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英雄なのか?  作者: よろず
ノルガルト侯国内戦
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ノルガルト侯国戦線8


朝から、アルゼンハルト城には普段とは異なる緊張感が漂っていた。


城門が開くたび、少人数の騎馬や馬車が静かに城内へ入ってくる。掲げられた旗はいずれも南部の有力諸侯のものだったが、供回りは驚くほど少なく、華美な行列を作る者は一人もいない。辺境伯から極秘の召集を受け、最低限の護衛だけを連れて急行した者ばかりだった。


「辺境伯からの召集が、よほど急だったようですね」


城門をくぐった伯爵が、隣を歩く侯爵へ声を落とす。


「内容は何も知らされておらん。分かっているのは、『至急参集されたし』の一文だけだ」


「この状況でバルドリック殿が我らを集める以上、王都に新たな動きがあったのでしょう」


二人はそれ以上言葉を交わさなかった。


根拠のない憶測を重ねても意味はない。何より、どこに反乱軍の耳があるか分からない情勢である。城内へ入った以上、バルドリック本人の説明を待つべきだった。


到着した諸侯は、次々と城館の大会議室へ案内されていく。


広い室内の中央には大きな円卓が据えられ、壁にはノルガルト侯国全土を描いた地図が掲げられていた。席へ着いた諸侯たちは互いの顔を確かめるものの、平時のような挨拶や世間話は交わさない。


王都陥落。


その報せ一つで、国の空気は一変していた。


ほどなくして、重厚な扉が静かに開く。


もともと話し声の少なかった会議室が、一瞬で静まり返った。


先頭に立つのは、アルゼンハルト辺境伯バルドリック。


その後ろから、三人の王族が姿を現した。


陽光を思わせる亜麻色の髪。長い逃亡の疲れを残しながらも、背筋を伸ばして歩くシグリアの姿を認め、一人の伯爵が思わず息を呑む。


「まさか……」


「シグリア王女殿下……」


その声をきっかけに、諸侯が一斉に立ち上がった。


驚きと安堵が入り混じった表情を浮かべる者。胸へ手を当て、深く頭を下げる者。誰もが目の前の光景が幻ではないことを確かめるように、シグリア、ハルヴェン、エイラの姿を見つめていた。


シグリアは一同の前まで進むと、穏やかに一礼した。


「皆様、本日は急な召集にもかかわらず、お集まりいただきありがとうございます」


落ち着いた声だった。


年若い王女でありながら、動揺を表へ出すことはない。その声音には、騒めきかけた室内を自然と静めるだけの気品があった。


「まず、私たちがここへ至るまでの経緯をお話しいたします。私たちはライゼン自由都市連合に滞在している最中、国内で内乱が起きたとの報せを受けました」


諸侯の表情が引き締まる。


「帰国の準備を進めていたところ、滞在先で護衛の一部が離反し、私たちを拘束しようとしました。幸いにもリング隊長をはじめとする者たちの働きによって脱出することができましたが、その時点で誰を信じるべきかさえ分からない状況となっていました」


王女一行の護衛まで二つに割れていた。


その事実に、諸侯の間から低いどよめきが漏れる。


「その後、父上が以前より残していた指示に従い、侯都ではなく南部を目指しました。ライゼンの方々やベルグ商会の助けを受け、先日、ようやくアルゼンハルト領へ辿り着くことができました」


短い説明だった。


だが、王女たちが単に街道を南下してきたわけではないことは十分に伝わった。


シグリアは一度言葉を切り、円卓に集う諸侯を見渡す。


「国王陛下の安否は、現在も分かっておりません。侯都との連絡も途絶えたままです」


会議室へ重い沈黙が落ちた。


それでもシグリアは俯かなかった。


「ですが、私とハルヴェン、エイラは、こうして無事に南部へ辿り着きました」


隣に立つ弟と妹へ一度だけ目を向け、静かに続ける。


「王家は、まだ失われておりません」


一人の侯爵が静かに目を閉じた。


「……そのお言葉を聞けただけでも、ここへ参った甲斐がございました」


抑えた声だったが、その思いは他の諸侯も同じだった。王都が落ち、国王の安否も分からない今、王位継承権を持つ三人が生きて南部へ辿り着いたという事実は、王党派にとって何より大きな意味を持つ。


