再会
アルゼンハルト辺境伯領へ到着した頃には、夜の帳が南部の大地を完全に包み込んでいた。
城壁の上には篝火が規則正しく灯り、巡回する兵士たちの姿が赤い炎に照らされている。南部最大の城塞都市だけあって、夜になっても警戒が緩む様子はない。城門前には避難民や旅人の姿こそなかったが、門兵たちは街道の先へ鋭い視線を向け、いつ何が現れても対応できるよう備えていた。
レインは城門から少し離れた場所で馬車を止め、荷台へ静かに声を掛ける。
「少々お待ちください。バルドリック閣下へ報告して参ります」
幌の奥から国王が頷いた。
「お願いします」
レインは御者台を降りると、一人で城門へ向かった。
篝火の下へ姿を現したところで、門兵の一人が目を見開く。
「レイン殿」
「バルドリック閣下へ、至急お伝えしたいことがあります」
レインの表情と、城門から離れた場所に止まる馬車を一度見ただけで、門兵は事情を察したらしい。
余計な質問はしなかった。
「すぐにお知らせします」
隣の兵士へ持ち場を任せ、そのまま城内へ駆け込んでいく。
それから程なくして、城門の奥からバルドリックが姿を現した。その後ろにはエレアとルークも続き、数人の兵士が周囲を固めている。
バルドリックは足早にレインの前まで来ると、離れた場所に止まる幌馬車へ目を向けた。
「……戻ったか」
「はい」
レインは静かに頷く。
「お連れしました」
その一言に、バルドリックの表情が固まった。
戦場でいかなる報告を受けても動じなかった元元帥が、一瞬だけ言葉を失う。
「本当、なのじゃな……」
「はい。国王陛下も、王妃殿下方も、お子様方も全員ご無事です」
バルドリックは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
「そうか……」
短い言葉に、張り詰めていたものが滲んでいた。
エレアも安堵したように胸へ手を添える。
「間に合ったのですね」
ルークは何も言わなかった。
それでも、強く握られた拳と僅かに伏せられた顔から、押し殺している感情は十分に伝わった。
だが、バルドリックが感慨に浸ったのは一瞬だけだった。
すぐに表情を引き締め、傍らに控えていた騎士へ命じる。
「裏門を開けよ。第三警備隊から六名を選び、馬車を城館の奥まで案内させるのじゃ」
「直ちに」
「口の堅い者だけを使え。今夜ここへ誰が来たのか、他の者には一切知らせるな」
「承知しました」
騎士は一礼し、城内へ駆け戻っていく。
「まだ城内に敵の目がないとは言い切れん」
バルドリックは低い声で続けた。
「陛下方の帰還を公にする時は、こちらで選ばねばならん」
レインも異論なく頷いた。
ほどなく城壁の一角にある裏門が静かに開き、選ばれた六人の兵士が姿を現した。
号令も敬礼もない。
兵士たちは馬車の中にいる者を確かめようともせず、ただ命じられたとおり周囲を警戒しながら進路を開いた。
レインは再び御者台へ戻り、ゆっくりと馬車を動かす。
裏門を抜けた一行は、人気のない城壁沿いの道から城館の裏手へ入った。表の中庭や兵舎を避け、荷物の搬入に使われる通路を通って奥へ進んでいく。
馬車が止まったのは、使用人用の出入口に面した小さな庭だった。
周囲に人影はない。
バルドリックが自ら幌の前へ立ち、深く頭を下げる。
「陛下。長旅、誠にお疲れさまでございました」
幌が持ち上がり、町人風の服をまとった国王が姿を現した。
「バルドリック……世話を掛ける」
「そのようなお言葉は、ご家族と再会されてからにしてください」
バルドリックは僅かに笑みを浮かべ、城館へ続く扉を示した。
国王に続き、第一王妃、第二王妃、そして子どもたちが順番に馬車を降りる。誰の顔にも長旅の疲労が残っていたが、大きな怪我を負った者はいない。
最後にピリカが軽やかに飛び降りると、バルドリックは僅かに目を細めた。
「その娘は……」
「ピリカです。イゼルダさんの孫娘です」
レインの説明に、バルドリックはすべてを察したように頷いた。
