表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
英雄なのか?  作者: よろず
ノルガルト侯国内戦
PR
167/212

ノルガルト大戦


東の空がゆっくりと白み始める頃、大平原を覆っていた薄い霧も少しずつ姿を消し始めていた。


国王派の陣地では、兵士たちが静かに朝の支度を整えている。鎧を締め直す音、剣を鞘へ納める音、馬の鼻息。そのどれもが穏やかに響き、だからこそ今日が侯国の命運を懸けた決戦の日なのだと誰もが実感していた。


やがて本陣の天幕が開き、ゼルヴァード国王が姿を現す。


その姿を認めた近衛兵たちは一斉に背筋を伸ばした。


「陛下、おはようございます。」


「ああ。皆、よく休めたようだな。」


短い言葉だった。しかし、その一言だけで兵士たちの表情から僅かに強張りが消える。


続いて天幕から姿を現したバルドリックは、朝日に照らされ始めた平原へ静かに目を向けた。


「霧も晴れてきましたな。」


「戦うには悪くない朝か。」


ゼルヴァードの問いに、バルドリックは穏やかに頷く。


「ええ。兵も落ち着いております。行軍の疲れは残っておりますが、士気は十分です。ここまで来れば、あとは将が迷わぬこと。それだけで兵はついて参ります。」


その言葉に、一人の若い伯爵が静かに頭を下げた。


「辺境伯閣下。」


「どうした。」


「昨夜のお話で覚悟は決まりました。しかし……初陣の兵も多くおります。恐怖で足が止まる者も出るのではないかと。」


バルドリックは若い伯爵の肩へ軽く手を置き、小さく笑った。


「初陣で震えぬ者などおらん。」


穏やかな声だった。


「わしも若い頃は剣を握る手が汗で滑りそうになった。敵よりも、自分の鼓動の方がうるさく聞こえたものじゃ。」


その言葉に周囲から小さな笑いが漏れる。


「大事なのは震えぬことではない。震えていても一歩前へ踏み出せるかどうかじゃ。それが兵であり、それが将よ。」


「……はい。」


若い伯爵は力強く頷いた。


その時だった。


本陣へ一騎の斥候が土煙を上げながら駆け込んでくる。


「ご報告します!」


馬から飛び降りると、そのまま片膝をついた。


「反乱軍、進軍を開始しました!」


「予定通りか。」


バルドリックは落ち着いた様子で頷く。


「距離は。」


「およそ五キロ。こちらへ向かっております。」


ゼルヴァードはゆっくりと平原の彼方を見つめた。


「いよいよだな。」


「ええ。」


「今日、この侯国の命運が決まります。」


やがて低く重い角笛が大平原へ鳴り響いた。


腹の底まで震わせるような音が朝の静寂を切り裂き、その合図とともに王家の軍旗が一斉に前へ傾く。


「前進!」


号令が戦列を駆け抜けた。


何万という兵士たちが歩調を揃え、一歩、また一歩と前へ進み始める。


数万の足音が重なり、大地が小さく震えた。


風が草原を吹き抜けるたび、無数の軍旗が波のようにはためき、朝日に照らされた槍の穂先が鈍く光を返す。その壮観な光景にも、誰一人として歓声を上げる者はいない。


静寂だけが、戦場の緊張をより際立たせていた。


最前列では盾兵が大盾を隙間なく並べ、その背後では槍兵が一斉に穂先を揃える。さらに後方では魔導兵たちが歩調を乱すことなく杖を掲げ、静かに詠唱を始めていた。


若い兵士は乾いた唇を舐めた。


目の前には反乱軍。


これほどの軍勢を見るのは初めてだった。


地平線を埋め尽くす兵士たちが、自分たちへ向かってゆっくりと迫ってくる。その圧迫感だけで胸が締め付けられ、槍を握る手へ自然と力が入った。


「前だけ見ろ。」


隣に立つ古参兵が小さく言う。


「え……?」


「全部見ようとするな。目の前だけ見ろ。」


そう言って剣を握り直し、小さく笑った。


「敵は何万人いようが、お前と斬り合うのは目の前の一人だけだ。」


若い兵士は無言で頷き、ゆっくりと息を吐く。


高鳴る鼓動とは対照的に、身体へ巡らせた魔力は不思議なほど落ち着いていた。


その時だった。


反乱軍後方で、一斉に無数の魔法陣が輝き始める。


赤く燃え盛る炎。


蒼く煌めく氷。


鋭く唸る風。


百を超える魔法陣が幾重にも重なり、膨大な魔力の奔流が朝の大平原を覆い尽くした。


「魔導隊だ!」


誰かの叫びが響いた次の瞬間、空そのものが燃え上がる。


無数の火球が尾を引いて飛来し、その間を縫うように氷槍と風刃が一直線に迫った。


「盾ぇぇぇッ!」


古参兵の怒号と同時に、大盾が一斉に持ち上げられる。


轟音。


最初の火球が盾へ激突し、爆炎が前線を包み込んだ。


続いて巨大な氷槍が盾へ突き刺さり、砕け散った氷片が周囲へ飛び散る。鋭い風刃は盾の表面を削り取り、金属が悲鳴を上げるような音を響かせた。


兵士たちは全身へ魔力を巡らせ、衝撃を受け止める。


草原が抉れ、踏み締めた両足が土へ深く沈む。


それでも誰一人として後退しない。


「第二波が来るぞ!」


さらに火球。


雷撃が空を裂き、風刃が幾重にも重なって押し寄せる。


盾へ刻まれる傷は増え、腕へ伝わる衝撃はさらに重くなる。それでも前線は崩れなかった。


「踏ん張れ!」


隊長の怒声が響く。


直後、ゼルヴァード国王軍後方から新たな号令が戦場を駆け抜けた。


「第一魔導隊、撃ち返せ!」


待機していた魔導兵たちが一斉に杖を掲げる。


無数の魔法陣が展開され、火球、氷槍、風刃が一斉に空へ撃ち放たれた。


朝焼けの空で両軍の魔法が激突する。


爆炎が花開き、砕け散った氷が光を反射し、激しい衝撃波と熱風が大平原を吹き抜けた。


その爆煙を突き破るように、反乱軍先頭の兵士たちが一斉に駆け出す。


「来るぞ!」


古参兵が盾を押し出す。


「槍、構えろ!」


若い兵士も反射的に槍を突き出した。


敵兵もまた身体強化を施したまま一直線に突撃してくる。


あと十歩。


五歩。


三歩。


互いの表情まではっきり見える距離まで迫った、その瞬間――。


盾と盾が真正面から激突し、腹の底まで響く轟音が大平原を震わせた。


数万の兵が一斉に雄叫びを上げ、ノルガルト侯国の命運を懸けた決戦が、ついに幕を開けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