シグリアは深く一礼すると、一歩後ろへ下がった。


入れ替わるように、バルドリックが地図の前へ出る。


「ここからは儂が話そう」


かつてノルガルト侯国軍の元帥を務めた男の声に、室内は再び静まり返った。


「侯都は反乱軍の手に落ちた。じゃが、それで戦が終わったわけではない。各地では今も王家へ忠誠を誓う者たちが抗戦を続け、戦力の再編を進めておる」


バルドリックは地図へ手を伸ばし、侯都から各地方へ続く街道を指でなぞった。


「諸君らも相応の覚悟をして来たとは思う。じゃが、現実はおそらく想像より厳しい」


諸侯一人ひとりの顔を見渡し、はっきりと告げる。


「ノルガルト侯国軍は、もはや一つではない」


誰も口を開かなかった。


「王家へ忠誠を誓い、各地で戦い続ける軍。そして、反乱軍へ加わった軍。さらに今のところ、どちらにも属さず領地へ閉じ籠もっている者たちもおる」


バルドリックの指が地図の中央部で止まる。


「我が国の軍は、二つに割れた」


昨日まで同じ旗の下にいた兵同士が、互いの戦い方を知り尽くしたまま敵となる。外敵との戦とは違い、内乱は勝敗にかかわらず国そのものを深く傷つける。


やがて、一人の伯爵が静かに口を開いた。


「バルドリック殿。兵はどれほど反乱軍へ流れたのでしょう」


「正確な数は、まだ掴めておらん。じゃが、中央軍の大半は侯都と共に反乱軍の手へ落ちた。地方軍と各地の守備隊も判断が割れ、王家へ付く者、反乱軍へ加わる者、領地を守ることだけを選んだ者に分かれておる」


「つまり……侯国全土が戦場になる可能性がある、と」


侯爵の一人が苦々しく呟く。


「高いと見ておいた方がよい」


短い返答だった。


それだけで十分だった。


地図に描かれた街や街道の先には、それぞれの領地がある。家族がいて、兵がいて、守らなければならない民が暮らしている。もはや戦火は遠い侯都だけの話ではなかった。


バルドリックは全員が現実を受け止めるのを待ってから、さらに低い声で続ける。


「そして、ここからが本題じゃ」


その一言で、会議室の空気が張り詰めた。


「この内乱で最も厄介なのは、兵の数ではない」


バルドリックは地図から手を離す。


「超越者じゃ」


諸侯の表情が一斉に強張った。


ノルガルト侯国には、これまで四人の超越者がいると公にされてきた。軍上層部だけでなく、この場にいる諸侯なら誰もが知る事実である。


「その四人のうち、三人が反乱軍へ加わった」


会議室がどよめいた。


「三人も……!」


「そんな馬鹿な……」


「では、侯都が早々に落ちたのも……」


超越者は一人いるだけで戦場の均衡を崩す。


その三人が反乱軍へ加わったという事実は、中央軍の離反以上に深刻だった。通常の兵をいくら集めても、超越者によって指揮官や補給拠点を狙われれば、まともな戦線を維持することすら難しい。


壮年の侯爵が乾いた唇を動かした。


「では、我々に残された超越者は……バルドリック殿お一人だけということですか」


「そう考えるのも無理はない」


バルドリックは静かに頷いた。


「じゃが、諸君らは一つ勘違いをしておる」


会議室の視線が一斉に集まる。


バルドリックは自らの後方へ視線を向けた。


「こちらには、まだ切り札が残っておる」


諸侯たちは思わず顔を見合わせた。


ノルガルト侯国が新たな超越者を抱えているという話など、誰も聞いたことがない。この場に集まっているのは南部を代表する有力貴族たちである。その彼らにさえ知らされていない切り札など、本当に存在するのか。


「バルドリック殿。それは、どういう意味でしょう」


伯爵の問いに、バルドリックは静かに答えた。


「そのままの意味じゃ。陛下は長年、この国の未来に備え、一人の存在を国家最高機密として秘匿してこられた」


諸侯の表情が変わった。


国王自らが隠し続けてきた存在。


それが単なる優秀な騎士でないことは、バルドリックの口調からも明らかだった。


「ルーク」


静まり返った会議室に、バルドリックの声が響く。


その呼び掛けに応じ、一人の青年が壁際から静かに歩み出た。


飾り気のない旅装束。


腰には一振りの剣を差しているだけで、貴族家の紋章も騎士団の徽章も身につけていない。


諸侯たちは訝しげに青年を見た。


「……誰だ」


「見覚えがない」


「近衛騎士でも、侯都の将でもないようだが……」


誰一人として、ルークを知る者はいなかった。


バルドリックはその反応を予想していたように口を開く。


「知らぬのも当然じゃ。ルークの存在を知っていたのは、陛下と王家の者、そして儂を含むごく限られた者だけ。軍籍にも載せず、公の記録もほとんど残しておらん」


会議室に新たなどよめきが広がる。


「なぜ、そこまで……」


「カルドニア王国に知られぬためじゃ」


その国名が出た瞬間、空気が変わった。


「カルドニア王国は長年、属国である我が国の軍事力を調べ続けてきた。新たな超越者の存在が知られれば、必ず対策を講じる。場合によっては、力を付ける前に消そうと動いたじゃろう」


