ノルガルト侯国へ
せ世界商談会は折り返しを迎えていた。
ライゼンの熱気は衰えるどころか、日に日に増している。
夜明けとともに商人たちは商談先へ向かい、石畳の大通りには積荷を載せた荷馬車が絶え間なく行き交う。各国の言葉が飛び交い、露店からは威勢のいい呼び声が響く。この街が今まさに世界中の商人たちの中心となっていることを、誰もが肌で感じていた。
だが、人々が口にする話題は商売だけではない。
「ノルガルト侯国は本当に内乱になったらしい。」
「国境が閉鎖されるって話だ。」
「いや、商隊はまだ通れている。」
「王都はどうなった?」
「分からん。噂ばかりだ。」
真偽の分からない情報が飛び交うたび、商人たちは地図を広げ、取引先と相談を重ねていた。
そんな中でも、ベルグ商会だけは変わらない。
荷役夫は黙々と積荷を運び、御者は馬具を点検し、護衛は持ち場を確認する。誰一人慌てることなく、自分の役目を淡々とこなしていた。
商隊は予定どおりノルガルト侯国へ向かう。
それがベルグ商会の結論だった。
宿でも静かに出発の準備が進められていた。
シグリアは質素な旅装へ着替え、商家の婦人にしか見えない装いとなる。ハルヴェンとエイラも旅商人の子どもらしい服装へ替え、リング隊長たちも鎧を脱いで商隊護衛と変わらぬ姿になっていた。
レインとエレアも普段どおり冒険者として護衛へ加わる。
部屋を出る前、シグリアはグラディウスへ深く頭を下げた。
「短い間でしたが、本当にお世話になりました。」
「気にすることはねぇ。」
グラディウスは穏やかに笑う。
「無事に帰って来い。それだけで十分だ。」
「……はい。」
シグリアは静かに頷き、一行は時間をずらして宿の裏口を出た。
二人、三人と間隔を空け、人混みに自然と紛れて歩いていく。
世界商談会で賑わうライゼンでは、それだけで十分だった。
やがて全員がベルグ商会の荷場へ集まる。
広い荷場では最後の積み込みが行われ、荷役夫たちが手際よく木箱を荷馬車へ積み込んでいた。御者は馬の様子を確かめ、護衛たちは武具を点検している。
その様子を見守っていたガストンは帳簿を閉じると、一行へ歩み寄った。
「全員揃ったようじゃな。」
「はい。」
リング隊長が短く答える。
ガストンは静かに頷くと、隣に立つ壮年の男へ視線を向けた。
「後は任せたぞ。」
「お任せください。」
ベルグ商会専属の商隊長は力強く頷いた。
何十年も大陸各地を往復してきた歴戦の商人である。
この商隊を率いるのはガストンではなく、彼だった。
ガストンは最後にレインとエレアへ目を向ける。
「道中、頼んだぞ。」
「はい。」
二人が応じると、ガストンは満足そうに頷いた。
「では、出発じゃ。」
商隊長が大きく息を吸う。
「一番車、前へ!」
号令とともに先頭の荷馬車がゆっくりと動き始めた。
軋む車輪の音が荷場へ響き、その後を二台目、三台目と続いていく。
数十台の荷馬車が長い列を作り、ライゼン東門へ向かって進み始めた。
レインは最後尾から隊列全体を見渡す。
王族の姿は完全に商隊へ溶け込み、護衛たちも自然に持ち場へ散っていた。
誰が王族で、誰が護衛なのか。
外から見抜くことはまず不可能だろう。
「行きましょう。」
レインの声にエレアも頷く。
二人は商隊の最後尾へ加わり、ゆっくりと歩き始めた。
ガストンは荷場に立ったまま、その背中を静かに見送る。
長い商隊はライゼン東門を抜け、ノルガルト侯国へ続く街道へと静かに歩みを進めていった。




