても、周りがそれを許すとは限らない。今日みたいな動きを続ければ、誰かが必ず気付く。僕だけじゃない。バルト教官も、Sクラスの彼らも、アルディア騎士団も、いずれ君を見つける」

「厄介だな」

「忠告だよ」

レインはため息をついた。

面倒なことになった。

そう思う一方で、アルベルトの言葉を完全に否定することもできなかった。夜間奇襲訓練では抑えたつもりだった。前に出過ぎず、必要な場所へ入っただけのつもりだった。それでも見ている者は見ているとは。

「俺は本当に普通にしていたいだけなんだけどな」

「普通の基準が人と違うんじゃないか」

「ひどいな」

「今日の君を見た後だと、否定はできない」

二人の間に小さな沈黙が落ちた。

やがてアルベルトは野営地へ戻るように歩き出した。

「そろそろ休もう。明日は帰還だ」

「ようやく学校か」

「嬉しそうだな」

「森よりは寝床がまともだからね」

「そこは同感だ」

二人は並んで野営地へ戻った。

防衛戦を終えた生徒達は疲労の限界だった。後片付けを終えた者から順に天幕へ入り、普段ならまだ騒いでいそうな者まで、今夜ばかりは言葉少なに横になっていく。ロイも最初は「俺は今日、生き残った英雄だ」と騒いでいたが、今は見当たらない。今頃テントで横になり夢の中だろう。

レインも寝床へ入った。

体に残る疲労は思っていたより深かった。剣を振った回数自体は大したことがない。だが防衛線全体を見ながら動き続けたせいで、体よりも頭が重い。本来なら一瞬で終わるのに。そんなことを考え続けた疲れが、横になった途端に一気に押し寄せてくる。

意識が沈む直前、レインはアルベルトの言葉を思い出した。

学生のうちから人材を見極めろ。

王国は動いている。

騎士団の再編も始まる。

それは、ただの学園生活がいつまでも続かないという意味でもあった。ランキング戦も、査定も、野外訓練も、全てはその先にある戦場へ繋がっている。バルトが今日見せた夜間奇襲訓練も、単なる訓練ではない。生徒達に、自分達がいずれ何と向き合うのかを理解させるためのものだったのだろう。

そう考えたところで、レインの意識は途切れた。


翌朝の野営地は、昨夜とは別の騒がしさに包まれていた。

起床の鐘が鳴った時、生徒達の多くはすぐに起き上がれなかった。天幕の中からは呻き声が聞こえ、誰かが腕を押さえながら「剣を握りすぎた」とぼやき、別の誰かは足を引きずりながら外へ出てきた。魔物との戦いそのものは訓練だったが、疲労だけは本物である。防衛線に立ち続けた生徒達の体には、昨夜の疲れがはっきりと残っていた。

それでも、誰も本句を言って動きを止める者はいなかった。

バルトの指示で撤収作業が始まると、生徒達は眠そうな顔をしながらも荷物をまとめ、天幕を畳み、荷馬車へ積み込んでいく。昨日までは貴族出身の生徒が荷運びを嫌がる場面もあった。だが今朝は違った。誰が貴族で誰が平民かなどと言っている余裕がないということもあるが、それ以上に、昨夜同じ防衛線に立ったことで妙な隔たりが薄れていた。

ロイは大きな荷袋を抱えながら、本気で情けない声を出していた。

「もう二度と森には来ない。俺は王都で生きる。石畳の上で生きる。虫の声を聞いたら昨日のこと思い出す」

「次の野外訓練でも普通に来るだろ」

ガレンが淡々と返す。

「来るけどさ。来るけど、今くらい言わせろよ」

「荷物を落とすな」

「冷たいな、お前」

そんなやり取りに、近くの生徒達が疲れた顔のまま笑った。

朝食は簡単なものだった。

硬いパンと温め直したスープだけ。それでも昨夜の戦いで腹を空かせた生徒達は文句を言いながらもよく食べた。バルトは全員が食事を終えるまで黙って見ていたが、撤収の準備が整うと、いつもの低い声で出発を告げた。

一行は野営地を後にした。

荷馬車がゆっくりと動き出し、生徒達はその周囲を囲むように隊列を作る。来た時と同じ森の道だったが、空気はまるで違っていた。行きはまだ訓練への期待や不安が入り混じり、周囲の景色を物珍しそうに見ていた者も多かった。だが帰りの列には、昨日のような浮ついた声は少ない。

疲れているからだけではない。

森の暗がりを、生徒達はもうただの景色として見られなくなっていた。木々の間に魔物の影がないか、枝の揺れに不自然なものはないか、足元の土に新しい痕跡はないか。誰に言われるでもなく、視線が周囲へ向く。昨夜の経験が、彼らの目を少しだけ変えていた。