「なるほど。イゼルダ殿が送り出したのなら、事情を知る者として扱おう」
「よろしくね、バルドリックさん」
緊張感のある場にもかかわらず普段どおり挨拶するピリカに、バルドリックは一瞬だけ目を瞬かせた。
「ああ。よろしく頼む」
一行は灯りを落とした回廊へ入り、使用人しか通らない細い通路を進んでいった。
普段なら人の行き交う城内も、夜が更けた今は静まり返っている。曲がり角ごとに兵士が立っていたが、全員が一行へ背を向け、通路の先だけを警戒していた。
誰が通ったのかを見ない。
それもまた、秘密を守るための命令なのだろう。
やがて一行は、城館の奥にある一室の前へ辿り着いた。
バルドリックが足を止め、国王へ振り返る。
「皆様、この中でお待ちです」
国王は閉ざされた扉を見つめ、静かに頷いた。
部屋の中では、シグリア、ハルヴェン、エイラの三人が落ち着かない様子で待っていた。
バルドリックから知らされているのは、「重要な報告がある」ということだけである。
シグリアは椅子へ腰掛けていたものの、廊下から足音が近づくたびに扉へ視線を向けていた。エイラは姉の隣で両手を握り締め、ハルヴェンも立ったまま沈黙を保っている。
やがて扉の向こうで足音が止まった。
三人の視線が一斉に集まる。
扉がゆっくりと開いた。
最初に部屋へ入った国王の姿を見た瞬間、シグリアが立ち上がった。
「……お父様」
声が震えていた。
信じられないものを見るように父の姿を見つめ、その後ろから第一王妃と第二王妃、さらに離れ離れになっていた家族が次々と入ってくるのを見て、張り詰めていたものが一気に崩れた。
「お母様……!」
シグリアは駆け出し、第一王妃の胸へ飛び込んだ。
第一王妃も涙を堪え切れず、娘の身体を強く抱き締める。
「シグリア……無事で、本当に良かった……」
それ以上、言葉は続かなかった。
互いの無事を確かめるように何度も抱き締め、肩へ顔を埋める。シグリアも王女として保ち続けていた気丈さを失い、母の腕の中で声を押し殺して泣いていた。
エイラも第二王妃の姿を認めた瞬間、堪えていた涙を溢れさせる。
「お母様ぁ……!」
第二王妃は駆け寄ってきた娘を受け止め、その小さな身体を胸へ抱き締めた。
「怖かったでしょう。よく頑張りましたね」
「会いたかった……ずっと、会いたかったです……」
第二王妃は何度も娘の頭を撫で、震える背中を優しく抱き締め続けた。
ハルヴェンは両親と妹たちの再会を見つめた後、国王の前へ歩み寄った。
「父上」
深く頭を下げる。
王族として振る舞おうとする息子を見つめ、国王は何も言わず、その肩へ両手を置いた。
「よく、皆を守った」
その一言に、ハルヴェンの肩が僅かに震えた。
「……はい」
短く答えたものの、上げた顔には隠し切れない安堵が滲んでいる。
国王はそんな息子を強く抱き寄せた。
ハルヴェンも一瞬だけ身体を硬くしたが、やがて父の背中へ腕を回した。
ほかの子どもたちも姉や兄のもとへ駆け寄り、離れていた時間を埋めるように互いの無事を確かめ合っている。
室内には涙声と、何度も名前を呼び合う声が重なった。
バルドリックは部屋の入口で、その光景を静かに見守っていた。
エレアも安堵したように微笑み、ルークはようやく肩から力を抜く。リング隊長をはじめ護衛たちも、王家が再び一つとなった姿を前に、誰一人として口を開こうとはしなかった。
その後ろで、ピリカは目元を指先で拭いながら、小さく鼻を啜っている。
「泣いていますか?」
レインが声を落として尋ねると、ピリカは慌てて首を横へ振った。
「泣いてないよ。ちょっと目に埃が入っただけ」
地下通路から城内まで来て、今さら埃が入るとは考えにくい。
それでもレインは指摘せず、小さく笑った。
そして、家族を囲む輪から静かに一歩下がる。
今はただ、離れ離れになっていた彼らの時間を邪魔しないように。
長く途切れていた王家の家族が、ようやく一つになった夜だった。




