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英雄なのか?  作者: よろず
ノルガルト侯国内戦
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149/212

ノルガルト侯国戦線4


翌朝。


ラーデンの空には雲一つなかった。


澄み渡る青空とは対照的に、街を包む空気は重い。


城門へ続く大通りには、家財を積み込んだ荷車が幾重にも連なり、人々は皆、南を目指して足早に歩いていた。肩を支え合う老夫婦、幼い子どもの手を引く母親、荷車へ負傷者を寝かせた家族――故郷を離れることになった者たちの表情には、不安と疲労が色濃く刻まれている。


戦火はまだこの街へ届いてはいない。


それでも、人々は迫り来る気配を肌で感じ取っていた。


宿の前では、一行も静かに出発の準備を整えていた。


ベルグ商会の商団長は地図を丁寧に畳むと、リング隊長へ向き直る。


「それでは、ここから先は徒歩になります。我々の商隊は街道の途中で東部方面へ向かいますので、皆様とはそこでお別れです」


リング隊長は静かに頷いた。


「ここまで世話になった。」


「こちらこそ。」


商団長は穏やかに微笑む。


「ガストン様からも言付かっております。」


「皆様が、再びライゼンへ遊びに来られる日を楽しみにしている、と。」


シグリアは一歩前へ出ると、深く頭を下げた。


「ベルグ商会には、感謝してもしきれません。」


「商人は信用で飯を食います。」


商団長は柔らかく笑う。


「今回は、その信用を守っただけですよ。」


短い別れを終え、一行は南へ続く街道へ歩き始めた。


ラーデンを離れるにつれ、避難民の列はさらに長くなっていく。


最低限の荷物だけを積んだ荷車を押す農民。家畜を連れて歩く家族。何日も歩き続けたのだろう、靴底が擦り切れた子どもたちも少なくなかった。


誰もが疲れ切っている。


それでも歩みだけは止めない。


立ち止まることが、生きることを諦めるのと同じだと知っているからだった。


ハルヴェンはその光景を見つめ、小さく拳を握り締める。


「……こんなにも。」


エイラも言葉を失ったまま、避難民たちの姿を目で追っている。


シグリアは何も言わなかった。


ただ、一人ひとりの顔を静かに見つめ続けていた。


王女として育った彼女も、これほど多くの民が故郷を捨てる姿を見るのは初めてだった。


やがて前方から規則正しい足音が響いてくる。


「止まらず進んでください!」


「子どもを優先してください!」


「怪我人はこちらへ!」


鎧を身に着けた兵士たちが避難民を手際よく誘導していた。


怒号はない。


混乱もない。


人の流れを整理し、水や食料を配り、負傷者を荷車へ乗せる。その動きには長年鍛え上げられた軍隊らしい統率があった。


レインは静かにその様子を眺める。


「統制が取れていますね。」


「ええ。」


エレアも頷いた。


「南部軍でしょう。まずは民を守ることを最優先にしているようです。」


兵士たちは一行にも視線を向けたが、旅人や商人が混ざる街道では珍しくない集団だと判断したのか、簡単な身分確認だけで通していく。


街道をさらに半日ほど進む。


緩やかな丘を越えた瞬間、その姿が視界いっぱいに広がった。


「……大きい。」


ハルヴェンが思わず息を呑む。


巨大な石壁。


幾重にも築かれた外郭。


空を突くようにそびえる見張り塔。


ノルガルト侯国南部最大の城塞都市――ガルディア。


戦時を想定して築かれた堅牢な城壁の前では、今なお避難民の受け入れが続いていた。


門前には長い列ができ、兵士たちは一人ひとりの身元を確認し、荷物を改めながら城内へ通している。


「止まれ。」


一行が近づくと、門番の一人が槍を下ろした。


「所属と目的を。」


リング隊長が一歩前へ出る。


「旅の者だ。現在は南部への避難を目的としている。」


門番は一行を順に見渡した。


王女も王子も質素な旅装束に身を包み、護衛たちも革鎧姿。


誰が見ても王族とは思えない。


「証明できるものは。」


その声がわずかに鋭さを帯びた、その時だった。


後方に控えていたルークが静かに前へ出る。


懐から取り出したのは、小さな銀色の徽章だった。


門番はそれを見た瞬間、息を呑む。


「……その紋章は。」


ルークは何も答えない。


ただ静かに徽章を懐へ戻しただけだった。


門番は弾かれたように姿勢を正す。


「し、失礼いたしました!」


「少々、お待ちください!」


一人の兵士が城内へ駆け込んでいく。


リング隊長は何も言わない。


レインもまた、黙って巨大な城壁を見上げていた。


十分ほどして。


重厚な門がゆっくりと開き、一人の人物が姿を現した。


壮年の騎士ではない。


白髪を後ろで束ねた、一人の老紳士だった。


年の頃は七十を優に越えている。


濃紺の上着を羽織っただけの簡素な装い。


剣も鎧も身に着けていない。


それでも、その人物が一歩門の外へ出た瞬間、周囲の兵士たちの空気が一変した。


誰一人として口を開かない。


ただ静かに道を開け、その背へ敬意を向けていた。


レインは老人を見た瞬間、ごくわずかに目を細める。


(……強い。)


気配は完全に消している。


それでも隠し切れない圧倒的な存在感だけが、静かに周囲を支配していた。


隣ではエレアも同じように老人を見つめている。


老人は一行をゆっくりと見渡し、その視線はルークの姿で止まった。


深く刻まれた皺の口元が、わずかに緩む。


「……生きておったか、ルーク。」


その静かな一言に、ルークは深く頭を下げた。


「お久しぶりです、閣下。」

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