アルベルトは前方でバルトの近くを歩いていた。

時折後ろを振り返り、列全体の乱れを確かめている。教官でもないのに自然とそうしてしまう辺り、やはり彼は指揮する側の人間なのだろう。バルトもそれに気付いているはずだが、止めることはしなかった。

森を抜けるまでの道中、バルトはほとんど口を開かなかった。

ただ一度、浅い沢を越えた辺りで全員を止めた。水音が足元を流れ、木々の隙間から朝の光が差し込んでいる。王都へ続く街道まではまだ少し距離があったが、森の深さはすでに薄れ始めていた。

「昨日の訓練を忘れるな」

バルトは生徒達を振り返らずに言った。

全員が自然と口を閉じる。

「お前達は昨日、魔物を倒すことよりも、防衛線を維持することの難しさを知ったはずだ。剣が得意な者も、魔法が得意な者も、戦場では一人で勝手に動けば死につながる。逆に突出した力がなくとも、持ち場を守り、仲間を見て、必要な時に一歩踏み出せる者は戦力になる」

さわの水音だけがしばらく響いた。

バルトの声は怒鳴っていない。それでも不思議と全員の耳に届いた。

「騎士団に入れば、昨日より悪い状況はいくらでもある。敵は訓練用の魔物ではない。こちらの弱い所を見てくる。疲れた時を狙ってくる。指揮官を潰し、伝令を断ち、負傷者を餌にして陣を崩そうとする。戦場とはそういう場所だ」

誰も軽口を挟まなかった。

昨夜の防衛戦があったからこそ、その言葉には重みがあった。もし昨日の経験がなければ、生徒達の多くはただ恐ろしい話として聞き流していただろう。だが今は違う。押し込まれた時の焦り、隣が崩れかけた時の恐怖、後ろへ下がりたくなる衝動。それを知った直後だからこそ、バルトの言葉が自分達の体験と結びついていた。

「だが、恐れるだけなら騎士学校にいる意味はない」

バルトはそこで振り返った。

「昨日のお前達は未熟だった。実戦なら全滅していた場面もある。だが最後まで投げ出した者はいなかった。そこだけは覚えておけ。足りないものを知った者は、まだ強くなれる」

生徒達の表情が少し変わった。

叱責だけではない。

評価でもあった。

バルトはそれ以上長く語らなかった。再び前を向き、短く出発を命じる。その声を合図に、止まっていた列が動き出す。

森を抜けると、空はすっかり明るくなっていた。

王都へ続く街道は広く、遠くには城壁の影が見える。行きに見た時と同じ景色のはずなのに、生徒達の目にはどこか違って映っていた。森の中で一晩を過ごし、夜間奇襲を受け、防衛線に立ち、仲間と共に耐えた。その経験が、たった一度の訓練であっても、彼らを少しだけ変えていた。

ロイは城壁が見えた瞬間、大げさに息を吐いた。

「帰ってきた……俺は帰ってきたぞ……」

「まだ学校まで距離がある」

ガレンが言う。

「分かってる。でも見えたらもう勝ちだろ」

「何に勝ったんだ」

「森に」

ロイの答えに、近くを歩いていた生徒達がまた笑った。

その笑いを聞きながら、レインは前方へ視線を向けた。アルベルトがこちらを一度だけ振り返った気がしたが、すぐに前へ向き直る。昨夜の会話の続きはない。だが終わったわけでもないのだろう。むしろ、あれは始まりに近い。

王国の情勢。

騎士団の再編。

学生のうちからの人材選び。

そして、また明日から始まるランキング戦。

面倒な言葉ばかりが頭に浮かぶ。

それでもレインは、表情には出さずに歩き続けた。今はまだ、ただの一生徒でいい。少なくとも自分ではそう思っていた。

やがて王立騎士学校の門が見えてきた。

高い石造りの門をくぐった瞬間、生徒達の間に安堵の息が広がる。訓練場の土の匂い、校舎の影、整えられた石畳。森とは違う、よく知った学び舎の空気が彼らを迎えた。数日前に出発した時には当たり前だった景色が、今は少しだけ懐かしく感じられる。

校庭で整列を終えた生徒達の前に、バルトが立つ。誰もが解散の言葉を待っていた。荷物を置きたい者、風呂に入りたい者、寝床に倒れ込みたい者。全員が同じようなことを考えているのは明らかだった。

バルトはそんな生徒達を見回し、いつもの低い声で告げた。

「野外訓練は以上だ。各自、装備を返却し、今日は休め」

その言葉に皆ホッとした。


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