バルドリックはルークへ目を向ける。


「ゆえに陛下は、ルークを徹底して表舞台から遠ざけた。王家直属の護衛として密かに任務へ就かせながら、その力も存在も隠し続けてこられたのじゃ」


シグリアも静かに頷いた。


「父は以前、『最後まで明かす時が来なければ、それが一番良い』と話していました」


国家最高機密として秘匿されていた超越者。


その存在を今になって明かさなければならないこと自体が、ノルガルト侯国の置かれた状況を示していた。


それでも、諸侯がすぐに納得できないのは当然だった。


侯爵の一人が慎重に口を開く。


「バルドリック殿。我々はこの方を存じ上げません。国の命運を託す以上、確認しなければならないことがあります」


ルークを真っ直ぐ見据え、問い掛ける。


「反乱軍へ加わった三人の超越者に対抗できるだけの力を、本当にお持ちなのですか」


率直な問いだった。


バルドリックは気分を害した様子もなく頷いた。


「当然の疑問じゃ」


そして、集まった諸侯へ明確に告げる。


「儂が保証する。ルークは上位超越者じゃ。少なくとも、反乱軍へ加わった超越者の誰か一人に後れを取るような者ではない」


その言葉に、再び会議室が揺れた。


単なる超越者ではない。


上位超越者。


一人で戦場そのものを支配し得る存在が、王家の影に隠されていたのである。


「もっとも、三人を同時に相手にさせるつもりはない」


バルドリックは諸侯の驚きを遮るように続けた。


「ルーク一人にすべてを背負わせるようでは、戦略とは呼べん。そのために、今ここで我らが知恵を出し合うのじゃ」


その一言で、浮足立ちかけた室内の空気が引き締まった。


「今、我らに必要なのは英雄談ではない。戦に勝つための準備じゃ」


バルドリックは地図の前へ戻り、侯都から南へ伸びる街道を指差す。


「敵は侯都を押さえ、中央軍と三人の超越者を手中に収めておる。こちらにあるのは南部諸侯の軍、儂、そしてルーク。このまま王都へ攻め上れば、各個に潰されて終わるだけじゃ」


反論する者はいない。


兵を集めた勢いだけで北上すれば、待ち構える反乱軍に各個撃破される。王都を奪い返したいという感情だけで覆せるほど、戦力差は小さくなかった。


「ゆえに、当面の方針は三つ」


バルドリックは一本目の指を立てる。


「第一に、南部の防衛線を固める。各領は兵をまとめ、街道と要衝を押さえよ。反乱軍に南への足掛かりを築かせてはならん」


二本目の指が立つ。


「第二に、各地で抗戦を続ける王党派と連絡を取り、散らばった兵を一つへまとめる。孤立した部隊は、どれほど精強でもいずれ討たれる。援軍を送れぬ場所には退路を示し、南部へ合流させよ」


そして三本目。


バルドリックはルークへ視線を向けた。


「第三に、ルークの存在は引き続き秘匿する」


諸侯の間にあった驚きが、今度は思考する者の沈黙へ変わった。


「反乱軍は、王党派に残された超越者は儂一人だと考えておる。敵がその前提で戦局を組み立てている間は、こちらに唯一の優位がある」


バルドリックは静かに言い切る。


「切り札は、切る時を誤れば切り札ではなくなる。ルークが動くのは、戦局を決する時だけじゃ」


誰も異論を挟まなかった。


一人の上位超越者が存在する。


その事実だけでも、王党派が得た力は大きい。しかし、敵に知られていないことこそ、ルークが持つ最大の価値だった。


しばらく地図を見つめていた侯爵の一人が、慎重に問い掛ける。


「では、王都奪還はいつ行うおつもりですか」


その質問を待っていたように、バルドリックは諸侯を見渡した。


「まだじゃ」


迷いのない答えだった。


「王都を奪うことと、この戦に勝つことは同じではない。準備も整わぬまま侯都へ攻め込み、一時的に城を取り戻したところで、維持できねば何の意味もない」


地図の中央へ置かれた指を、ゆっくりと南へ動かす。


「まずは南部を固める。次に、散らばった味方を集める。敵の内情と兵の動きを調べ、こちらが勝てる状況を作る」


そして最後に、円卓を囲む全員を真っ直ぐ見据えた。


「焦るな。この戦は、侯都へ一番早く辿り着いた者が勝つのではない」


静かな声が、広い会議室の隅々まで届く。


「最後まで国を残した者が勝つのじゃ」

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