総括
「夜間奇襲訓練終了だ」
バルトの低い声が野営地へ響いた。
その一言を境に、張り詰めていた空気が一気にほどける。
その場へ座り込む者。 剣を地面へ突き立て、大きく息を吐く者。
先ほどまで魔物が押し寄せていた場所には、討ち取られた魔物だけが転がり、夜の森には少しずつ虫の声が戻り始めていた。
訓練は終わった。
それでも、生徒たちの身体はまだ戦場の中にあった。
腕は重く、足は震え、剣を握る手には痺れが残っている。
牙を突き立てようと飛び掛かってきた魔物。
押し寄せる群れ。
防衛線が崩れかけた瞬間の焦り。
どれも鮮明に身体へ刻み込まれていた。
バルトはそんな生徒たちを黙って見渡す。
すぐには口を開かない。
全員の呼吸が落ち着くまで待ってから、静かに言った。
「全員集まれ」
生徒たちは疲れた身体を引きずるように輪を作る。
荷馬車は防壁代わりに並んだまま。
踏み荒らされた地面だけが、先ほどまでの激戦を物語っていた。
全員が揃うと、バルトは腕を組む。
「まず結果から言う」
自然と全員の背筋が伸びる。
「よく耐えた」
短い一言だった。
だが、その言葉だけで何人もの肩から力が抜けた。
しかし次の瞬間、その空気は引き締められる。
「実戦なら、お前たちは何度も死んでいる」
誰も反論しない。
できなかった。
全員が思い当たる節を持っていたからだ。
バルトは中央を指差す。
「最初の突撃。押し込まれた時、お前たちは目の前しか見えていなかった」
今度は左翼へ。
「ここはもっと酷い。隣が崩れ始めているのに、誰一人として気付いていない」
右翼を見る。
「魔法組も同じだ。前衛が危険になってから動くな。危険になる前に動け」
静かな口調だった。
だからこそ一言一言が胸へ刺さる。
「戦場では、自分一人が強くても意味はない」
誰も顔を上げない。
「隣が倒れれば、お前も倒れる」
間を置き、さらに続ける。
「後ろが崩れれば、前衛は全滅だ」
それは経験から出た言葉だった。
机の上で学んだ戦術ではない。
実際に何度も戦場を生き抜いてきた人間だけが持つ重みがあった。
「だから周囲を見ろ。仲間を見ろ。戦場全体を見ろ」
誰も返事をしない。
その必要もなかった。
今日一日で、全員が痛いほど理解したからだ。
バルトはアルベルトへ視線を向ける。
「アルベルト」
「はい」
「指揮は悪くなかった」
周囲の生徒も自然とうなずく。
今日、防衛線が最後まで形を保てたのは、アルベルトの指示があったからだ。
「状況も見えていた。魔法組との連携も考えていた」
一拍置く。
「だが、迷った」
アルベルトが真っすぐ頷く。
「……はい」
「戦場では、その一瞬の迷いで人が死ぬ」
「肝に銘じます」
短いやり取りだった。
だがアルベルトは、その言葉を誰より重く受け止めていた。
バルトは最後に全員を見回す。
「それと、今日の防衛線には何度も穴が開きかけた」
自然と何人かが息を呑む。
「だが、その穴を埋め続けた者がいた」
レインは表情を変えない。
「戦場では敵を何体倒したかより、防衛線を守った者の方が価値を持つこともある」
それだけ言うと、バルトは誰の名も呼ばなかった。
しかしアルベルトだけは理解していた。
何度も崩れかけた戦列を繋いでいたのが誰だったのか。
レインもまた、その視線に気付いていた。
だから二人とも何も言わない。
「解散」
号令と同時に張り詰めていた空気が緩む。
負傷者の手当てが始まり、回復魔法を扱える生徒たちが走り回る。
魔物の死体を片付け、荷馬車を元へ戻し、ようやく野営地は普段の姿を取り戻し始めた。
レインも後片付けを終えると、人の少ない森の外れまで歩く。
夜風が汗ばんだ身体を心地よく冷ましてくれる。
焚き火の音も届かない静かな場所だった。
「ここにいたか」
振り返る。
アルベルトだった。
二人は並んで立つ。
しばらくは何も話さない。
森を抜ける風だけが静かに流れていく。
やがてアルベルトが口を開いた。
「今日は助かった」
「何のこと?」
「何度も防衛線を支えていただろう」
レインは肩をすくめる。
「近かったから動いただけだよ」
「近かった、か」
アルベルトは小さく笑う。
「その"近かった"が何度も続いた」
追及するつもりはない。
だが、偶然だけでは説明がつかないことも理解していた。
少しの沈黙。
やがてアルベルトは夜空を見上げる。
「俺は卒業したら騎士団へ入る」
その声には迷いがなかった。
「伯爵家だからじゃない。俺自身がそう決めている」
レインは黙って耳を傾ける。
「王国も、いつまでも平和じゃない気がする」
その一言だけだった。
多くは語らない。
それでも十分だった。
貴族として育ったアルベルトは、普通の生徒より早く時代の空気を感じ取っている。
「だから、もっと強くならないとな」
そう呟いた横顔は、今日の訓練で指揮を執っていた優等生ではない。
王国を支える騎士を目指す、一人の若者の表情だった。




