逃亡王女5
翌朝。
宿の中はまだ静かだった。
昨夜遅くまで続いた逃避行の疲れもあり、王女と子どもたちはようやく安らかな眠りについている。護衛たちも交代で見張りに立ちながら、短い休息を取っていた。
一夜で状況が好転することはない。
だからこそ、今動ける者が動く必要があった。
レインとエレアはグラディウスへ一声掛けると、宿を後にする。
「第七騎士団へ報告ですね。」
エレアの言葉に、レインは静かに頷いた。
「王女殿下たちを保護したこと。それとノルガルト侯国内の現状を本部へ伝えます。」
「今後の判断は本部も共有しておく必要がありますからね。」
「ええ。」
二人は人混みへ紛れるように歩き始めた。
世界商談会は今日も朝から活気に満ちている。
各国の商人が荷馬車を連ね、護衛の冒険者や使節団が忙しなく通りを行き交う。その喧騒へ溶け込めば、二人へ注意を向ける者はいなかった。
やがて南区の一角に建つ酒場へ辿り着く。
古びた石造りの、ごく普通の酒場。
旅人や荷役夫が昼夜を問わず出入りする店だが、第七騎士団にとってはライゼンでの連絡拠点でもあった。
レインはカウンターへ歩み寄ると、一枚の古びた金属製のコインを静かに差し出した。
表面には七本の旗。
第七騎士団だけが持つ認証章だった。
店主は刻印を一目確認すると、小さく頷く。
「こちらへ。」
余計な言葉はない。
二人は店主の後に続き、厨房の奥を抜ける。
細い通路の先にある小部屋へ案内されると、扉が閉まるのと同時に壁へ埋め込まれた魔導具が淡く光を放った。
盗聴防止の結界。
第七騎士団が使用する連絡室だった。
「少々、お待ちください。」
店主が部屋を出ると、室内は静寂に包まれる。
レインとエレアは席へ着き、静かに待った。
やがて一定の間隔で三度、扉が叩かれる。
「どうぞ。」
返事と共に入ってきたのは、四十代半ばほどの男だった。
旅装姿に一本の剣。
どこにでもいる護衛へしか見えないが、無駄のない所作には軍人らしい気配が滲んでいる。
男は扉が閉まるのを待ち、右拳を胸へ当てた。
レインとエレアも同じ敬礼を返す。
男は席へ着くと、短く告げた。
「報告を。」
レインも無駄な前置きはしない。
「ノルガルト侯国王女一行を保護しました。」
男は黙って頷く。
「現在、安全な場所で保護中です。」
「護衛十二名中、六名戦死。残る護衛はリング隊長以下数名。」
「襲撃には護衛内部の裏切りが確認されました。」
その後もレインは時系列に沿って報告を続ける。
倉庫。
地下水路。
工房。
そして昨夜、安全な隠れ家へ移動したことまで。
男は最後まで一度も口を挟まず、机の上で手早く要点を書き留めていった。
やがて筆を置く。
「現在、本部でも同様の情報を掴み始めています。」
「ですが、現地の状況はあなた方の報告が最も正確です。」
報告書を封筒へ収めると、封印を施し懐へしまう。
「最優先で本部へ送ります。」
レインは静かに頷いた。
「お願いします。」
男も立ち上がる。
「本部からの命令です。」
「現場判断を最優先してください。」
「王女殿下と子どもたちの安全確保を第一とし、状況に応じて柔軟に行動を。」
新たな命令ではない。
これまでの任務を、そのまま継続せよという意味だった。
「了解しました。」
男は敬礼を返す。
「次回も連絡が必要であれば、この酒場を使用してください。」
「こちらから接触することはありません。」
それだけ告げると、音もなく部屋を後にした。
再び静寂が戻る。
レインはゆっくり立ち上がる。
「戻りましょう。」
「ええ。」
二人は酒場を後にし、再び世界商談会で賑わうライゼンの街へ足を踏み出した。




